護衛役の選択
集落の防壁からそれが見えたのは、予定日の翌日、明朝だった。
「来たか」
俺は双眼鏡を通して、山を迂回するように現れた敵軍を見つける。
「神様の言うとおり、ちゃんと来ましたね」
その隣では、ゴクリと息を呑むユリの姿があった。
俺は双眼鏡をユリに手渡すと、先程見た軍隊の規模を想起する。
(一万いるようには見えなかった。
山を迂回する際に二手に別れたか)
……いや、俺なら少数を奇襲のために、山を越えて進軍させる。
当然、それは俺の予測通りだが。
「ユリ、第三分隊に投石機を用意させておけ。
投石機の扱いは演習通りだ。
いいか、相手が手を出すまでは、絶対にこちらから手を出すなよ?」
「了解しました神様!」
ユリは元気よくそう答えると、防壁の上を走って、通達に向かった。
(さて、どうなることやら)
俺は口元に笑みを浮かべると、司令室へと退避した。
⚪⚫○●⚪⚫○●
マーシェ帝国軍が目標集落にたどり着いた頃。
彼らはその見上げるばかりの巨大な砦に唖然としていた。
「どこから……こんなものを持ってきたんだ……?」
ざわ、ざわと犇めく兵たち。
普段はまとまりのある、統率の取れた軍隊だったのだが、今はその異常とも言えるその事象に、呆然と立ちすくみ、または答えの浮かばない疑問を口にするだけであった。
大将、ケイコクはそんな現状に苛立ちを覚えていた。
堅牢な城壁だと?
これは、そんな生易しいものなどではない……!
大陸にいた頃でさえ、壁は岩を漆喰で塗り固めたようなものだった。
だがこれはなんだ!?
まるで刃物で切り取られたかのような滑らかな表面。
赤黒く光沢を持ち、光を返すそれは、狂気すら孕ませているかのようだ。
それに、その手前にある柵。
「……馬では到底無理か」
ギリギリと奥歯を噛み締めるケイコク。
見上げるほどに高い城塞の手前には、黒い杭による馬防柵が高々と聳えており、そのさらに手前には、馬の膂力を持ってすら飛び越えることの叶わない幅広い堀がある。
城攻めでもするような気分だ。
「オウガイ!」
「ハ、お呼びでございましょうか」
ケイコクが呼ぶと、オウガイが瞬時に三人の獣人を連れて参上する。
「何か策はあるか」
「ハ。
定石通であれば、背後の山から矢で攻めますが……。
この高さの城壁を築くとなると、矢が届きません。
兵糧を断つために山の木々を伐り倒すのは、今後この地を治めることになった際に不便が生じます。
それに、堀を泳いで渡ったとしても、おそらく上から矢の雨でしょうし……。
ここは、一時撤退しかありませぬ。
今の軍備では到底不可能。
もはや、鳥籠を用いるしか……」
オウガイが彼にそう進言すると、その言葉に青筋を浮かべる。
「馬鹿者!
そんなことをすれば、俺の首が跳ね飛ぶだろうが!」
「……わかりました。
それでは、今一度、数ヶ月の時間と五人ほどの精鋭を、私めにお貸し願いたい。
さすれば見事落としてみせましょう」
憤慨するケイコクに内心ため息をつくと、これだけはしたくなかったのだがと心の中でぼやきながら、そのような代替案を提示した。
⚪⚫○●⚪⚫○●
城壁の櫓から、双眼鏡を持って相手の出方を伺っていると、どうやらマーシェ帝国は引き返していくようであった。
「やった……!」
誰からともなく、そんな呟きが、城壁の上で呟かれる。
するとそれを皮切りに、集落が完成に湧き始めるのだった。
その話を聞いたユリは、直ぐに伝令をキツネのところへ走らせた。
伝令が戻り、話を聞いた様子であったキツネは、難しい顔をして櫓に現れる。
「これは、少し警戒が必要かもしれませんね……」
やってくるなり、キツネはユリにそう話し掛ける。
「え?
どーして?」
しかし、それに対してユリは小首をかしげた。
「相手が勝手に引いたんだから、それでいいじゃん!
不戦勝だよ?」
「だからこそ、です。
不戦勝ほど警戒しなければならない戦争はありません。
きっと、何かしら策を放ってくるかもしれません。
いえ、そもそも来ると思われていた斥候すらやってこなかったのです。
すでに大国の作戦のうちと考えたほうが賢明ですね」
キツネはブツブツとよくわからないことをいう。
とにかくユリはそう思った。
とにかくそう思って、なんとなくだが神様にも知らせたほうがいいかな?と考え始める。
「このことは、神様にも?」
「んーん、まだだよ」
思っていたことを指摘され、何だか変な表情になるユリ。
キツネはそんな様子の彼女を見据えると、はぁ、と一つため息をついた。
「……何さ?」
「ユリ、なぜ最初に私に知らせたのです?」
「……一番頭良さそうだったから?」
彼の質問に、難しい顔をしてしばらく考えた後に、そう回答する。
キツネはそんな様子のユリに心の中だけで肩をすくめる。
彼は彼女にバレないようにしたつもりだったが、しかしユリは元は狩人。
野生の感か、それとも女の感か。
彼女にはどうやら隠しきれなかったようであった。
「言いたいことがあれば、はっきり言ったらどうなのさ?」
「はいはい。
とりあえず、そこの君。
話は聞いていたな?
神様にもこのことをお伝えしろ」
しかしキツネはその話を流すことに決めたようである。
ユリは頬を膨らませると、ふンだ!と息巻くと、伝令よりも先にその場をあとにするのであった。
⚪⚫○●⚪⚫○●
神殿内に設置された司令室へ、一人の少女が入室してきた。
「失礼します!」
俺はその声を聞いて、暇潰しにと遊んでいた一人チェスの手を止めた。
「守護者副隊長、キツネ殿より伝言です!」
「伝言?」
入ってきたのは、ユリと同じくらいの年齢の女の子である。
急いでやってきたのか、かなり息が上がっており、着ている服は大きくはだけていた。
俺は、そんな彼女に怪訝な声を出すと、目で近くへ来るようにと促す。
「マーシェ帝国軍が、撤退いたしました」
「そうか」
まあ、予想通りと言えば、予想通りだな。
そのまま突っ込むような馬鹿なことはしなかったわけだ。
俺は満足そうに頷くと、まだ何かありそうな様子の彼女を見て、それだけではないことを次に悟る。
「これを受けて、副隊長殿は、これは敵国の作戦で……えっと……また何か仕掛けてくるかもしれない。とのことです!」
途中、歯切れが悪かったが、なんとか伝言を伝えることに成功した少女は、ドヤァと顔を緩めた。
(……かわいい)
いや、そういう話じゃなかったな。
「だいたいわかった。
詳しい話はキツネに聞こう。
呼んできてくれるか?」
俺がそう頼むと、少女は任せてください!と胸をぽんと叩いた。
そのあと、ちょっと咳き込んだりしたけど、それはご愛嬌ということで。
⚪⚫○●⚪⚫○●
「――以上が、予測される敵側の作戦と思われます」
キツネは、作戦会議室の黒板に図を使って説明する。
敵軍が砦を囲むように現れた。
数えてみればおそらく全軍に匹敵する数。
予報どおりであれば、その数は一万に登るだろう。
しかし、それだけの数の軍隊が、なんの作戦も立てずに、斥候もよこさずこの集落へとやってきていた。
ここの壁の存在は、以前手紙を届けてきてくれたあの老人たちが報告しているだろうことは簡単に予測されたが、それでもってしても、何の策もなしに攻め込み、何もせずに帰っていった。
これはもう、罠としか思えないだろう。
相手が攻撃するまでは、こちらも迂闊には手を出せない。
なぜならそれを理由にして、相手側が訴訟をしてくる可能性が考えられるからだ。
ならば手紙を突きつければよいのだが、あいにく平仮名はこの集落周辺のみで使われる文字。
おまけに、俺が作ったことは既に周知されている。
マーシェ帝国に原文があるだろうが、燃やして失くしてしまえば、そんな証拠は一瞬で消える。
書き写した、という話はなかったことになり、こちらが嘘をついていると取られるだろう。
手紙は何の証拠にもならない。
故に、小さいこの集落では、そういった手段を取られると仕様がないので、こちらから手を出すことはできないのである。
追撃はできない。
だから相手は安心して背中を見せ、撤退できた。
……だが、これは作戦なのだとキツネは言う。
彼の予想では、おそらく油断しきっているだろうと相手が考える時間帯、おそらくは今夜から明朝、もしくは明日の暗いうちにかけて、襲撃してくるだろう。
いや、その考えさえ裏を読んで、忘れた頃に刺客を放ってくる可能性がある。
「どうやって?」
俺は自信満々にそう自分の予測を語るキツネに、怪訝に尋ねる。
「地上からが無難でしょう。
しかし、虚を突いてくる可能性を考えれば、上空からの奇襲も考慮に入れましょう」
「上空?
空でも飛んでくるのか?」
「私はそう予想しています」
空、ねぇ。
気球でもあるのか?
それとも、ファンタジー特有の、なんか魔法っぽいアイテムでも使うのか。
「具体的には?」
「鳥籠が無難かと」
「……鳥籠?」
「はい。
大陸の大国、マーシェ帝国は多民族国家。
帝国を形成する民族の一つに、魔物使いなる部族がいると噂で聞いたことがありますれば。
鳥籠とは、魔物使いの操る移動手段の一種。
なんでも、丈夫な籠を飛行系の魔物に持たせて空を飛ぶのだとか」
へぇ……。
よく知ってるなぁ。
俺は感心したように、会議室に集まる一同を見回した。
皆、何だか微妙な顔をしている。
「……ところで、他の人たちは魔物使いなんて聞いたことある?」
とりあえず、他の人が似たようなことを知らないかどうかを尋ねてみる。
すると、第二部隊の副隊長、ミズガメが手を上げた。
「な、名前だけは、その、聞いたこと、あります。はい」
小さい声だったが、オドオドとしながらも告げるミズガメ。
ミズガメは、目元を長い前髪で隠し、同じく長い髪を一本の太い三つ編みにして、背中に垂らしている男性である。
一言で言ってしまえば、その印象は根暗なイメージだった。
だが、ライフルによる狙撃訓練の時には、一発目から全弾を中心に撃ち抜いていたことから、かなり記憶には残っている。
隊の中では、射撃の名人というあだ名がついているらしい。
ちなみに第二部隊の隊長は無口な巨大な女性である。
気がつくと寝ていたりする。
今も目の端でちらりと見たが、今日も例にブレず寝ているようである。
名前は確か、スイレン、だったか。
名前に似合わず、起きれば凶暴そうだが。
俺はミズガメの言葉にコクリと頷くと、キツネの方へ視線を戻す。
因みに俺が目をそらした瞬間、ミズガメはホッとしたように胸を撫で下ろしていた。
ま、もしそうなるなら、護衛を常に側につけるしか無いな。
「別の可能性は?」
「用水路からの侵入が予測されます」
「対処は?」
「用水路に見張りを置き、護衛を常に側に置けばよろしいかと」
「ま、そうなるわな」
キツネのセリフに、肩をすくめながらトンビが同意を示す。
問題は、誰が護衛につくか、だが。
俺は首をぐるぐると回しながら、固まった筋肉をほぐす。
そこで、ふととあることに思い至る。
「……敵は、俺の顔を知ってないといけないよな。
となると、絶対にあの時やってきた、獣人の三人と老人、あとは駐屯兵隊の隊長は引っ張り出されるか……」
だが、あの状況でたかが五歳児を、その集落の頂点を考えるだろうか。
おそらくブラフか何かと考えるだろう。
ならば、その時側にいた人を襲う可能性が挙げられる。
「てことは、護衛されるのは俺とトンビか」
俺がそう呟くと、それに賛同するようにトンビが頷いた。
しかし、それに待ったをかける人物がいた。
キツネである。
「少しお待ちください神様」
「……何だ?」
そんな様子の彼に、俺は訝しむような視線を向ける。
「今は周囲への警戒を強めるべきかと。
そのためには、一人でも守護者を欠かすのは避けたいのです」
「ではどうしろってんです?
まさか住民に、とも言えないでしょう?」
それに意義を申し立てるのは、第一分隊長のハヤブサである。
彼は眉をハの字に顰めると、何を言っているのかさっぱりだというふうに肩をすくめた。
そんな彼の態度に、キツネは自信満々に回答してみせる。
曰く――、
「トンビが神様の護衛をすればいかがでしょう?」
「嫌だよ、面倒くせぇ」
即答であった。
一瞬、そんな彼の態度にキツネはたじろぐが、しかし彼は咳払いをすると、なぜそういう決断をしたのか、その理由を語る。
「トンビはこう見えて、前守護者統括フクロウ先生の一番弟子。
おまけに免許皆伝のうえ、先生からは二代目当主の座を約束されていました。
故に人一人、もとい神様お一人を護衛しながら戦うことなど、造作もないことかと判断いたします」
フクロウ。
先代の守護者のリーダーだったか。
高齢なのに前線で戦って死ななかった腕前を持ってたんだっけ?
くどいようだが、この世界の平均寿命は三十前後である。
その理由は、回復魔法の追いつかない大怪我によるものが大半を占めている。
そこから分かるとおり、魔物というのは以上に強い存在だ。
何せ、完全に死ぬまで傷は直ぐに回復してしまうのだから。
いわゆるオートリジェネレーションというやつだ。
これがあるから、魔物にはほとんど死の恐怖と言うものがなく、蛮勇に生物を片っ端から襲うのである。
頭のいいやつは、ちょっとくらい大怪我しても大丈夫なことを踏まえて特攻してくる作戦を立てたり、死んだふりをしたりするやつが出てきたりするので、尚のこと質が悪い。
まあ、ここらへんはそういう奴らは出てこないのだが。
そんなフクロウはかなりのお爺さんだと聞く。
具体的には、マーシェから来た、あの使者の老人ほどであるらしい。
あの年頃になると体力も相当衰えてくるはず。
只者でないのは間違いなかった。
「ふむ……」
だがしかし、ここには俺が納得したくない要素が含まれている。
ここ、というのはつまり、トンビが俺の護衛をするという事についてなのだが。
(正直、四六時中男といるのは、むさくていけない)
どうせなら女の子がいい。
ここは美少女率が高いのだから、そんな女の子に一日中、離れずに護衛されたいものだ。
「だがなぁ……」
(女に護衛される男っていうのも情けない気が……)
いやしかし、そもそも俺はまだ五歳だぞ?
向こうじゃまだ小学校にすら入学していない年頃だ。
まだ母親に甘えている年齢だ。
それが十代の子女に子守させられていると見れば、それほど不自然でもない。
「何か、問題があるのですか?」
眉間にシワを寄せて考えている俺に、不安そうに尋ねるキツネ。
ちらりと横を見ると、トンビも何だか複雑そうな顔をしていた。
「いや、特にこれといったものはないんだがな?」
そもそもの話をすれば、五歳児はこんな話し方をしない。
ヒバリも俺と同じ年だが、もう少し子供らしい受け答えをする。
全体的に精神年齢が高めなこの世界だが、そういったところは前世とも変わらないのだろう。
……それはさておき。
このまま護衛の件を、俺のわがままでどうにかするわけにもいかない。
ここは妥協するしかないようだ。
俺は心の中でそう落ち着けると、周りに気づかれないように、そっと心の中でため息をついて肩を竦めた。
「……んじゃトンビ。
護衛よろしく」
俺は眉をハの字にしかめながら、仕方なさそうにそう依頼するのだった。




