奇襲
「――急急如律令」
それは、丁度月のない夜だった。
集落を囲む巨大な堀を飛び越える影があった。
黄色いオーラが肉体を包み、異常な身体能力を発揮して飛び越えたそれは九つ。
一つは老人。三つは獣人。そして残りは軽鋭。
彼らは馬防柵の上に踊り立つと、更にそれを足場にして跳び上がる。
その様はさながら忍の如し。
九人は高い城壁の手前に着地すると、姿勢を低く取って壁際まで走り寄った。
「では、散!」
老人の合図で、集団は四つのグループに別れる。
それぞれ壁の四方へと回り込みながら、何やら壁に札を貼り付けていた。
その札には魔法陣のような幾何学的な模様が描かれており、それは黄色いオーラを湛えていた。
全員が配置についたことを、彼らに追随していた鳥の目を通して、オウガイは確認する。
彼は全員に指示を出すと、外で数人が待機して、それぞれの地点から一人が、音もなく壁を駆け上って行った。
(案外、楽じゃな)
オウガイはそうほくそ笑むと、右足の踵を床に打ち鳴らす。
すると仕込まれていた仕掛けが反応して、床に光の陣を描く。
見回してみれば、各ポイントでも同じことが起こったようだ。
それに呼応して、外壁に貼り付けられた札が光を放ち、集落に結界を張る。
外側からの侵入を許し、内側からの脱出を拒む。
そして、結界の中の様相を、外にいる術者に伝え、監視する。
そういう類いのものである。
これは、マーシェ帝国が生み出した、法陣と呼ばれる技術体系である。
咒による影響を、象徴による組み合わせにより、呪力を流すだけで再現させる。
故に、才能がなくても、呪力を流すことさえできれば誰でも簡単にできるということが特徴であった。
それでも、相応の知識は必要だが。
知識、いや知恵か。
何がどうなるからこのような結果を生む。
これを真に理解していなければ、この法陣と呼ばれる技術を扱うことは難しい。
少なくとも、実用レベルに達せないのである。
四人は壁の中へと降り立つと、真っ先に神殿へと走り抜けた。
⚪⚫○●⚪⚫○●
この一ヶ月の間に起きたことを記そう。
まず、織機で防刃性能が怪物並に高い布を作成した。
次に、ミシンを作った。
かなり苦労したが、今までの経験値のおかげか、すんなりと仕組みを見つけて作ることができた。
防刃性のこの布には、一つ弱点があった。
斬ることには強いが、細い針などで刺されると弱いということだ。
余裕で貫通してしまう。
これをどうにかしたい、ということで、ミシンで服を作ったあとは、その上と内側に、カルビンと呼ばれる怪物並みに破れにくい炭素でできた極薄の布を貼り付けた。
これを二着作った。
一着は俺用。
もう一着はトンビ用に作っておいた。
一応護衛してくれるんだし、最高の装備があったほうがいいだろ。
武器も新調した。
なかなか仕組みがわからなかった自動拳銃の仕組みがわかったので、それを一丁作って、トンビに渡した。
あとは、剣もぼろぼろだったので、この際だからと刀の製法と材料とかを色々鍛冶師に教えて量産してもらった。
まだ始めなのでなかなか納得の行くものはできなかったが、まあ慣れればそれなりのものを作ってくれるだろう。
……と思っていたら、わずか数回の行使で異常に洗練された技術を体得していた。
お陰ですごい切れ味のいい刀ができた。
この刀を守護者たちのメイン近接武器として採用。
守護者たちには、これの特性を見極めて、各々で技術の鍛錬をしてもらうことにした。
以前、革鎧を西洋剣と日本刀で斬ったり突いたりして、どちらが武器として優れているかっていう海外のドキュメンタリーを見たことがある。
勝負は余裕で刀が勝った。
だから、たぶん刀の方が強いんだろう。
俺は剣道とか居合とかしたことないから、作法とか技はわからないが。
そこら辺りは彼らに任せることとした。
刀が揃うのは、二週間ほどで完了した。
刀鍛冶を育成して、複数人でパッパと大量生産できるようにキツネに頼んだ結果である。
さすが、こいつは使える。
その間にも、様々なことが判明したこともある。
俺の魔法がその一つだ。
命名、マジックキャンセラー。
名前からわかる通り、咒を消し去る魔法だ。
咒を使った訓練の最中の話だ。
魔力を渦巻かせて流れをかき乱し、魔法を無効化する、みたいなことをしているラノベがあったことを思い出した俺は、ヒバリに頼んでその練習に付き合ってもらったのだ。
最初は感覚をつかめなかったのだが、段々と魔力の流れというものが感覚的に掴めるようになってきたのだ。
なんというか、こう、ビリビリって来ない静電気みたいな感覚。
風とは少し違うし、水とも違う。炎のメラメラと舐めるような感じでもない。
本当に不思議な感覚だった。
三日ほどその訓練をしていると、遂に俺はそれを習得したわけだ。
同時に、呪力というのがどういう形で現象を引き起こすのかということも、大体理解できるようになった。
というわけで、それからは作業部屋にこもって咒の仕組みを計算式に書き起こす作業をしていた。
まあ、現在も難航しているわけだが。
そうそう。
あと、紅玉草の方も進展があった。
実用品として効果を見込めるだけの飲み薬の開発に成功したのだ。
発見者は、ヒバチと移民希望の女性、モズである。
その飲み薬(水薬)が淹れられた瓶には、現在こんなラベルが貼られている。
まなぽーしょん
じゅりょく を かいふく させる おくすり です。
ざいりょう こうぎょくそう の はなびら
みず
全部平仮名で書かれているところが、なんとも可愛らしい。
あ、もう一つ発見があったな。
物知りそうなキツネに、あの黄色いオーラについて聞いてみたんだが、どうやら先代の守護者のリーダー、フクロウによって命名されていた。
その名は「気力」。
使うときは、呪力を変換して精製するらしい。
気力の特徴は、属性を持たないこと。
呪力には属性があるが、気力には属性がなく、ほぼ何にでも変えることができるようだ。
フクロウが体系化させた剣術は、この気力を併用するものが奥義として伝えられているらしい。
(てことは、ユリはその奥義をいつの間にか習得してたってことなのか……)
ユリ、なんて恐ろしい娘なんだろう。
そんなこんなで一ヶ月がすぎる。
それから一週間後。
俺たちに危機が迫った。
⚪⚫○●⚪⚫○●
夜だった。
俺は床の軋む音で目が覚める。
(鶯張りの音か)
俺は薄く目を開けると、呪力の気配を探る。
俺が感知できる範囲は、せいぜい三メートル四方。
更に、術として行使されて、体外に流出して反応している分だけだ。
少なくとも、その範囲で咒が行使されていた気配は無かった。
「……」
床で寝ていたトンビから、気配が漂う。
目が覚めたようだ。
トンビはゆっくりと立ち上がると、腰に穿いた刀を抜く。
俺も、瞬時に対応できるように、術の気配に神経を研ぎ澄ませた。
ガタガタガタ、と扉の開く音が聞こえる。
同時に、感じたことのない種類の術の気配を感じた。
属性はない。
気力を用いた術だ。
俺はまだ術の種類を見分けることまではできなかったため、それがどういうものなのかはわからなかったが、とりあえず厄介そうだなと思ったので、マジックキャンセラーを行使しようとした。
「――っ!?」
――ザシュ!
しかし、それよりも早く、鋭い軌跡が闇に閃いた。
生暖かい何かが、俺の頬に付着する。
――ヒュキン!
再び、風切り音が耳を掠めた。
しかし今度は空を切ったようで、重く、鈍い嫌な音は聞こえなかった。
代わりに、何か金属質な物を弾く音がする。
それから暫くして、ドタドタドタと足音が遠ざかっていくのが聞こえた。
同時に、気力の気配も遠ざかる。
俺は魔法で灯りをつけると、部屋に満ちた惨状の痕跡に目を見張った。
「無事か、神様」
目に映る現実から逃避するように、俺はトンビの方へと視線を寄せる。
するとそこには、赤い飛沫の跳ねた鋭い視線があった。
「……っ!」
それを見た俺は、思わずたたらを踏む。
「どうした!?」
心配して駆け寄ってくるトンビに手をヒラヒラと振ると、大丈夫だと返す。
……鼻に来る、錆びた鉄の臭い。
血の臭いだ。
今まで狩りで仕留めてきた動物や魔物の血肉の臭いとはわけが違う。
血がちであることに変わりはないのに、なぜだろう。
(ここまで大量の人の血を見たのは、初めてだ……)
吐きそうになる衝動を必死に押さえ込みながら、目を閉じて意識を落ち着かせる。
息を細くして、小さくして。
なるべく血の臭いを吸い込まないようにする。
「……本当に大丈夫か?」
「いや……やっぱり、無理っぽい……」
血には慣れたと思っていた。
初めての狩りで、生き物を殺すことに対する抵抗は、幾分か和らいでいた。
ワイバーン討伐のときには、もう十分に血には耐えられると思っていた。
殺すことに耐えられると思っていた。
……だが、甘く見過ぎていたかもしれない。
音だけでわかる。
あれは――人を傷つけるのは、食料を確保するときの狩りとは、全然違う。
俺が眉間にシワを寄せていると、背中を擦る温度に気がついた。
「それでいい」
彼はただそれだけを呟くと、目を瞑り、大きくため息をついてからこう続けた。
「――神様、ちょっと予定を変更したいんだが、いいか?」




