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途中に休憩をはさみつつ、車はF県K市についていた。高速道路を下りて、僕は目的地である高校に到着した。
昼過ぎに桜ノ宮学園を出て、K市のK高校についたのは約束をしていたちょうど五時だった。
K高校は繁華街からは離れたところにある。学校の駐車場に車をとめて、玄関の受付に用件を伝えると、職員室から知り合いの顔が見えた。
「お久しぶりです。急な申し出に答えていただいてありがとうございます」
「いえいえ。他ならぬ杠先生の頼みですから。それに二壁先生のことは私たちも気になっていましたし」
K高校で教務をしている白崎先生は、僕に柔和な笑みを浮かべた。しかし顔には疲労の色濃く、二壁が死んでから、かなり消耗していることがわかった。
それとほんのわずかなうしろめたさも。
白崎先生とは何年か前に、国語の研究会で同席し、その後たびたび授業の研究を行ってきた仲だ。彼女の方が五つ年上だが、僕のことをいつも立ててくれる人格者だ。
「それで、今日は二壁先生のことについてお聞きしたいということでしたよね」
「はい」
立ち話もなんだからと、僕は学校の相談室に通された。若い先生がもってきてくれたお茶で口を湿らせる。
「ありがとうございます」
お茶を持ってきてくれた先生に頭を下げると、彼女は力なく頭を下げ返した。その際に、“青葉美津子”と書かれた名札が揺れる。
彼女の顔と名前に、僕は覚えがあった。
「青葉先生も同席してください」
青葉先生はそのまま退席しようとしたが、白崎先生が引き留めた。青葉先生はどうして、と首を傾げたが、「二壁先生のお知り合いです」と白崎先生が言うと、大きく目を見開いた。
今まで顔に生気がなく、陰鬱な想いを抱いていた青葉先生の感情に驚愕が混じる。死んだようだった彼女に生気が帰ってきた。
生気の戻った顔は、やはり僕の知るものだった。
「もしかして信二の……秋先生、ですか?」
青葉先生は僕に詰め寄らんばかりに身を寄せてきた。白崎先生が「およしなさい」と言ったが、彼女は聞く耳持たずだ。
「そうです。そしてあなたは二壁の恋人の……みっちゃん、ですね?」
僕が言うと、青葉先生は唇をかみしめて顔を伏せた。その時彼女から立ち上った感情をなんと形容すればいいだろう。
無念、恨み、憎しみ。僕に対する負の感情と、それを抑えようとする理性の心……感謝と尊敬。懐かしさと、愛情。いろんな感情が青葉先生の中で渦巻いた。ごちゃごちゃの感情のうねりは次第に収まって、結局彼女は全ての感情を押し殺すことにしたらしい。
「そうです」
頭を上げた青葉先生の顔は、暗い無表情だった。
*
青葉先生がソファに座ると、重苦しい空気が応接室に流れた。
白崎先生は青葉先生と同席させようとしたことを後悔しているらしい。苦々しい感情を青葉先生に向けている。
青葉先生も、何を言えばいいのかわからないのだろう。無言のまま膝の上で拳を握っている。
青葉美津子は二壁の昔からの恋人だったと聞いていた。同じ国語の高校教員だとも。たまたま、同じ学校の教員になったのだろうか。
「二壁は、ここで頑張っていましたか?」
重い空気を押し流すために、僕が一番に口を開く。青葉先生はぴくりと肩を震わせるが、何も言わない。白崎先生は泣くのをこらえるように顔を歪めた。
「とても。二壁先生は誰よりも頑張り屋な先生でした。二十七とは思えないくらいしっかりしていて、力もあって、だから私たちもつい、二壁先生に頼ってしまったんです」
白崎先生は不信感を込めて職員室の方をにらみつけた。学校によって、教師の質に差は出る。K高校はその質はあまりよくないということか。
「生徒指導も、授業も、部活動も、二壁先生は休む暇もないくらい熱心で、学校の中核を担ってくれる一人でした。杠先生から師事を受けたと聞いて納得しましたよ。杠先生が二壁先生を育てたのだなと。授業のやり方も、杠先生そっくりでしたし」
「信二の口からは」
ずっと黙り込んでいた青葉先生が、顔を伏せたまま言った。
「よく秋先生の話が出ました。秋先生は俺の尊敬する先生で、秋先生みたいになりたいって。みんなは俺をすごいって言ってくれるけど、秋先生には足元にも及ばないんだって。だから私も一度秋先生には会ってみたいって思ってました。私も信二と同じ国語の教師ですけど、同い年なのにとってもすごくて、生徒たちとの関わり方だって立派で、そんな信二が尊敬する秋先生ってどんな人なんだろうって、そう思って、でも」
どうして。彼女が言った。
「どうして、秋先生は生徒相談をしていたんですか」
「え?」
青葉先生から吐き出された言葉に、僕は耳を疑った。
「信二は昔自分を救ってくれた先生と秋先生を重ねてました。だから秋先生みたいにって、生徒相手に悩み相談を始めて、生徒たちのためにって頑張って、頑張って、頑張って……だから」
頑張りすぎて死んでしまった。生徒を救おうとして、救えなくて、自分で自分を追い詰めて、信二は死んでしまった。
『俺、秋先生みたいになりたいんです』
僕は二壁のあの言葉の意味を深く考えたことがあっただろうか。教師は人を救えると、こだわっていた理由を考えたことがあっただろうか。
他人に人は救えない。僕はその理由を二壁に伝えていただろうか。僕は気づけば、ひとつの言葉を言っていた。
「馬鹿野郎……」




