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明晰夢

作者: marotech

「誰か助けて。」


夢を見た。捉えどころのない印象しか残らない夢。夢の中で僕はどこかのオフィスのフロアにいた。年齢も一回りは進んでいた気がする。思い出すとなにか苦しい。しかし何が苦しいのだろう。わからない。

眠気眼で居間に降りてテーブルにつき、コーヒーを飲む。母が用意してくれたトーストを食べながらぼんやりと今日から始まる期末考査の世界史の内容を反芻した。

顔を洗って、髪をとかしてふと鏡を見た。鏡が曇っていて顔が鮮明に映らない。霧がかっているみたいになっている。ハンドタオルで拭いたが、なかなかとれない。どうやら傷がついているようだ。

汚れた鏡に気を取られているともう登校する時間になっている。いつもの電車を逃すと15分は来ない。余裕を取っているのでそれでも始業には間に合うが、今日は定期考査なので猶予を持ちたい。急いで支度をして飛び出すように家を出た。間に合うか間に合わないかギリギリのライン。見せてやる、50ⅿ走7.5秒(クラス順位32位/40人中)の実力を。息を切らして駆け込んでなんとかいつもの叡山電車に間に合った。

ふう、と一息ついて鞄を床に下ろすと後ろから誰かに小突かれる。

「今日もギリギリだったな、和人」

振り返ると友人の大里がにやけ顔で立っていた。今日も相変わらず能天気そうだ。

「大里よ。お前も相変わらず能天気そうだぞ」

「おうよ。大里将太、過去は振り返らない男。近代中国も振り返らないことにした」

「わかんないけど世界史は勉強したほうがいいぞ」

とりとめのないやり取りをしているうちに電車は出町柳駅に到着した。学校までまだ暫くあるが、大里は分離させよう。試験前の時間はプライスレス。暗記物は特に、だ。

「でさ、昔はつり目が至高だったんだけどさ、やっぱこうたれ目も・・」

「じゃあな、大里。俺はお前の性癖の変遷より清王朝の変遷に興味があるんだ」

「おい、待てこの変態ヤロー。しゃーねえ、議題はチャイナドレスにしてやるよ」

変態ヤローはどっちだ。

半ば強引に大里に別れを告げ、世界史の教科書を読みながら乗り換えのために京阪電車に向かう。教科書に意識を置きながら、改札を通り抜けた瞬間、視界が一瞬、グラっと、揺れた。何だろう、貧血だろうか。鉄分を多めにとらなくちゃな。

  そうこうしているうちに学校に着いた。試験が始まる前にも無駄な抵抗をしておいたが気持ちは既に切れている。いざ尋常に勝負。


「終わったー!!!!」

まだ12科目中の1科目が終わっただけであるのに皆全て終わったような顔をしている。大里はエロい顔をしている。結果から言うと昨晩からの追い込みの成果もあって、まずまずの出来だったように思う。今日はテスト初日で科目は世界史だけだった。明日からのテストに備えて満足顔で帰宅の途に就こうとするか。帰宅してからは、無駄な抵抗とわかってるがぼんやりとテスト勉強して、それから寝ることにした。

  



また今日も夢を見る。どうやら俺は会社員をしているらしい。今回もオフィスのフロアにいる。この夢の設定は何回目だろうか。俺は上司と思われるいかつい体格の良い男性から叱責されている。

「聞いているのかお前!!」全身に響く大声。

テスト期間だからと言って悪夢を見るとか本当にわかりやすいな俺。早く覚めてほしい。夢の中で夢だと認識しているということはこれは明晰夢というやつなのか?どうせ明晰夢ならえっちなお姉さんとか出てきてほしいんだが。ぼやっとしてはいるが手は動く。足も動く。何でもできるじゃん。

「聞いてんのかこのくそやろう!死んでしまえ」

と思ったのもつかのまま、ドでかい怒声共にバンッと机に本が叩きつけられ、頭に衝撃が走り、波が引くように俺の視界はブラックアウトした。





実に目覚めの悪い朝である。夢と言うのは記憶を整理していると聞く。また夢は現実と連動しているため、寝ている間に喉が渇いていたり、暑かったり寒かったりすることが夢に反映されて、悪夢を見ることもあるらしい。今日はしっかり水分補給して寝よう。

朝食を食べ、コーヒーを飲みながら何気なくテレビをつけてみた。ザーザーと黒い嵐状態で何も映らない。おや、テレビが故障しているのか?チャンネルを変えてみても、どの局も映らない。つい数日前までは普通に動いていたはずなのだが。

そんなことをしているうちにまたもやギリギリの時間になっている。恐らくだろうけどこのギリギリ病は一生付き合うことになるな。走れ和人。セリヌンティウスを救うのじゃ。駅の石段をトップスピードで駆け抜け、俺は叡山電鉄に飛び込んだ。はあはあと息をついていると、大里がにやけ顔で近づいていることに気付いた。

「今日もしっかりギリギリだな」手すりを持ちながらにやにやと大里は言う。

「俺みたいな典型的現代人には、いい運動なんだよ」

膝に手をつきながら、俺は息を切らして声を絞り出す。

「確かに。説得力に満ち満ちているな」

 今日は数学Ⅱと古典であるので、半ば諦めている。大里とエロ談議に花を咲かしながら登校するか。

 二日目のテストもつつがなく終わった。試験終了の合図と共に机につっぷして、グーッと伸びをした。テストは嫌だが、この終わった後の達成感は筆舌尽くしがたい。まだ終わってないけれど。ざわついている教室をよそに、窓から外を見ると下校している他校の生徒が見える。ん?っと何かが頭の中に引っかかりその瞬間、突然、俺は強烈な既視感に襲われた。見たことがあるこの景色。いやデジャヴとは脳が錯覚して起きるのだ。悪夢も見るし、精神的にやられているのかしら。

 

今日は帰宅してから明日のテスト勉強はほどほどにして早めに寝ることにした。ベッドも整理して、水もたくさん飲んで完璧だ。横になると、さほど感じていなかったはずの眠気が急速に俺を包み込んだ。ゆっくり薄れゆく意識の中で明日の用意のことを思い出したが、もういいや、視界は、消えた。



またもや俺はオフィスにいるようだ。夢を夢だとわかっている。そしてまたいかつい上司から叱責されているらしい。どんな深層心理を抱えているんだ俺は。明晰夢をこんなに立て続けで見れるだなんて才能ではないだろうかもはや。どうせならもっとムフフな夢が見たいぞ。

夢とはいえ暴言を延々投げつけられていると気分が悪くなってきた。

「何ができるんだ一体お前は!」怒声、というか声量が物凄い。

実際何もしていないわけだが、これだけどやされているとつい「すいません」と言ってしまった。これが警察の取り調べに無実の人が自白してしまう原理か。

自分のデスクらしきところに戻ると、書類が山積みされている。夢じゃなかったら最悪だが、どうせ夢だし。何もせず、辺りを見渡してみた。広くはないフロアにひとがまばらに存在している。俺の課?にはいかつい上司と年配の女性社員がいるだけだ。リアルな夢に呆けていると、突然世界がガタッと傾き、衝撃と共に床に放り出された。どうやら椅子ごと蹴り飛ばされたらしい。もう嫌だ。帰りたい。怒声が聞こえるが関係ない。俺には関係ないんだ。

「もう帰らせてくれ!!!!!」

俺は声の限り叫んだ。夕闇に包まれるが如く、視界はゆっくり、ゆっくりと薄れていく。





目を開けるとそこには白い天井が見えた。紛れもなく自分の部屋の天井だ。良かった、夢だった。何度も同じ夢を見ていると現実のように感じて来る。寝汗びっしょりかと思いきやそうでもないようだ。俺は乱れた衣服を正し、ベッドから降り、居間に向かった。会社員になって、叱責を受ける夢というのはどのような夢診断をされるのだろうか。最初は軽く考えていたのだが、ここまで続くと不安になってくる。今日も鏡は曇っているし、テレビも映らない。なんだこの最近の違和感は。日常も薄っぺらく感じてしまう。試験期間が故のメランコリーなのか。

 考えすぎだろうか。いや試験をまず終えて、考え過ぎるのはそこからでも遅くない。




日中俺は何度も既視感を感じた。どういう現象なのかはわからないが、精神的に疲弊している。またそのせいか英語の試験は全くできなかった。問題文が理解できなかった問題ばかりだった。「英語めちゃむずくなかった?」終わりのチャイムと同時に俺は隣のクラスメイトに言った。

「いや?普通でしょ」クラスメイトは不思議そうな顔で答える。

他の人に尋ねても同じような答えが返ってくる。試験範囲を間違えるほど疲れているのか俺。なんだかふわふわ浮ついているような感覚がする。今日も早く帰って寝よう。

寝ることへの恐怖感を感じざるを得ないが、夕食を食べて自室に戻ると自然に意識は遠のいていった。




また夢で目が覚める。いつものフロア。罵声、怒号、衝撃。今日もまたここにきてしまったらしい。胃が重い、視界が歪んで、目がちかちかする。吐き気が止まらない。気持ちが悪い。目が覚めてくれ。上司だけでない。フロアにいる全員が私に、いや俺に冷たい目線を向けているようだ。こんな世界に生きているのは地獄だ。職場の人間関係に絶望し、この世から逃げてしまうという状況が心底理解できた。

「●●●●●●●●」

「▲▲▲▲▲」

男が何かを言っているが、理解できない。

俺は、俺はどうすればいいのだろうか。気持ちが悪い。ぞわりぞわりと背中にうごめく感触がする。足が震えて、立つことすらままならくなってきた。俺は崩れ落ちて、床に四足でつっぷして嘔吐した。「ゲエッオェオエ!」

「●●●●」

「◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆」

「▲▲▲▲▲▲▲▲」

なんて悪夢だ、これ以上ここにいるとおかしくなる。俺が俺でなくなってしましまう。覚めろ。覚めろ。覚めろ。覚めろ覚めろ覚めろ覚めろ覚めろ覚めろ覚めろ覚めろ。サメロサメロサメロサメロサメロサメロサメロサメロサメロサメロサメロサメロサメロサメロサメロサメロサメロサメロサメロサメロサメロサメロサメロサメロサメロサメロサメロサメロサメロサメロサメロサメロサメロサメロサメロサメロサメロサメロサメロサメロサメロサメロサメロサメロサメロサメロサメロサメロサメロサメロサメロサメロサメロサメロサメロサメロサメロサメロサメロサメ・・・・




      目が覚めた。

目に飛び込んでくるのは見慣れた天井、見慣れた本棚、机。良かった、自分の部屋だ。自分のベッドにいることにこんな安堵感を覚えるのは初めてかもしれない。平凡万歳。ドクンドクンと自分の動悸の高まりがまだ聞こえている。

やはり何気ない日常だけれど、こうやって何もないことすら幸せなのかもな。その点でありがとう、悪夢。感謝して生きていくよ。

まだ呆けながらも居間に降り、今日も遅刻だなと朝食のパンを口に放り込みながら時計を眺めた。今日はテスト最終日だ。もうこのプレッシャーからも悪夢からも解放されるはずだ。

「よし、しまってこうぜ!」俺は無理やり叫んで自分を鼓舞した。

余裕を持って出たので、久しぶりにホームで電車を待つことになった。しばらくするとアナウンスが鳴り、列車が到着することを知らせるチャイムがホームに響いた。ゆっくりと線路の上を緑色でふるめかしい二両編成の電車が入ってくる。いつみても前時代的な車両である。ドアが開いて、さほど混雑もしていない車内に入るといつもの大里の姿を見つけた。

「よう」

「おう、やっと最終日だな」

「いや自分を試す試験と言う試験が大好きだから寂しいぜ」

「よく言うわ」呆れながら俺は言った。「そういうえば、お前大学受験はどうするんだ?」

何気なく言った自分の言葉だが、違和感と拭いしれない不安を感じた。ん?何かがおかしい。

「まだきめてねーよぉ、高2なんだから。んなもん」大里は携帯を見ながらこっちを見ずに答えた。いや違うはずだ。なぜか俺は知っている。頭の中に強烈なビジョンがねじりこんでくる。D大学の合格発表掲示板の前で喜ぶ大里を。そしてそれを見て胃の奥からせりあがってくる焦燥感、嫉妬、劣等感を。俺は膝を曲げて、えずいた。なんだこのイメージは?夢なのか?

「どうしたんだ和人」大里はなぜか笑いをこらえて肩を震わせている。

湧きだした不安感に世界が呼応するように車内は揺れ始め、そして歪んでいく。太陽が落下したように世界は暗転した。何だ、何がどうなっているんだ。

「ホ ン ト ー ハ キ ズ イ テ ル ン ダ ァ ロ?」笑っていたはずの顔は冷たい、鋭い視線に変わっていた。

「え?」首筋に汗が垂れさがり、震えが止まらない。

「ホ ン ト ー ハ キ ズ イ テ ル ン ダ ァ ロ?」

黒い影に包まれ、乗客全員が真顔で僕を見つめている。

「「「「ホ ン ト ー ハ キ ズ イ テ ル ン ダ ァ ロ?」」」」

いつのまに俺たちは教室にいた。顔が黒くて見えない、大勢のクラスメイトが合唱するように同じ言葉を繰り返しつぶやく。

「何にだよ!!わかんねえよ」震えながら僕は力を絞り叫ぶ。

気付けば僕は走り出していた。赤レンガ調の迷宮をひたすら駆けていた。

後ろから銃を持った大里が追いかけてきている。ただただ走る。逃げなければならならないんだ僕は。

「本当は気付いているんだろ。いい加減目を覚ませよ和人」

バンバンとケタタマシイ銃声が鳴り、僕は宙に放り出され、乱雑に地面にたたきつけられた。視線を上げると赤レンガ調の立派な校舎が目の前に見える。憧れのD大学だ。

すると校舎の出口から大里が出て来た。友人を数人連れ楽しそうに他の校舎に向かっている途中のようだ。そうだ、大里はD大学生だったんだ。経済学部に入学して、卒業後は大手メーカーに勤務したんだっけ。疎遠になったが風の噂で聞いたんだった。あれ?

大人になった大里がにやけながら近づいてきた。

「おめでとう!やっと気づいたんだな」

「だから何に?」震えながら聞き返す。











「 こ っ ち が 明 晰 夢 っ て こ と に だ よ 」











ウアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアああああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

ああああああああああああああああ

あああああああああああああああああああ

ああああああああああああああああ

ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

そうだったんだ。俺は大学受験に失敗して、就職活動にも失敗して大した企業にも入れず、その会社でも何にもできない男なんだ。あれが現実なんだ。こっちが夢だったんだ。俺は自分がなんでもなかった高校生のころを夢想しているだけなんだ。あれ?ということはあんなにきついのが現実?いやそんなわけない。いやちがうよな?あれ、やばい。おかしい。え??どうなってるんだ?そんなわけがない。明日起きたら試験休みなんだ。明日からは遊びに行けるはずなんだ。え?そうだろ?ホントニソオウナノカオレガワカラナクナッテキタオレッテイッタイナンダナンダナンアダオシエエクレエエエエエええええええええええええええええええええええええあああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

ぐにゃあと世界はひしゃげた。




















目が覚める。動悸が止まらない。今はどっちにいるんだ。辺りを見わたすといつもの自分の部屋が目に飛び込んでくる。ふう。心臓に悪すぎる。日常最高。ほんとに悪夢続きで何とかしてほしいもんだよ。そうだ今日から休みだ一杯遊ぶぞお。

和人はゆっくりと体を起こす。

なぜだかわからないが、今日もテレビは映らないし、鏡も曇っている。そんな気がした。

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