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「死にたいって」

作者: 闇音。

俺はとあるアプリでとある有名な方が言っていた言葉が気に食わない。

「死にたいのなら誰かに命あげればいい。生きたい人が生きれないなんて可哀想だ。死にたいとか言っている人たちを見たくない。」

と。

最初この文を見た時、綺麗事をつらつらと並べよって…と苛立ちを覚えた。それは数ヶ月たった今でも変わらない。


確かに、死にたいって言うのなら余命僅かの人や死ぬ予定じゃなかった人にあげればいいのかもしれない。だが、それは果たして可能なのだろうか?

死にたい、けれど死ねない。そういう人の気持ちは痛いほどよくわかる。俺自身がそうだったから、今もズルズルと生き続けてるやつだから。

だがしかし、死にたいって言っているヤツらの中にはきっと、いろんな理由で気にたいと思っている人がいるんだと思う。なのになぜ、「死にたい人」と1括りにされ、しかも悪者のように言われなくてはいけないのか、それがわからない。

上に書いたように、死にたい人にはそれぞれ理由があるんだと思う。俺なんかはいじめられたり家族からの扱いがひどすぎて生きるのが辛くなった人間なわけで。そういう人だっているだろうし、会社や人間関係で上手くいかずに、それがだんだんと積み重なっていって生きていたくないという結論にたどり着いた人だっているのかもしれない。

なのになぜ、死にたい人が一方的に悪いときめつけられてしまっているのだろうか。なぜ、その考えが認められないのだろうか。誰が生きることを強要しているのだろうか。

誰かが何かをしたから、その何かをされた人間が苦しくなるのだ。でも、その何かをした人は自分の失態に気づかず、ただただ死にたい人を責め続ける。…訳が分からない。


長くなった割にはまとまってない文だな。申し訳ない。

…まぁ、死にたくても死ねないやつはとりあえず頑張れ。俺のようにズルズル生きるだけでもいい。それだけでも俺は頑張って生きてるやつのことを褒めるよ。お疲れ様。

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