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災厄

作者: 三坂淳一

『 災厄 』


 当時、私は東京の吉祥寺という街に住んでいた。

 当時と言っても、古い話では無く、今から五年ほど前のことであるが。

 吉祥寺というところは武蔵野市の中心街で若者に人気のある街である。

 大きなデパート、中規模のスーパー、小さなブティック或いは雑貨屋がぎっしり詰まった賑やかな街で、朝から深夜まで人通りの絶えることのない、いわば都会の代表的な街と言える。

 その街で、私は駅から歩いて十分程度の比較的利便性の良いアパートで妻と大学院生の息子の三人で暮らしていた。

 そのアパートは会社が随分と前に社宅として建てたアパートでかなり老朽化は進んでいたものの、3DKの少し狭いが住み心地としてはなかなか快適なアパートであった。


 吉祥寺という街は年がら年中、お祭りみたいな街だなぁ、というのが私の吉祥寺に対する第一印象であった。

 吉祥寺に来る前は茨城県西部の栃木県に近い閑散とした寂しい町で暮らしていたものだから、なお一層都会の喧騒をそのように感じたのかも知れない。

 また、初老に差しかかった中年の男にとっては吉祥寺という都会の喧騒は異常なまでの熱気を持っており、「お祭り騒ぎ」のように感じたのかも知れない。

 しかし、若者ばかりでは無く、吉祥寺は老若男女がそれなりに楽しむことが出来る街である。

 特に、若い娘が喜ぶようなお洒落なブティック、雑貨屋が多い街であり、ボーイフレンドを従えた娘が颯爽と闊歩しているような街でもある。

 喫茶店も私の好きなジャズ喫茶も含め、かなり雰囲気の良い喫茶店が沢山あるところである。

 私のような団塊世代と言われる年配の者にとって、雰囲気の良いジャズ喫茶はどことなく郷愁を感じさせる場所である。

 私はアパートの近くの中道通りにある『散歩』という名の喫茶店によく行った。

 休日の気怠げな昼下がり、混んでいる時間帯を外して、妻を連れて入り、ブレンドコーヒーを注文し、妻と他愛の無い雑談を交わし、ゆったりとした無為の時を味わいながら過ごすのが好きだった。

 また、時には駅前のアーケードから少し入ったところにある『ホープ軒』というラーメン屋にも入り、豚骨系のかなり量の多い麺を味わって食べることもあった。

 ここも、行列が出来るラーメン屋ということで有名な店だった。

 行列が出来る店と言えば、駅前を少し入ったところにある佐藤肉店の球状のメンチカツ、『小笹』の羊羹、最中も忘れてはならない。

 この二つの店は隣接しており、どちらも結構長い行列が出来ることで有名な店だった。

 特に、『小笹』の羊羹は深夜から店の前に行列が出来、購入券を求める人で一年中混み合っていた。

 私にとって、この羊羹は幻の羊羹で未だ食べたことが無い。

 私が住んでいる中道通りにも名物の店が結構ある。

 例えば、アップルパイが美味しい『シャッターズ』という喫茶店とか、輸入食料品が実に安い値段で店頭販売されている『カーニバル』という雑貨屋など枚挙に暇が無い。


 私が気に入っていた和菓子の店がある。

 大手町の会社から東西線に乗って、吉祥寺の駅に着き、そのまま改札口を出ると、ロンロンという駅ビルの商店街に入る。

 この吉祥寺ロンロンの一階に、和菓子の店がある。

 『紀の国屋』という和菓子の店で、相国という名の最中、あわ大福などが売られている。

 私はこの『あわ大福』が好きで、通勤の帰りによくお土産として買って来た。

 同居している息子も、普通は甘いものは食べないが、この『あわ大福』だけは皮がもちもちとして美味しいということで結構食べてくれた。

 ただ、この『あわ大福』は日持ちがせず、翌朝には固くなり味はかなり損なわれた。

 つまり、その日の内に食べて下さい、という【警告】が買う都度、売り子から案内される餅菓子であった。

 売り場には店員として常時二、三人の娘が居たが、その中の一人が亡くなった一人娘に面影が似ていた。

 売り場のその娘を見かける度に、私の胸はいつも微かに疼いた。

 私の娘は幼稚園の頃、不慮の交通事故に遭い、五歳で帰らぬ人となった。

 今、生きておれば、丁度この売り場で働いている娘と同じ年頃と思われた。


 「このあわ大福を売っている店の女の子がね、麗子と良く似た女の子なんだ。年頃も大体同じかなあ」

 私は買って来た『あわ大福』を妻に渡しながら言った。

 「あらっ、ほんと? ならば、私も見に行こうかな」

 妻がお茶を淹れながら呟いた。

 「勿論、うちの麗子は五歳で亡くなっているし、十五年を経た今、どんな女の子になっているだろうか、想像するしか無いんだが、どことなく、顔立ちが似ているように思われるんだよ」

 「麗子が死んで、早いものね、もう十五年になるわ」

 「そう、もう十五年になるんだよ。月日が経つのは、本当に早いものだ」

 「麗子が五歳で、光一が八歳の時よ。生きていれば、今年二十歳の娘になっているわ。可愛い娘になっているはずよ」

 「本当に、不意に居なくなってしまったものな」

 「光一も、時々麗子のことを思い出すのよ。光一にとっても、辛い経験だったのよ」

 「光一と麗子。三つ違いの兄妹で本当に仲が良かったものな」

 私はお茶を飲みながら、妻に語り続けた。

 喜びというものはそれほど持続しないが、悲しみは随分と長く持続するものである。

 五年しか生きなかった子供は私たちの持続する悲しみとなっていた。

 「この吉祥寺だって、今もしかして麗子が生きていれば、喜びそうな街だよ。賑やかな中心街と少し離れた閑静な住宅街があり、大きなデパートもあれば、小さなブティック、雑貨店が一杯あるし。なんてったって、この吉祥寺は女の子にとって住んでみたい街のベストⅢに入る街だから」

 「ここからならば、東京ならば、どこの大学でも通えるし、その気になれば、駅近くに大きな料理学校もあるのよ。花嫁修業だって、・・・」

 妻が泣き出しそうな声になった。

 私は慌てて、話題を変えることとした。

 「そう言えば、光一の顔を見ないな。今日はどうしている?」

 「私だって、朝から光一の顔を見ませんよ。朝早く、ご飯も食べないで、出かけたきり、何の音沙汰も無しですよ」

 「会社の知り合いも言っていたけれど、今時の男の子は鉄砲玉だって。行ったっきり、戻ってきやぁしない」

 「男の子ばっかりでは無く、今は女の子もそうですって。下の前田さんの奥さんが言っていましたよ」

 「そうか、前田さんのところは女の子ばかり二人だけれど、女の子でもそんなものなのか」

 「私、明日、行ってみようかしら。その女の子、本当に麗子に似ているかどうか、確かめに」


 翌日、私はいつも通り、朝早く起きて、吉祥寺の駅から東西線に乗った。

 始発電車の多い三鷹ならいざ知らず、吉祥寺から電車に乗って座れる時間帯は七時少し前までの電車が最終だった。

 七時を過ぎた電車で座れるのは稀な僥倖を期待するようなものだった。

 いつも、三鷹でほぼ座席は埋まるという状態だったのだ。

 東西線で四〇分ほど揺られて、大手町に着く。

 会社はすぐ近くにあった。

 私が席に付いて、パソコンを開き、前日退勤後に着いたメールをチェックしていると、部下の福田が、おはようございます、と言いながら近づいて来た。

 工場の製品の品質トラブル関連で相談したいとのことだった。

 私は会社の品質保証の責任者をしており、工場の製品品質においても十分に把握しておかなければならない立場であった。

 福田から状況を聴き、私は彼に即刻新幹線に飛び乗って、工場に赴き、起こった品質トラブルの原因等の精査を行なうよう工場に要請すると共に、自分の眼で確認して来るよう、指示を与えた。


 席に戻った途端、机の電話が鳴った。

 麗子が交通事故で死んだ時もこんな感じだったな、とふと思った。

 一五年前となるが、その時は静岡県東部の神奈川県に近い街で暮らしていた。

 朝、いつものように工場に出勤し、品質管理課の自分の席に着いた時、電話がかかった。

 その電話は一人娘の麗子の交通事故死を告げる妻からの電話であった。

 幼稚園に向かう麗子たちの集団に一台の車が暴走して突っ込んで多数の死傷者が出た事故だった。

 麗子は五歳でその命を奪われてしまった。

 

 緊張して電話を取った受話器から、少し前に福田を出張で行かせた工場の工場長からの現状報告の電話であった。

 朝一番の電話は嫌だな、と思い独り苦笑した。


 その日も、いつもの時間に退社し、七時頃に吉祥寺駅に着いた。

 どうも、習慣となっているかも知れない。

 ロンロンの一階の人混みの中を歩き、いつもの和菓子屋の前に立った。

 『あわ大福』は残り少なかった。

 私が贔屓にしている女の子が運よく、私を迎えた。

 「あわ大福、三個下さい」

 「かしこまりました」

 丁寧に包装した後で、いつもの決まり文句を言いながら、私に手渡した。

 「日持ちは致しませんので、本日中にお召し上がり下さい。明日になりますと、固くなってしまいますので」

 「はい、分かっております」

 その娘はにこっと微笑みながら、私に言った。

 「いつも、お買い物のお客さまですよね。まいど、ありがとうございます」

 そう言って、丁寧にお辞儀をしてくれた。

 私は良い気持ちになって、売り場を離れた。

 初老の男にとって、若く綺麗な女の子に丁寧に応対されるのは、嬉しいものである。

 このような娘が居たらいいな、と思いながら家路に着いた。

 ドアを開けて、出迎えた妻にあわ大福の包みを渡した。

 妻は、笑いながら受け取った。

 「わたしも、今日の昼に行ってきましたよ。でも、買いませんでした。あなたの唯一の楽しみを奪うのは嫌でしたから。でも、あなたの言う通り、麗子の面影が良く似ている娘さんですねぇ。懐かしいような、びっくりするやら、・・・」

 また、泣き出しそうな顔をした。


 売り場の店員は全て、胸に名札を付けていた。

 伊藤友紀という名札をその娘は付けていた。

 売り場全体としては、十時から二十一時までの時間帯が開店時間となっており、二十一時になると、全体が閉店し、つまり全体入口、出口にシャッターが下りることとなっていた。

 それから、三十分ほどして、片づけを終えた従業員が三々五々駅ビルから出て来て、それぞれの家路に着くという姿が見えた。

 或る時、私も家路に急ぐ彼女の姿を見たことがある。

 客先で製品不具合が発生し、対策会議で帰宅が遅れた日の夜であった。

 駅の改札口を出て、中道通りに向かって歩いていると、二十メートルほど前方から見慣れた顔の少女が歩いて来るのが目に入って来た。

 和菓子売り場の売店の娘だとすぐ判った。

 ジーパン姿で軽やかな上着を羽織っていた。

 すれ違う際、どちらとも無く、今晩は、の挨拶を交わした。

 ふわっとした何とも言えない微笑と共に、娘は私の脇を通り過ぎ、駅の改札口の方に歩き去った。

 後ろを振り返ったら、彼女は既に人混みの中にその姿を隠していた。

 吉祥寺に住んでいるというわけではないのだな、と少し残念に思いながら私も中道通りを急ぎ足で歩いた。


 そんな或る日のことであった。

 夜、改札口から通りに出ようとした時だった。

 前方が少し騒がしかった。

 何気なく、騒ぎの方を見ると、女の子が数人の男に囲まれていた。

 その女の子というのが、伊藤友紀であった。

 状況から察すると、男たちにお茶でも飲まないと誘われ、断っている様子だった。

 しかし、男たちは執拗に伊藤友紀に絡んでいたのであった。

 普通なら、知らん振りで過ぎ去るのであるが、その時の私は違った。

 近づいて行き、友紀に声をかけた。

 男たちは一様に不躾な視線を私に浴びせかけてきた。

 娘に何のご用事?、という言葉を発した私を見て、親父が出てきたと思ったのであろう、男たちは舌打ちをしながら、囲みを解いて去って行った。

 「おじさん、ありがとうございました」

 「君のお父さんの振りをして、ごめん。でも、効果があったみたいだ」

 「本当に、助かりました。ありがとうございました」

 友紀から何度も礼を言われ、私は照れ臭かったが、嬉しかったのも事実だ。

 友紀と別れ、私は歩き始めた。

 未だ、胸がドキドキしていた。

 先ほどの男たちとの遣り取りで興奮していたのであろう。

 全く、普通の私らしからぬ勇気を振り絞った行為であった。


 胸が異様に高鳴り、少し気分も悪く吐き気を感じていたが、そのまま自宅に帰った。

 ただいま、と言って中に入った時、いきなり頭を何かで叩かれたような衝撃を覚えた。

 変だなと思い、後ろを振り返ったが、別に頭に当たるようなものは何も無かった。

 その後、ひどい頭痛に襲われた。

 私は以前から頭痛持ちであったので、妻に話し、バッファリンを飲んでみたが、その頭痛は少しも改善されなかった。

 その内、全身が締め付けられるような痛みに襲われた。

 筋肉痛と似た痛みであった。

 その耐え難い痛みは周期的に私の全身を襲ってきた。

 これは明らかに変だ、と思い、妻に体の変調を訴えた。

 妻が救急車を呼んでいるところまでは記憶しているが、その後、私は気を失ったようだ。


 私が気付いた時はベッドの上だった。

 病室のベッドの上で、目を開けた私の顔の前に心配そうに見詰める妻の真剣な顔があった。

 妻から聞いたところでは、ここは武蔵境にある病院で私が居るところは脳外科の病棟であるとのことだった。

 一週間、意識不明で寝ていたらしい。

 病名はくも膜下出血とのことであった。

 幸い、出血は脳の方にはほとんど行かず、下の方に行ったらしかった。

 「でも、あなた、尿の方は数日真っ赤だったとのことよ」

 「血尿か。で、頭の方は何かしたの?」

 「開頭手術、ということ。何もしないで、ただ抗生物質だけ大量に投薬しただけ、というお話よ」

 抗生物質のせいか、後頭部の髪の毛が大量に抜け落ちたのにはびっくりした。

 後で、医師に聞いたところでは、くも膜下出血で手術もせず、後遺症もなく、このように元通りに回復した私のような事例は二~三%程度しかない、ということだった。

 貴方は運が良い、長生きしなさいという神様の計らいかも知れませんよ、という話が後に続いた。

 結局、その病院には一ヶ月半ばかり入院し、その後、検査のために他の病院に移り、無事に退院したのは、発病以来、かれこれ二ヶ月ばかり経った後だった。

 途中、会社から上司やら部下が見舞いに来てくれて、私を恐縮がらせた。

 衰えた足のリハビリも終え、会社に出勤したのは、十二月も初旬となっていた。


 「間に合ったのかな。丁度、三個ある。そのあわ大福を三個、下さい」

 「あら、おじさん。お久し振りですね。お元気でしたか?」

 「うん、まぁ、何とか。伊藤さんも、元気そうで、何より」

 少女は微笑みながら、あわ大福をショーケースの中から取り出し、丁寧に包装し始めた。

 「あわ大福は本日中にお召し上がり下さい。明日になると、固くなってしまいますので」

 「はい、分かっています」

 娘のビジネスライクな決まり文句の言葉に頷きながら、私も答えた。

 その時、私の心の中で何かが弾けた。

 弾けて現われたのは、ようやく、元に戻って来たのだという安堵感であった。

 私は何とも言えず、温かい気持ちに包まれた。

 不意に、くも膜下出血に襲われ、生死の境を彷徨った私にようやく、長閑(のどか)な日常が訪れて来たのだった。

 二ヶ月振りに訪れた懐かしい日常だった。

 このような、何げない平穏に包まれた日常というのはありがたいものと感謝しながら、私は駅ビルを出て、中道通りに向かった。

 ふと、頬に冷たいものを感じた。

 視線を上げると、空から雪が舞い降りてきていた。

 それは初雪が舞い降りてきた瞬間であった。

 どこからか、クリスマス・ソングが流れて来た。

 もう、十二月になったのだな、とその時初めて冬の到来に気付いた。

 歩きながら、息子の光一と伊藤友紀という女の子が交際し、結婚するというイメージを心に抱き始めていた。

 それは、何の前触れも無く、現われた幻想的光景であったが、夢想する私の心は大いに満たされていった。

 これくらいの夢は見させてもらっても良いだろう、と私は苦笑しながら思い、雪の降る中を歩いて行った。




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