第十一話 止めることができないのならば
私は頭を抱えていた。
早すぎる。
ティア=アークビー男爵令嬢は第二王子との仲を深めていた。それもランダムイベントをハッピーエンドに向かって最短でこなしながら。
しかも、例の男爵令嬢は騎士団長の息子や宰相の息子にさえも手を伸ばしているらしく、宰相の息子など周囲が驚くほどにデレデレなのだとか。
まさかのハーレムルート。
ティアとやらは三人の攻略対象を最短で魅了していっているのよ。
それはある意味において私の知識の正しさも証明していた。だって、同じなんだもん。私からティア=アークビー男爵令嬢にヒロインが変わっただけで、伝え聞く出来事は全部乙女ゲームの知識の通りなんだから!!
つまり。
攻略に関するありとあらゆる事象は起こりうるとして考えていい。
「どうしよう……。どうしよう!?」
私が幸せになれる未来が奪われているのもそうだが、そんなことよりこのまま放置していては大変なことが起きる。
「第二王子や騎士団長の息子はまだしも、宰相の息子の攻略には絶対に悪役令嬢が絡んでくる。まずい、まずいまずい!! このまま宰相の息子の攻略が進んだらシルヴィーナ様が悪役令嬢として断罪されちゃうじゃん!!」
ーーー☆ーーー
宰相の息子とシルヴィーナ=シーカフィン公爵令嬢の婚約が決まったのはその翌日のことだった。
ーーー☆ーーー
「シルヴィーナ様っ」
「あら、アリアネちゃん。そんなに慌ててどうしました?」
扉を蹴破る勢いでシルヴィーナ様の自室に飛び込んだ私は詰め寄りながらとにかくこう捲し立てていた。
「宰相の息子との婚約、今すぐ破棄して!!」
その時。
穏やかに私を見つめていたシルヴィーナ様の表情が、明確に切り替わったのを感じた。
鼻と鼻とが触れ合うほどの至近、いつものシルヴィーナ様なら取り乱しそうなところを戦女神のように凛々しく、それでいて冷たい表情を……。
「アリアネちゃん」
「っ……!?」
肩が跳ね上がる。
叱責されたわけでもないのに畏まってしまう。
「今回の婚約はシーカフィン公爵家にとって必要だと判断されたがためになされました。そう、家のために。貴族の婚約とは『そういうもの』であるのはアリアネちゃんも知っているでしょう?」
「それは、そうだけど、宰相の息子は……っ!!」
「ティア=アークビー男爵令嬢」
「ッッッ!?」
「あの方が男爵令嬢に入れ込んでいるのは知っています。おそらくそのことを気にしてアリアネちゃんは婚約を破棄してなどと言ったのでしょうが、別に貴族の婚約とは愛情を示すものではありません。家に迷惑をかけない範囲であれば婚約者以外に愛する者がいようとも構いませんよ。何なら愛人として囲んでくれても問題はありません。『節度ある』ものであれば、ええ好きにすればよろしいでしょう」
「それは、えっと、確かにティア=アークビー男爵令嬢の話なんだけど、私が言いたいのはそういう話じゃなくて!!」
「では、どういう話なのでしょう?」
「それは……そ、れは……ッッッ!?」
言葉が、詰まる。
ティア=アークビーの危険性を説明するにはそれこそ乙女ゲームの知識に関して説明しないことには納得してもらえないだろう。
そこまでやっても信じてもらえるかはわからないけど、それでシルヴィーナ様を悪役令嬢の道から救い出せるなら安いもの……とまで思っていた。その結果私の『見え方』も大きく変わるとわかっていて、それでもよ。
なのに口が開閉するだけで声が出ない。乙女ゲームの知識に関して言葉として発することができないのよ。
何か。
強大な『力』に抑え込まれているかのように。
「アリアネちゃん、もう良いですか?」
良くない。
「これもまたシーカフィン公爵家の人間としての責務です。こんな生き方が良いのか悪いのか、アリアネちゃんにも思うところがあるでしょうが、少なくともわたくしはこういう風にしか生きられません」
良くない。
良くない。
良くない。
「ですから、アリアネちゃん。わたくしはこの末路に納得しているのですから、アリアネちゃんも納得してくださいな」
良くないのに。
なんで、私は、全てを諦めきっていて冷たく覆い隠すしかないシルヴィーナ様を助けるために言葉を紡ぐことができないのよ!!
ーーー☆ーーー
学園の話題は一人の令嬢が集めていた。
ティア=アークビー男爵令嬢。
きめ細かい銀の髪に深緑の瞳の守ってあげたくなるような可愛い令嬢である。
第二王子や騎士団長の息子、あのシルヴィーナ=シーカフィン公爵令嬢との婚約が決まった宰相の息子とさえも親しくしている彼女は身分の差というものを踏みにじる。
『そういうもの』として凝り固まっているルールを破壊し、人と人の輪を広げていく。
これがヒロインが幸せになるだけの物語であれば──そう、ティアの視点であれば美しく見えることだろう。第二王子や騎士団長の息子、宰相の息子といった顔が良く身分も高く、能力も高い男たちから愛されるなどまさしく夢のような展開である。
だが、現実としてそれほどの偉業を成し遂げようとすれば今までのルールを当然と考えている者たちからの反発は大きくなるに決まっている。
だから。
学園の教室内においてアリアネ=シーカフィン公爵令嬢はいつも一緒にいるスカーレットが用事で不在の中、名前を売りたいがために近づいてきていた何人かの令嬢にこのような話を聞かされていた。
「アリアネ様、最近貴族としての誇りを見失っている不届き者が学園に紛れているのはご存知ですよね?」
その言葉に。
まるで聞き覚えがあるようにアリアネ=シーカフィン公爵令嬢は目を見開く。
「どうでしょう。ここは貴女様のほうから不届き者に『お話』してあげるというのは」
「……ええ、そうですね」
アリアネ=シーカフィン公爵令嬢は固めに固めた対外用の笑顔でもって肯定する。
その奥に、知識なき者には理解のできない決意を燃やしながら。
「ヒロインの座を奪えるのならば、悪役令嬢の座だって奪えるはず。その上で断罪されないルートを選べばいいだけなんだから」
「……?」
不思議そうに首を傾げる誰かなどアリアネは見てすらいなかった。
いつの間にか、その目は『彼女』しか見ていなかったから。




