天使(?)と酢豚
円形闘技場の中を進んでいくと、何やらグチャっグチャっと、何かを咀嚼するような水っぽい音が、守護者たちの鼓膜に伝えられた。
「全員、銃弾を装填して。
いつでも撃てるように準備を」
俺はそんな音に何か嫌な予感を感じて、背後に指示を飛ばした。
俺は音魔法を使って遮音結界を張り直すと、隊列を率いて奥へと進んだ。
暫くすると、広大な部屋に出た。
訓練場内に造った、闘技場の一つである。
外の穴からここまで、廊下を横切って一直線にここまで続いていたのだ。
闘技場にたどり着くと、そこは真っ赤に染まっていた。
「……」
鉄臭く生臭い匂いが、ツンと鼻をつく。
間違いない。
これは血の海だ。
俺は顔を顰めると、その中心にあるものへと視線を向けた。
するとそこには、切り刻まれた何かの肉と、その前で膝をついている一人の女性(しかし腰からは翼のようなものが生えている)がいた。
女性は、俺達の気配に気がついたのか、すっくと立ち上がると、頭を反らしながら、流し目にこちらを視界に映した。
ひらり、と金色の豊かな髪が、その背中に流れ、頭上に見える光の輪のようなものが、その頭の動きに連動して動く。
「なんじゃ、貴様らは。
淑女の食事を邪魔するでない」
鋭い眼光とともに、異常なまでの殺気を込めて、その女性は守護者たちを咎める。
(やばい、声が出ない……!)
対して俺は、その圧倒的なまでの圧力に耐えきれず、失神寸前であった。
彼女はそんな様子の俺を見つけると、「ん?」と一言唸って、こちらへとつかつかと歩み寄った。
(こ、殺される……!)
とっさにそう思った俺は、しかし蛇に睨まれたカエルのように動けないでいた。
しかし、そうしているうちに女性はこちらへとたどり着いてしまう。
女性は血の付いた長手袋を捨てると、ガッシと俺の肩を掴んだ。
絶体絶命!
そう、俺は覚悟してぎゅっと目を瞑る。
しかし、どれほど待っても、俺を襲う痛みはやって来なかった。
もしや痛みも感じないままに殺されたのでは?
そう、思った時だった。
「かわいいのぅ!」
そんな猫なで声とともに、俺は彼女の豊満な胸に抱き寄せられるのだった。
⚪⚫○●⚪⚫○●
血でべっとりと濡れて若干気持ち悪いが、悪くない弾力に包まれ、お陰で窒息しそうになった頃。
金髪の天使のような翼と輪を持つそれは、ようやく俺をそのメロン――もとい、体から引き剥がした。
「うぅ……」
なんか、くらくらする……。
あと、なんか生臭い……。
俺は目眩に耐えながら、何とか霞む視界で彼女に視線を合わせる。
そこにはかつての獰猛さは何処にもなく、凛とした面持ちが貼り付けてあった。
貼り付けてあった、と言うのはもちろん、あの映像が頭の片隅にこびりついているからである。
だから余計、そんな笑顔を向けられると恐ろしく思えてくる。
「ふぅ、久しぶりに堪能したのぅ」
彼女は満足げにちろりと唇を舐めると、自分の有様を見て顔を顰めた。
「大丈夫か、神様よ?」
「ああ、大丈夫……」
俺は駆け寄ってきたトンビにそう返すと、彼に支えられながら立ち上がる。
「ところで、お嬢さん一体何モンだ?」
心底面倒なことになったと心の底から嘆きながら、トンビはそんな彼女へ問いかける。
すると金髪のそれは、トンビをちらりと見据えると、一瞬だけ驚いたような表情を作り、そして俺の方を向いて「そういうことじゃったか」と一人納得顔をする。
「その手に持ってる物。
それから先程から鳴り響いていた破裂音。
さっきからワイバーンを屠っていたのは、もしや貴様らじゃな?」
女性は確信を得たりと言う風に、トンビの質問には答えず逆に質問を返した。
「だったら何だ?」
「だったら、わしが何者かを教えるわけにはいかぬな。
特に、そこのかわいい坊やには」
意味深な言葉を呟く彼女は、言いながらニヤリと微笑みをたたえた。
しかし、そんな彼女の意味不明な台詞に、トンビは目を細めて問い返す。
「どういうことだ?」
「いずれ分かる」
彼女はそんなトンビの反応に、どこ吹く風とやり過ごし、そのまま守護者たちの横を通り抜けようとする。
そして、何かを思い出したかのように、ふと立ち止まり振り返ると、彼女は最後にこう付け足した。
「中世まで待つ」
彼女はそう言い残すと、ツカツカとその場から去っていった。
「なんだ、アイツ……?」
⚪⚫○●⚪⚫○●
それから俺達は、飛竜の死骸を回収し、そのまま訓練場で血抜き、解体作業を開始する。
五頭中一頭は、あの金髪の天使(それにしてはいささか獰猛すぎるような気もするが)が食い散らかしていたので、そちらは俺が焼却処分することにした。
「裂傷……?」
食い散らかされた生肉の方へと歩んでいくと、グチャグチャになりながらも、いくつか原型をとどめている物の中に、筋を断つように鋭く斬られた刀傷のような裂傷を発見する。
(俺が見たとき、あの人は武器の類を携帯していなかった……)
俺は記憶を遡らせると、確かに刀剣の類は近くに見えなかった事を思い出す。
もし、刀剣でないなら、残る可能性は一つだ。
「もしかして、彼女も魔法が……」
咒にはそこまで攻撃的な威力を持つものは少ない。
形から見て風属性と考えるべきだろう。
俺はワイバーンの鱗を突きながら、そう思考する。
(やっぱり、咒で切れるほど柔くはないな……)
何者なんだ、アイツ……?
それに、中世まで待つって……。
「考えてもわからないなら、考えないでいいって事にしておこう」
俺は言い聞かせるように呟きながら、思考を放棄してその肉を焼くことにした。
ちょっと香ばしい匂いがして、そういえばもうすぐ昼食頃だと思い出す。
「ワイバーンって、美味しいのかな……?」
俺はそんなことを考えながら、燃え盛る肉片に視線を落とす。
でも、焼肉するならタレがほしいよなぁ……。
甘じょっぱくて、ちょっとだけピリッとしてる、焼肉のタレ……。
……なんか、ここのご飯味気ないんだよなぁ。
塩と砂糖はなんとかなったけど、他の調味料がまだなぁ……。
お酢があったら、マヨネーズができるし、あ、酢豚とかいいかもしれない。
でも、醤油がまだないなぁ……。
料理酒もないし、ていうか、お酒見たことないな。
この世界にお酒ってあるのか?
あ、そうだ。
みりんも無いや。
そういえばみりんってどうやって作るんだろう?
江戸時代にはお酒の代わりとして、下戸の人がよく飲んでたってテレビで聞いたことあるけど……。
「んなぁ〜……。
酢豚食いたくなってきた……。
お野菜ゴロゴロ、お肉たっぷり……」
創造魔法で作れないかな、みりん。
お酒なら、生物学で発酵の仕組み習ったしできそうだけど、なんか時間掛かりそうだなぁ……。
醤油もそういえば作り方わかんないな……。
大豆は……。
似たようなのあるし、それでいいかな?
あ、大豆といえば納豆ご飯も食べたいな……。
藁があったら、熱湯で納豆菌以外を殺して、その中に大豆入れて放置したらできるし……。
でもお米がないな。
酢豚食うんだったら白米が欠かせない。
大陸に行ったらあるかな?
白米と、酢豚と、あと味噌汁もほしい。
味噌汁なら何が合うかな?
豚汁か?
同じ豚使うし。
あー、お肉焼いてたら食べ物のことしか考えられなくなってくる……。
この世界の食事事情、恐るべしかな……。
⚪⚫○●⚪⚫○●
やがて肉片は灰になり、土魔法の錬成・変形によって、地面に流れた血液は鉄塊となり、灰は肥料となった。
時を同じくして、守護者たちの方も解体と分別を終えたようで、それぞれ俺が用意した容器に分けていく。
そして、それぞれに平仮名で書いたラベルを貼って、それを俺が風魔法で浮かしながら集落へと帰還する。
あとのことは全部トンビに丸投げすると、俺はそそくさと神殿へと帰宅した。
ちなみに、今後のライフルの扱いに関しては、全て神殿の倉庫に格納してあるので、使うときは俺に申請してから出ないと使えないようにした。
だって、あんなのが普通に使えたら、治安とか維持するの面倒じゃん。
「ふぅ……」
俺は一息つくなり、ベッドの上にダイブする。
今日はもうなんか疲れた。
メイドがご飯持ってきたら、それ食って風呂入って寝よう。
俺はそう考えると、紙に「ご飯ができたら起こして」という旨の置き手紙を扉に貼って、眠ることにした。




