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クルイツヅケル

作者: ずんだ

 今日も男は無為な一日を過ごそうとしていた。

外に出れば何かあるかもしれないが、その男は少し心を病んでいた。家でテレビでも見ている方がよっぽど気が楽なのだ。もっとも、それは根本的な救済にはなり得ない。

外からは学校帰りの小学生の声が聞こえだしてきた。



 午後3時。俺の職業は何だったっけ。

たしか、学生。そうか、ならまぁ、こんな生活でも許されるだろう。

「モラトリアム」

いい響きだ。所詮限られた時間なんだからどう過ごそうが俺の勝手だ。



 しかし男はもう大学四年生を迎えていた。

それの意味するところは「モラトリアム」の終わりであり、自分の市場価値を世に問わねばならないというものだ。

それが彼を病ませていた。

生来、特筆すべき特技も趣味もなく生きてきた。部活動もやってない。

友人もあまりいない。彼は己の価値を市場に問う前に、自分自身で見切りをつけてしまっていた。



 えっと、晩御飯は買いに行かなくちゃだな。

何もしなくても腹は減るんだ。このまま食べずに死んでしまうのが一番世のためになるのだろう。

しかし自分に染み付いた生存本能のようなものがそれを拒んでいる。

「生きたい」



 なぜか彼の脳内はいつも生か死の二択に迫られていた。

それもかなり死に比重が置かれていた。

生きることにだけ光を当てれば、その術は意外にも多く存在しているのに。

きっとそれは彼のプライドが許さなかったのだ。



 今日もこのまま終わる。

俺の人生にどんでん返しは存在しない。これまでは、そしてきっとこれからも。

異世界にも行けないし、美少女に出会うこともない。だがその点に不満なんて覚えたことはない。

俺が危惧しているのは自分の考える「普通」を逸脱してしまうことだ。



 さて彼の「普通」とはなにか。

それは自分に見合った人生を送れるか否かだろう。

だが言ってしまえば就職に失敗して、死ぬことを選択してもある意味では見合った人生だったといえるだろう。

彼を悩ませているのはその点か。




 そう、俺を悩ませているのはそこで生を選ぶか死を選ぶか、どちらが己に見合っているかという点なのかもしれない。

有終の美なんて言葉がある。

振り返ってみればここまでの人生、辛いことも楽しいことも人並みにあった。

安っぽく言ってしまえば人並みに幸せだった。

だが、どうだろう。この先も同じことが言えるのか。




 彼を縛るものは「常識」であり、「人並み」でありそして「普通」である。

彼は愚かな人間だ。

普通なんてものは存在しない。

一度は聞いたことのある言葉だろうし、事実でもある。

つまり、彼が生きることを選ぶには「普通」を卒業する必要があるのだ。

そうでなければ彼は彼の考える「普通」を迎えてしまう。



 あれ。寝ていたのか俺。

夢を見た。昼寝はよく夢へと誘ってくれる。

夢の中の俺は幸せな時間を迎えていた。

それは友人と話し、家族と話し、楽しげに時間を過ごすというごくありふれたものだ。

なるほど、俺の求める「普通」はこれか。

この結末を迎えるためにはどうやら俺は一度「普通」を離れる必要がありそうだ。



 彼の抱える矛盾は矛盾ではない。

人の生きる道には上り坂があれば下り坂もある。

常に「普通」を生きている人間などいないのだ。

そのことに気づければ、一続きの道の先に己の幸せを見出さずに済むだろう。



 このもやもやとした思いの先に明確な答えなんてないことを、俺は考え始める前から知っていた。

ただ、今はこんなことでも考えて整理を付けなければ。

気が狂いそうだった。

そうだ、こんな俺でも生きていれば明日は来るんだ。

それは喜ばしいことだ。

たとえ生産性のない一日を過ごし、消費活動しかできないような人間でも。

一日を過ごすことに達成感を得るのは何らおかしい事ではない。少なくとも俺はそう思いたい。



 彼は思考の海に沈んで、気が付けば一日の終わりを迎えようとしていた。

どうやら今日は、生き延びることができたようだ。

願わくば、彼の苦悩がその命尽きるときまで絶えぬように。

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