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企画参加作品

運玉ころがし

作者: keikato

 大分県の国東半島に富来神社というのがある。ご存知の方もいらっしゃるだろうが、宝くじの当選を願う者たちが多く参拝することで有名な神社だ。

 して、運玉なるものをご存じだろうか? 神社の獅子が足で押さえつけている、そう、あの丸い石の玉である。

 運がない。

 ツキがない。

 秋を迎えると同時に、なぜか絶不調の波も迎え入れてしまった。


 オレの趣味は唯一パチンコ。ほぼ毎日、時間さえあればパチンコ店に通っている。

 それが、ここ一カ月半ほど連戦連敗。

 勝利の女神にはつれなくソッポを向かれ、貧乏神にはしつこくストーカーのされっぱなし。まさしく踏んだり蹴ったりだ。

 女神の微笑みが恋しく、通う店、打つ台をたびたび変えてみた。だが、どこに行こうと何をしようと結果は変わらず。しかも貧乏神のヤツには手をたたいて笑いまくられている。

 オレの勝負のツキは、いずこに雲隠れしているというのだろうか。

 戦況は好転のきざしすら見えなかった。

――パチンコなんかクソクラエだ!

 つい叫びたくなる。

 ならばやめてすむものなのだろうが、それはなんともシャクではないか。

 実益さえともなえば、これほどすばらしい趣味はない。それに、ちょっとした運をきっかけに、一気に勝ちに転じることもある。

 カケゴトとはいたってそのようなものなのだ。


 そんなおり。

 ある知人から、国東半島にあるという富来神社のことを耳にした。

 富来はとみくと読む。

 その名のとおり富が来るという。で、宝くじの当選を願う者たちにはとくに人気があるらしい。

 さらに宝くじは、その昔は富くじと呼ばれていたのだ。

 これはシャレにもなっている。

 なんとも朗報である。

 パチンコも当たりを願うところは同じ。宝くじに御利益があるのであれば、パチンコにもあってしかるべきであろう。

 神はすべてに光をあてられ、あまねく救いの手をさしのべられる。

 神の存在などもうとう信じないオレだが、富来神社なるものに参拝してみることにした。ようは苦しいときの神頼みである。

 富来神社の神にすがるしかない。


 右手に海をながめながら、目的地に向かってひたすら車を走らせた。

 目印にしていた漁港の三叉路、そこの信号で国道を左に折れ、富来神社に続く道へと進入した。まっすぐな道路は広い農地を裂くように伸び、そのところどころにコスモスの花が色をそえていた。

 遠く前方には紅葉で色づき始めた山なみ。その峰の稜線が西日にぼんやりかすんで見える。

 日が暮れるのもじきであろう。

 田畑の広がるのどかな風景のなかをひたすら進んでほどなくのこと。道路沿いのわかりやすい場所に、富来神社がその神々しい姿を見せた。まわりの木々とともに黄昏どきの淡い光につつまれている。

 神社に隣接する駐車場に車を停め、そこから神門に向かって進み歩く。参道の石畳には、頭上に繁る木々の枝が薄い影を落としていた。

 オレは石の鳥居を抜け、両開きの扉のついた神門の前で立ち止まった。

 この先は神の領域だ。

 神を信ずる者になりすまし、門を抜けて境内に足を踏み入れた。時刻もさがっているせいか、参拝者の姿は見あたらず、境内はシンと静まりかえっていた。

 オレは手水舎で口と手を浄め、それからまっすぐ拝殿へと向かった。

 拝殿の前、その両脇に狛犬が鎮座している。

 向かって右の口を開けているのが阿。

 左の口を閉じているのが吽。

 これくらいの知識ならオレにもある。

 二体は太い足を行儀よくそろえ、しっかり前方を見すえていた。その威風堂々とした姿はかのスフィンクスを思わせるほどだ。

 拝殿の奥に向かって、まずは一礼。それからそこで靴をぬぎ、おごそかな拝殿の中に進み上がった。

 賽銭箱は奥の中央に設置されてあった。

 できるだけ大きな音がするよう、オレは力強く五百円玉を投げ入れた。

 ハデな音が拝殿内にひびきわたる。

 ご寄付の音は神の耳に聞き届けられたはずだ。

 さらにオレの存在を確認していただくため、頭上の鈴をガラガラと長いこと鳴らした。

 これからが本番である。

 拝礼作法の手本書きを見てから、とにかく手を打ち鳴らし、二度三度と腰を折って頭を下げた。

 そして真剣に願う。

――パチンコに勝たせてください。かならずや、かならずや勝たせてください、お願いします。

 賽銭箱の右脇には、御祈祷のお札と参拝者芳名帳の置かれたテーブルがあった。

 芳名帳に氏名を書き、あとは大きく勝負開運とだけ記した。さらに寄付箱に五百円を入れ、開運祈祷のお札をいただいた。

 これでパチンコに勝てるのなら安いものだ。

 遠い地まで足を運んだ目的は果たした。あとはここにおわす神しだいということだろう。


 拝殿を出る。

 十月もなかばだというのに、いまだ空は暮れなずんでいた。

 帰りぎわのこと。

 神門をくぐろうとして、この富来神社を教えてくれた知人の話を思い出した。その知人によると神社の由来はずいぶん古く、文化財としてもかなり重要なものだそうである。

 神門の扉と天井に目をやる。

 そこに施された彫刻には、たしかに目をうばわれるものがあり、そうした知識を持ち合わせていないオレにも、古き時代と芸術性の価値を感じさせた。

――せっかくここまで来たんだから。

 オレはそう思い直し、見学のため拝殿の奥にある本殿へと足を向けた。

 境内の脇に矢印の記された立札が立っていた。

 見学の順路は左まわり、すなわち拝殿に向かって右側から進み入る。

 拝殿の横にも一体の狛犬がいた。

 そばまで歩み寄って説明書きを読むに、狛犬ではなく子連れの唐獅子と記されてある。あらためて見直すと、なるほど数匹の子獅子が親獅子の足元にまとわりついていた。

 さらに奥へと進んだ。

 御神木である樫の巨木の脇を通り抜け、木々の繁る本殿裏の薄暗い小道を歩いた。そして最後のかどをまわったところで、オレはおもわず息を呑み、両目を大きく見開いた。

 なんと、なんと……。

 そこには獅子に抱かれた直径三十センチほどのパチンコ玉があるではないか。むろん、それは石の玉ではあるが、形はパチンコ玉そのものである。

 獅子にかけ寄り説明書きに目をやると、それには運玉を抱く唐獅子と記されてあった。

――これだ!

 パチンコ玉を抱いた獅子。

 この獅子こそ、まさにパチンコ神の使いではなかろうか。

 偶然ではない。出会うべくして、オレはパチンコ神の使いと出会ったのだ。

――連戦連勝だ。

 先ほど拝殿でお願いしたことが、この運玉によってすべて叶えられる気がした。

 オレは何度も運玉をなでまわし、何度もほおずりを繰り返した。運玉の運気を全身で吸いとり、それを体内に充電するかのごとく……。

――うん?

 ふと、目の前の運玉に違和感をおぼえた。

 冷静になって見直すと、獅子の腹の下にある運玉がパチンコ玉のような真ん丸な球ではないか。

 やや縦長の楕円球である。

 石細工師のおもわぬ仕損じか、それともはなから石そのものの寸法が足りなかったのか。

 いかなる理由があるにしろ、完璧な球形でないことが不満に思えてきた。充電した運気も、急速に放電していくようにさえ思えてくる。

――どうして? どうして完璧な球に彫ってくれなかったのか。

 まことにもって残念である。

 しばらくの間。

 オレは放心状態となって、未練がましく縦長の運玉を見ていた。


 ふいに背後で人の声がした。

「いかがなされましたのかな?」

 おどろいて振り向くと、白衣と紫バカマに身をつつんだ老人が立っていた。

 この神社の神主であろう。

「いえ、べつに……」

 おもわず獅子から一歩しりぞいていた。

「この唐獅子の歴史は古く、一八四五年に彫られたものでしてな」

 神主が自慢げに獅子に手を触れる。

「ずいぶん前なんですね」

「これはまだ新しいほうで、拝殿の前にある狛犬は一七九二年の作。この神社の開かれたのは、さらにずっと前で、十世紀までさかのぼりましてな」

 神主はひと呼吸おいて、オレに目を向けた。

「で、長いこと運玉を見ておられましたな。なにか気になることでも?」

 さすがは神主である。

 オレは心の中を見透かされたような気がした。

「この玉がどうして真ん丸でないのか、そのように思いまして」

「なるほど。たとえそれに気づいても、疑問に思う者はおりません。なぜ、そんなことをお思いに?」

 神主はさらに問うてきた。

 この獅子がパチンコ神の使いであるならば、手にするものはパチンコ玉のごとく完璧な球形であってほしかった――とは、さすがに話しにくい。

 オレは返事に窮して、とっさの思いつきでその場をとりつくろった。

「真ん丸であれば安定すると思ったんです。獅子が手をはなすと転がりそうで」

「よくお気づきに。理由はまさにそれでしてな」

 神主がうんうんとうなずく。

――デタラメで言ったのに。

 オレは内心おどろいた。

「これが横になっておれば、おそらく不安定に感じることもなかったんでしょうな。こうして縦になっておるものですからなあ」

 神主が運玉をなで、意味ありげな言葉を口にする。

――この玉には縦と横があるというのか?

 玉は転がるごとに天と地が入れ替わるとしたもので、そもそも縦横などないはずだ。

――どういうこと?

 神主の言わんとする真意が、すぐには頭の中で整理がつかない。

「はあ」

 オレは生返事を返していた。

「今夜は満月でしたな」

 神主がやおら空をあおぎ見る。

 夕暮れの薄暗い空に、それこそ真ん丸な月が昇ろうとしていた。

「今夜の十二時きっかり、もう一度ここに来てみなされ。きっと疑問がとけますでしょう」

「こうして不安定になっている理由が、夜に来ればわかるというんですね」

「はい、おわかりになります」

 神主は笑顔を作ってみせた。

――今夜、祭りごとでも催されるのかな?

 開運祈祷の神事のごときのものがあるのかもしれない。パチンコ必勝を願うのであれば、それを見物するのも一興であろう。

 オレはしかとうなずいていた。

「では、神門の前でお待ちしておりますよ」

 立ち去る神主のうしろ姿が黒い粒子となって、本殿裏の薄闇にとけこむように消えてゆく。


 十二時前。

 オレは再び富来神社にやってきた。

 神社に人の気配はなく、あたりは暗く静まり返っていた。祭りごとどころか、なにごともなされていないようである。

 月明かりのもと、駐車場から参道を通って神門に向かった。

 神門の前に装束姿の神主が見えた。

 神主は閉じられた扉の中央に立ち、なにやら一心に境内をのぞき見ている。

――いったいなにを?

 声をかけるのさえためらわれる気配だ。

 そろりそろり神門に歩み寄る。

「おう、来られましたな。そろそろ始まりますよ」

 神主はオレに気づくと、子供のような無邪気な笑顔になった。

「わざわざすみません、こんな夜分に」

「気になさりなさんな。ひさしぶりに私も見たくなったものでね」

 神主が境内に目をもどす。

――どういうこと?

 今、神主は神門の外にいて、ひっそりとした境内をのぞき見ている。主役の神主抜きで、いったいなにがなされようというのだろう。

「これからなにか始まるんですね」

 神主の背中に問うてみた。

「ええ、じきに始まりますよ。さあ、あなたもご覧になるといい」

 神主が体を横にずらしてくれた。

 二枚の扉の間にわずかなすき間があった。目を押しあて、オレもそこからのぞき見る。

 月明かりの降り注ぐ境内が見えた。

 それから間をおかず、オレは腰を抜かすほどおどろくことになった。


 狛犬二匹が台座から飛び降り、拝殿前の境内でじゃれ合うように走りまわり始めた。

 阿と吽である。

――幻なのでは……。

 頭を強く振って、となりの神主をうかがい見た。

 神主はおどろいたようすもなく、平然とした顔で変わらず中をのぞき見ている。

「どうして石の狛犬が?」

「私にもわからんのです。ただ先代の話では、あれらがここに来たときから続いているようです」

 神主は声がひびかない程度にしゃべった。

 いたって冷静である。

 オレは気をとり直し、信じられない気持ちで再び境内をのぞき見た。

――うん?

 さっきより数が増えている。

 大きいのが一匹と小さいのが三匹。子連れ唐獅子の一団であることは一目瞭然である。

「いつもこんなことが?」

「いつもじゃありません。満月の深夜だけです。それも今夜のように晴れてなければなりません」

 神主は目をはなさずに答えた。

「あっ! あれって運玉じゃ?」

 丸い石が境内に転がり出てきたのだ。

「そう、運玉です。あの獅子も、じきにやってきますよ」

 その言葉が終わらぬうちに、拝殿の脇から一匹の獅子が飛び出した。あの定位置から本殿の裏を通り、運玉を転がしながら境内までやってきたのだろう。

 境内の隅に転がった運玉を、獅子が拝殿前の中央まで転がしてきた。

 するとだ。

 運玉のそばに狛犬二匹と子連れ獅子が集まった。そのまわりを子獅子三匹がかけまわっている。

――いったいなにを?

 息をひそめ、かれらのすることを見守った。

「始まりますぞ」

 神主がうれしそうに言う。

 その言葉どおり。

 狛犬と獅子は先を争うように、いっせいに運玉に飛びついた。

 運玉がゴロリと転がる。

 それが止まったところで、かれらは再び運玉に飛びかかった。

 運玉が転がって止まる。

 かれらが飛びかかる。

 それが何度も繰り返された。


 運玉はときとしてあらぬ方向へと転がった。ボールのような完全な球ではないせいである。

 それからも……。

 運玉は境内をゴロゴロと転がり、獅子たちはそれをうれしそうに追いまわしていた。

「なにをしてるんです?」

「それがわからんのですよ。あれがなんらかの儀式なのか、それともただの遊びなのか、先代も知らないと申しておりました」

 神主は昔からわかっていないと言う。

「いずれにせよ楽しそうでしょう」

「ええ」

 かれらはたしかに楽しそうだ。

 必死に運玉を転がして、それを追いかける姿が毛糸玉でじゃれる子猫のようなのだ。さらに運玉がおもわぬ方向へと転がったときなど、ことさら喜んでいるように見えた。

「運動会の大玉ころがしみたいですね」

「ですな」

 神主はうなずいてから、

 ヘックション!

 ひとつ、はでなクシャミを放った。

 同時に。

 狛犬と獅子の姿がいっせいに消えた。

 運玉も消えていた。

 よく見ると……。

 阿と吽はそれぞれの台座にもどっていた。おそらく獅子たちも己の台座に帰ったのだろう。

「いや、申しわけない」

「気づかれたのですね」

「そのようですな」

 神主とともに神門の前に腰をおろし、オレは扉を背に寄りかかるように座った。

「もう出てきませんか?」

「次の満月の夜までは。わざわざ来てくださったのに申しわけないことをしましたな」

 神主が頭を下げる。

「とんでもありません。あんな不思議なものが見られただけでありがたいことです」

 ただ、ひとつ気になることがある。

 このような魔訶不思議なことが、これまでなぜ世間に知られていないのかということだ。

――極秘の神事なのだろうか?

 昔から延々、この神社の秘密事とされてきた。

 そうとしか考えられない。

 だったらなぜ、神社とは無関係なオレに見せてくれたのだろう。

「あのような不思議なもの、どうして見ず知らずのボクに?」

「あれは、だれもが見えるわけではないんですよ。見える者にしか見えないものですから」

 神主はこともなげに答えた。

「では、ボクは見える者ということに」

「ですから、こうしておさそいしたのです」

「でも、どうしてボクが見える者だと?」

「私にもあれが見えます。あれが見える者には、見える者がわかるのですよ。さあ、行ってみましょう」

 衣擦れの音をさせ、神主は扉に向かって立ち上がった。

「どこへです?」

「運玉のところですよ。あなたの疑問に、まだお答えしていなかったでしょう」

「そう、そうでしたね。そのことで来たのでした」

 あまりに不思議なものを見たせいで、オレは肝心なことをすっかり忘れていた。

 神主が扉を押し開く。


 台座に座った獅子はこころなしか顔をそむけ、とりすましているように見えた。

 ただ運玉は、変わらずしっかり胸に抱いている。

――これがさっきまで……。

 まったく信じがたい。

 だが、現実のことだ。自分の目で、しかと見たのだから……。

「転がりかたを見て、どう思いました?」

 神主が運玉に手をあて問うてきた。

「てんでに転がっていましたね。玉が真ん丸じゃないからでしょう」

「そう、それが答えなんですよ」

 運玉が真ん丸でないことが、こうして縦に、そして不安定になっていることと、どう関係しているというのだろう。

「どういうことです? ボクにはさっぱり……」

「手をはなすと転がりそうだ、不安定に見える。あなたは、そうおっしゃいましたな」

「ええ」

「で、この獅子の名前はご存じでしょう」

「運玉を抱く唐獅子です」

「まさにそれなんですよ。見てのとおり、この獅子はしっかりと玉を抱いております。転がらないようにですな」

 神主がポンポンと運玉をたたいてみせる。

「では、あえて縦にされている。真ん丸でないのも計算されて?」

「そのとおりです」

 神主はうなずいてから、オレの目を見て言葉を継いだ。

「そうすることにより、玉を抱くということに意義が生じるでしょう」

「それでこんな形に。ところで、なぜ運玉と呼ぶのでしょうか?」

「この玉は、どちらにどう転ぶかわからない。すなわち思うようにはならない。運とは、そのようなものなのです」

 ここでさすがに……。

 オレにも運玉の意味するものがわかってきた。

 運は自由に操れるものではない。

 運玉とは、運が人の目に見えるよう形にしたものなのだ。

「運玉は運そのもの。その運が転がらないよう、こうして抱いてるんですね」

「よくおわかりになりましたな。ところが、まったくわからんのですよ。みなでああして、運玉を転がす意味がですな」

「ボクには遊んでいるように見えました。ずいぶん楽しそうでしたので」

「そうかもしれませんなあ。じっと台座に座っているだけじゃ、獅子たちもつまらんでしょうからな」

「で、どうして満月の夜なんでしょうね?」

「そのこともわかっておりません。ただ……」

 神主が月をあおぎ見る。

 空には満月が煌煌と輝いていた。

「これは、私が勝手に思うところですがね。獅子たちは、運玉を月だと考えておるのではと」

「丸いところはたしかに同じですね。でも月は、日がたつにつれ欠けていきます。すると似ても似つかぬ形になりますが?」

「ですから満月の夜ではないかと。月がもっとも満ちたとき、つまり運の満ちたとき、獅子たちはそこが気に入っているんですよ。それに、これはこじつけと申しますか……」

 神主は前置きしてから、ひと言ずつかみしめるように言葉を続けた。

「月はツキ、ツキは運。すなわち、月は運ということですな」

 シャレをまじえたみごとな三段論法である。

 神主がさらに続ける。

「月に満ち欠けがあるように、運にも満ち引きがあります」

「たしかに、そこらは同じですね」

 カケゴトがまさにそうなのである。

 勝負の運が引いてしまっているのが、今のオレなのだ。

「それにときとして、月は雲に隠れてしまうこともあります。ですから、今夜のように晴れてなければならないのだと思いますよ」

 なるほどそのとおりである。

 たとえ満月でも雲に隠れていては、地上が照らされることはない。

――そういえば……。

 オレの月、つまりオレの勝負のツキは、ずっと雲隠れをしたままなのだ。

 ここで。

 神主の口から思いもよらぬ言葉が出る。

「あなたは、パチンコに負けるのは運がないから、ツキがないからだと考えておられる。それでその運を願うため、わざわざここへ来られましたな」

――えっ?

 芳名帳には勝負開運と記しただけだ。

 勝負開運だけで、どうしてパチンコだとわかったのだろうか。

 神に仕えてはいても、神主はもとより人である。他人の心中まで見透かせるとはとうてい思えない。

「どうして、そのことがおわかりに?」

「私は神に仕える身ですからな」

 神主が口元に笑みを浮かべる。

――そうか、あのときだな。

 勝負開運と記帳し、運玉にほおずりをすれば、行きつくところはパチンコしかないではないか。

 すべて見られていたのだ。

「いえ、まあ、すみません。なんともやましいお願いをして」

「かまいませんよ。いかなる願いにも、神は耳を傾けてくれるものです」

「お願いします」

 オレは深々と頭を下げた。

「そう、そう。あのときのお賽銭の音、しかと耳に届きましたよ。ははは……」

 神主が豪快に笑う。

 なんと拝殿でも見られていたのだ。

 バチあたりなところを見られ、しかも下心まで見透かされていたとは……。

「欠けた月は、やがて満ちることになります。あなたのツキも、そのうち満ちることでしょう。それに今は雲に隠れていても、いずれ顔を出すものです」

 そう言い残し……。

 神主は獅子の前から立ち去っていった。


 その日の朝。

 オレは富来神社に来ていた。

 神主の特別なはからいで、夜も遅く貴重なものを見させていただいた。なのに夕べはああした別れで、うっかりお礼を言いそこねてしまった。

 で、あらためてお礼をと思ったのだ。

 神門をくぐったところで、白衣赤袴姿の巫女さんと行き合わせた。

「神主さん、いらっしゃいます?」

「はい、少しお待ちください。お父さーん、お客さんよー」

 巫女さんが社務所に向かって呼びかける。

――娘さんなのか?

 オレは少なからずおどろいた。

 その巫女さんは、神主の孫といっていいほど年若いのだ。

 社務所のドアが開き、ラフな服装の人物が足早に歩いてきた。

 夕べの神主とは別人である。

「宮司ですが」

 その人物はオレに向かって一礼した。

――宮司?

 あまり耳なれない言葉である。

 神主は別にいるということなのだろう。

「あのー、神主さんは?」

「神主は私ですが」

「ですが、さきほどは宮司さんだと?」

「宮司は神主でもあるんです」

「では、ほかに神主さんは?」

「おりません。ここは私だけですので」

 宮司だと名乗った人物は、ここでただ一人の神主だと言う。

――どういうこと?

 とまどいを隠せず、宮司に向いた視線がついいぶかしげになる。

 宮司は自分の身なりに目をもどした。

 セーターとズボンということに気づいたのか、決まり悪そうな顔で苦笑いする。

「ちょっと外に出ていたもので」

 神職らしくない服装のせいで、神主だと信じてもらえないのではないか。そう勘ちがいしたらしい。

「だから早く着替えなさいって」

 娘さんがそばで唇をとがらせた。

 横目で父親をにらみ、かわいらしい顔をしかめている。

 娘さんも同じことを思ったようである。

「いえ、そうではないんです。その神主さんは、ご老人の方でしたので」

 あわてて二人の誤解をといた。

「ねえ、お父さん。もしかして、それっておじいちゃんかも」

 娘さんが宮司の顔を見やる。

「まさか」

 ひと言つぶやき、神主はなぜかマユをひそめた。

 その面長な顔があの老人とよく似ている。

――そうか。

 あの老人は宮司の父親で、すでに隠居をしている先代なのだろう。

「お父さん、今日はいらっしゃいます?」

「父は亡くなりました」

「亡くなられた?」

「去年のことです」

「でも、昨日はここにいましたよ。白衣と紫の袴のご老人が……。じゃあ、あの方は?」

 その問いに、すかさず娘さんが答える。

「おじいちゃんかもしれないんです。お父さんとちがって几帳面で、いつだって装束でしたから」

「ですが、さきほどは亡くなられたと」

「写真を」

 神主が娘さんをうながした。

 そのひと言で、すべてが通じたようだ。

 娘さんはうなずいてから、すぐさま小走りで社務所に向かった。

 夕べ、オレは死んだ者と話をしたというのか。

――まさかそんな……。

 娘さんの帰りを待てずに聞いた。

「なにかご事情でも?」

「実を申しますと、これまでもいく度か、父を見たという話がありましてね」

「亡くなられたお父さんを?」

「はい、ここで父をです。ですが、チラッと見ただけだといいますので、私と見まちがえたのだろう、そう思っておりました。ですが、あなたは服装まではっきり言い当てています。まさかとは思いますが」

 宮司はそう言ってから、社務所に視線を移した。

 額縁を小脇にかかえた娘さんが、砂利石を踏み鳴らしながらもどってくる。

「どうです?」

 娘さんが手にある写真をオレに向けた。

 あの老人は、その写真の中でも白衣と紫色の袴を身につけていた。

「この方でした。まちがいありません」

「お父さん、やっぱりほんとだったのよ」

「どうもそうみたいだな」

 宮司は己を納得させるようにうなずいてから、オレに問いかけてきた。

「父を見たのは、このあたりの者以外ではあなただけです。生前の父とは深いご縁でも?」

「いえ、会ったのは昨日がはじめてです。お父さんに声をかけられまして」

「父が声をかけたんですか?」

「はい、そのあと話もしました」

「これまでは父を見た、ただそれだけでした。それさえ信じがたいのに、話までしたとは……」

 宮司の視線が境内に向かって宙を泳ぐ。

 ふと、昨晩のことを思い出した。

 今にして思えば……。

 昨晩のことだって、この目で見たとはいえ信じがたいことではないか。それに、あの老人がオレに声をかけたことにも思い当たることがある。

 老人はこう言ったのだ。

 見える者には見える者がわかるのですよ、と。

 オレには獅子たちが走るのが見えた。だから見える者として、オレに声をかけたのだ。

 ということは、ほかの者は見ていないということだろう。それに聞かされてもいないのだろう。

 昔から続いているという、獅子たちの運玉ころがしのことは……。

 そのことを確かめるべくたずねてみた。

「獅子たちの運玉ころがしのことは、生前のお父さんからなにか聞いていますか?」

「運玉ころがし?」

 宮司は首をかしげてから、目で問うように娘さんの顔をうかがい見た。

 娘さんが首を横に振る。

 運玉ころがしのことはやはり知らなかった。先代の神主からなにも聞かされていないのだ。

――そうか!

 先代も、そのまた先代も、生前は見えていなかったのだろう。

 だとしたら話せるはずがない。

「聞いてないんですね」

「はい。その言葉自体、はじめて聞きました」

「実は昨晩、お父さんといっしょに見たんです。境内で、獅子たちが運玉を転がすのをですね」

 運玉ころがしのようすを、オレは二人におおまかに話して聞かせた。

「でも、みんな石ですよ」

 娘さんが信じられないといった顔をする。

「信じられなくて当然です。ボクだって、まるで幻を見ているようでしたから」

「それで、父はほかにもなにか話を?」

「ずいぶん話されましたよ」

「その話、よろしければ聞かせていただけませんか?」

「もちろんです」

 断る理由はない。

 それに話したかった。

 老人のひとつひとつの言葉を家族であるこの人たちに伝えたかった。

 運玉の云われのことを知ってほしかった。


 社務所の一室。

 運玉のことを順を追って話した。

 パチンコ必勝を願って参拝したことも、つつみ隠さずにしゃべった。

 老人のみごとな三段論法も話した。

 二人は口をはさまず、ときには神妙な顔で、ときには口元をほころばせていた。

 最後に老人の印象そのままを述べた。

「とてもきさくな方でした」

「あのオヤジがねえ」

「いかなる願いにも、神は耳を傾けるものだと。ですからパチンコ必勝のお願いをしたときも、欠けた月はやがて満ちることになる。あなたのツキも、そのうち満ちるだろう。そうおっしゃってくれました」

「おじいちゃん、すごくまじめで、そんなこと言わない人だったのに」

 娘さんはなぜだかうれしそうである。

「オヤジは古い人間で堅物でした。願いが叶うことで身を滅ぼしかねない者には、神は決して願いを叶えないものだ。常々、そんなことを話していたんです」

「そうなんですよ。カケゴトでお金をもうけようなんて、そんなヨコシマな考えはもってのほかだって。ですから、パチンコ必勝のお願いなんて」

「運玉にほおずりをするボクを憐れんで、つい同情してくれたんでしょうね」

 オレが苦笑いすると……。

 二人もいっしょになって笑った。

 宮司が言う。

「あの運玉にそんな云われがあったとは、恥ずかしながら私は知りませんでした」

「運というものは、良い方、悪い方、どちらに転ぶかわからない。神にも操れないもので、カケゴトの運もそうなのだと」

 オレは老人の言葉を拝借した。

「それではせっかく参拝していただいたのに、パチンコ必勝とはなりませんね」

「ですね。でも、そのうち勝つようになりますよ。欠けた月はいずれ満ちる。そうも教えられましたから」

「ほんとに好きなんですね、パチンコ」

「趣味をこして、ほとんど病気なんです。それも負けてばかりのですね」

 再び、三人で笑った。

 娘さんが、つと上目づかいになる。

「ねえ、お父さん。こんな不思議なこと、ほかの神社でもあるのかしら?」

「こんな仕事がら、説明のつかない奇妙な話はよく耳にするんだが、それでも狛犬や獅子が走りまわるなんてものはなかったな」

「おじいちゃんに会いたくなったわ」

 娘さんが壁にもどされた写真に目を向けた。

 歴代の宮司とともにあの老人がいる。

「いや、私たちは会えんのだろう。オヤジのいうところの、見える者ではないようだからな」

「それが見えるのですから、なにかしら特別な能力をお持ちになってるんですわ」

 娘さんがオレの顔をしげしげと見る。

「それはないと思います。そんなものがあれば、パチンコに負けないでしょうからね」

 オレは笑って答えた。


 帰りぎわ。

 宮司から神社特製の手ぬぐいを渡された。

 それは白地に紺色で、唐獅子と運玉が印刷された縁起物だった。

 さっそく使わせてもらおう。

 これをハチマキとして頭に巻いて行けば、運玉の御利益で、パチンコは連戦連勝まちがいなしだ。

「こりないお人ですな」

 そう言って笑う、あの老人の顔が目に浮かんだ。

最後まで読んでいただきましてありがとうございます。

誤字脱字などがあればご指摘していただけるとうれしいです。

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― 新着の感想 ―
[一言] たまたま別の方のパチンコの作品を読んだあとだったので、とても楽しく読ませて頂きました。 神主さんの正体にびっくりです。 見える人は大変だろうなぁと思うことはありますが、この主人公みたいなシー…
[一言]  賭け事、ギャンブル運とは不思議なモノで、とある作家でギャンブラー氏いわく~  大好きなマージャンにはまったく運が無く、競馬には運がある、とか。  あいつと競馬場へ行くと絶対に当らない、とか…
[一言] 狛犬や獅子をよく見ると、みんな其々に愛嬌がありますね。子供を背負っていたり、何かを持っていたり。ふと夜中に走り回っているのではないかと想像してみたことはありますが、実際に走り回っているとのこ…
感想一覧
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