守護者第三分隊長 VS カラカラ鳥
目が覚めると、俺の隣には、裸になった少女がスヤスヤと寝息を立てていた。
「……夢じゃなかったか」
俺はそんなコムギの寝顔を見つけると、ポツリと呟く。
(天国、だったな……)
どこのエロゲだと言いたくなる展開だったが……うん。
悪くはなかった。
「……」
コムギの感触を思い出す。
人肌の熱、程よいぬめり、そしてあの包容感。
コムギはあのように言っていたが、結局最後まですることはなかった。
曰く、そんなことをすれば俺が壊れてしまうから、らしかった。
(一体、コムギは俺にナニをしようとしたんだか……)
俺は頭を振ると、頭を冷やすために布団から出ることにした。
寝間着を着けると、俺はそそくさと作業部屋へと歩みを進める。
外は暗く、虫の声が夜空に響いた。
この地域にはどうやら季節という概念はないらしく、一年中ほとんど同じくらいの気温が続いている。
集落には川が通っており、近くに湖もあるので、このあたりは比較的に湿度が高く、夜は寒くなるのだ。
俺は、上に羽織っているマントをお腹の方へと端を引き寄せながら、神殿を後にした。
⚪⚫○●⚪⚫○●
外に出てみると、ひんやりとした風が俺の頬をなでる。
空を見上げれば、黒い雲が満天の星に影を差し、地球の月よりも数倍も大きな月が、夜を照らしていた。
「さて、こっからどうするかな……」
壁の建設の続きでもしようか。
早いところ、あれを完成させて、投石機の設置を急がないとだし……。
投石機職人を雇いに行った使者は、その後二週間ほどで帰ってきた。
職人の数は百人ほど。
それから今日までの一ヶ月で、投石機作りをやらせてみたところ、今ではなんと二十門ほど完成している。
防壁も、後はレールを敷いて投石機を設置すれば完成なので、一週間もあれば完成するだろう。
ちなみに。
すでに暦という概念がこの世界にはあり、七日で一週間、五週間から六週間で一月、十三月で一年という周期で定着している。
なんでも、大陸の大国、インシャ皇国の天文学者が、空の星の周期に合わせて考えた星陰暦というらしい。
この話は、月に三回やってくる行商人から聞いたものだ。
「いやぁ、大陸ってのは文明が進んでるねぇ」というのは、行商人のセリフである。
俺はブラブラと集落の中を練り歩く。
この二ヶ月で、随分と中の様相は変わった。
家は竪穴式から木造建築の集合住宅へ。
紙を作る工場、魔物の素材を加工する工場、鍛冶職人たちの工場、製錬工場が並ぶ工場区画ができた。
それもこれも、ここ三ヶ月の出来事である。
(信じられない成長速度だよな、本当に)
集落というよりは、これはもう村と言ってもいいんじゃないかな。
村と言うには、人口が少ないけど。
そんな感傷に浸っていると、とある家から一人の少女が出てくるのを見つける。
「あれ、神様だ!
珍しいですね、こんな時間に」
少女はそう言うと、こちらへと駆け寄ってきた。
第三分隊隊長、ユリだ。
「ちょっと眠れなくてな。
ユリこそ、こんな時間にどうしたんだ?」
「えっとですね。
鍛錬を兼ねて、朝の食材調達に向かおうかと思ってまして」
「こんな時間にか?
もしかして、いつもこの時間に?」
「はいです。
あ、神様も一緒に来ます?」
――と、そんなわけで、俺達は集落北にある山の中にいた。
因みに、紅玉草が見つかったのもこの山で、その栽培施設もここに作ってある。
ついでに言うと、射撃場は南の森の中だ。
「それで、食材の調達って何を捕ってくるんだ?」
獣道を歩きながら、俺はユリに尋ねる。
「カラカラ鳥です!」
カラカラ鳥。
熟練の腕を持つ猟師でも、狩ることが難しいとされている、緑色の体毛をした大型の鳥。
因みに魔物に分類される。
カラカラ鳥は木々の背景に上手く紛れ、姿を隠す特徴がある。
図体が大きい癖に羽音は全く建てないことで有名で、魔物ゆえ咒も使ってくる。
基本的に臆病な性格で、滅多に人には近寄らず、そのため普通の弓では射程が足りずに捕えることが難しい。
なので、狩るときは背後から気配を消して近づくのだそうだ。
カラカラ鳥が使う咒は、風を操ることだ。
幼体で三メートル、成体では十メートルにもなるその翼は、羽ばたけば否応なしに風が生まれてしまうため、獲得したと言われている。
「……できるのか?」
自信満々に言い放つ彼女に、俺はジト目を向ける。
するとユリはその圧力に耐えられなかったのか、ジリジリと目を逸らしてポツリと呟き返した。
「……無理なら、コッケー鳥にします」
それはさておき、俺はユリについて山の中を歩き回る。
ユリによれば、カラカラ鳥は風を操ることで、自分の匂いや翼が起こす風を軽減しているが、図体が大きいのでどうしても周りの木々に体がぶつかってしまうらしい。
「つまり?」
「傷の付いた木を見つけてしまえば、あとはそれを辿れば見つかるのです!」
少女は自信満々に胸を反らす。
しかしそこにあったのは起伏の少ないまな板であった。
しばらく歩くと、傷の付いた木を見つける。
「ふむむ……」
傷は、地上からでもよく見えるほどはっきりしていた。
傷があったのは、だいたい地上から三、四メートルほどの位置。
「カラカラ鳥って、随分と間抜けなのか?」
「体が大きいから、どうしてもそうなるんですよ」
体が大きいのに臆病なのか。
(……変わってるなぁ)
俺はそうつぶやくと、傷を見上げているユリの側に歩み寄る。
ユリはしばらく傷とにらめっこをすると、よし!と呟いて方向転換をした。
それから、しばらく同じことを繰り返した。
一つ目の傷が見つかれば、次の傷跡が見つかるのは簡単だった。
俺は彼女がどうやって傷の向きを理解しているかはわからなかったが、狩人の底しれぬ知識があるのだろうと、俺はユリの後についていく。
そして、二人はついに、カラカラ鳥を見つけたのだった。
⚪⚫○●⚪⚫○●
茂みに隠れながら、ユリは背中に担いだ矢筒から矢を番えた。
俺はといえば、彼女の邪魔にならないようにと、音魔法で完全に音を消して、少し離れたところから観察している。
標的となっているカラカラ鳥は、目算でも八メートルはあるように見えた。
かなり巨大である。
ユリはジリジリと弓を引くと、呼吸法を変えた。
すると、何か薄っすらとした、ほとんど確認できないくらい希薄な黄色いオーラのようなものが、弓を持つ左手から、弓、弦、そして矢全体へと行き渡る。
(なんだ、アレ?)
見たことのない現象に、俺は疑問符を浮かべる。
注意して見ないと見えないくらい薄いそれは、淡く輝いているようにも見えた。
(呪力か?
いや、でも普段使ってる時とか見たことないし……)
俺は眉を顰めて、ユリの動きを見る。
たしかあの反応、呼吸のリズムが変わった瞬間に始まっていたな……。
呼吸に何かあるのだろうか?
俺はワクワクしながら、そんな彼女の動作を見守った。
そして、ついに彼女は矢を放つ。
――パィン!
瞬間、耳を劈くような破裂音が、山の中に木霊した。
それは、さながら銃声のようにも聞こえる。
が、しかし銃声とは少し音の形が違った。
銃声の破裂音は弾けるような形をしているが、この音は弾くというよりは切り裂くような破裂音だった。
そうだな、パとピを同時に発音したみたいな感じだろうか。
矢は物凄い速さでカラカラ鳥へと飛来する。
しかし、その矢は途中で急激に速度を緩め、空中でからりと音を立てて落ちた。
カラカラ鳥が風を操り、空気抵抗の壁を生み出したものと推測される。
「カラカラカラカラカラカラ!」
カラカラ鳥は喉を鳴らすと、大きな翼をバサリバサリと羽ばたかせてこちらへと向き直る。
その足はさながら、闘牛のように地面を蹴って威嚇をしていた。
「くっ!」
残心を終えて、彼女は次にまた矢を番えながら、今度は遠巻きに回り込むように位置を取る。
「カラカラカラカラカラカラ!」
カラカラ鳥が嘶き、翼をはためかせて、ユリの方向へと突風をぶつけた。
「くっ……うっ……!」
姿勢を低く取り、風の抵抗を最小限に抑えながら、ユリは弓を引く。
(まさか、この状態で撃つ気か!?)
そんなことをすれば、また矢が風に押し返されてしまうかもしれない。
カラカラ鳥はそんなユリを見ると、地面を蹴って突進を始めた。
翼をいっぱいに広げて、上下に羽ばたかせながらだ。
このままだとカラカラ鳥に踏み潰されてしまう。
そう考えた俺は、風魔法を使ってカラカラ鳥の風を鎮めた。
「!?」
途端に突風が消え失せたことに、ユリは目を見開いて驚いた。
驚いていたのは、カラカラ鳥も同じだったが。
ユリはその原因に何か思い当たったのか、横目にチラリと俺の方を向く。
なので、俺はニッコリ笑顔でサムズアップして返した。
「はぁ……」
すると、なぜかユリからため息のようなものが聞こえてきたのは、きっと気のせいだろう。
俺はそう思うことにした。
ユリは呆気にとられているカラカラ鳥の隙きにつけこんで、矢を番え直しながら懐まで潜り込んだ。
彼女は、ズザーッとスライディングしてカラカラ鳥の腹を取ると、そこへ例の黄色いオーラのようなものを纏った矢で、怪鳥の心臓を射抜くことに成功するのであった。
⚪⚫○●⚪⚫○●
調達を終えて帰ってくる頃には、日はすでに登り始めていた。
ユリはカラカラ鳥を見事仕留めることができた為か、かなりご機嫌な様子でランランとした足取りで防壁をくぐる。
「神様、今日はありがとうです!」
「うん、俺もいい体験ができたよ。
こっちこそありがとう」
まさか、カラカラ鳥があんなにデカくてすばしっこいだなんて知らなかった。
俺は弓を持って戦うユリの姿を思い出しながら、笑顔で手を振る。
(俺も弓、習ってみようかな)
あの黄色いオーラについて、あの後彼女に問いただしてみたのだが、しかし彼女には自覚がなかったようで、何のことかわかりませんという返答をもらった。
(もしかして、あれはゲームとかで言うところのスキルのようなものなんだろうか)
昨日は獣人を見かけたしなあ。
魔法、もとい咒があるわけだし、あってもおかしくはないと思う。
……もし、あれがあの防壁に何百何千と当たったら、耐えきれるだろうか?
ウルツァイト窒化ホウ素の硬度は、せいぜいがダイヤモンドの百十八パーセントほど。
あの矢の速度は、下手をすればライフルの弾速にすら匹敵するだろう。
流石に、あんな化物みたいな技をホイホイ使われてはこちらも困るものだが……。
(あとでトンビにでも聞いておこう)
ユリと別れた俺は、神殿に帰りながら計画を保留した。
でも、それはともあれ、だとすればライフルの扱いだよなぁ……。
前世では猟銃があったが、今の時点で狩りをするためにあれを持ち出すのは少し危険すぎる。
あんなスキルも、ホイホイ使えるものでもなさそうだし、ライフルより性能を落とした、仮に必須な、それで弓より性能の高いものを用意する必要がありそうだ。
(自動弓、作ってみるかな)
ライフルよりかは幾分か簡単に作れそうだし。
職人に設計図と実物を一丁か二丁くらい渡して、量産を図るか。
(でも、まずは算術だよなぁ……)
算術がある程度わからないと、あのような機械工学系は作るの大変そうだし。
最初は、四則演算と割合の計算、あとは対比、合同、平均値の求め方くらいでいいかな。
頃合いを見て、素数とか色々教えればそれでいいし。
ユークリッドの互除法とかハッシュ関数とかmod演算は、今は無くても大丈夫そうだしなぁ。
あ、でもランレングス符号は物品管理に便利だし、教えてもいいかもしれない。
となると、アイテムそれぞれに記号をつけなきゃだめか。
塩とか砂糖とかは化学式で示せるけど……いや、そうするとアルファベットを始めに科学まで教えないといけなくなるか……。
(正直面倒くさいなぁ……)
面倒臭くならないように努力するのはいいが、それが面倒臭いならやる気も失せる。
しょうがない、このことは後回しにしよう。
機械工学も感覚でなんとかやってくれるでしょう。
……流石に定規とかコンパスは無いと困りそうだけど。
そんなことを考えながら神殿につくと、いつもの女中姿に戻っていたコムギが出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ、神様。
湯浴みとお食事、どちらをお先になさいますか?」
「あ〜、じゃあお風呂で」
「畏まりました」
コムギは笑顔でそう答えると、俺を神殿内に作られた浴室へと案内する。
「神様、随分と汚れていらっしゃいますが、どこへ行かれていたのです?」
彼女は俺の羽織っていたマントに視線を落としながら、そう尋ねる。
「ユリと狩りに出かけていた」
「ユリ様、とおっしゃいますと、守護者第三分隊長のユリ様でしょうか?」
「そうだ」
そう肯定すると、後ろからついてきていた彼女の足音が、ピタリと止まった。
「……私では不満ですか?」
「強いて言うなら、襲って来さえしなければ不満はないな」
何の、とは言わない。
俺の脳は、現状に合わせ、相手の思考回路をトレースして相手の考えていることを把握することができたからだ。
それもほぼ無意識で直感的に。
まだ生まれて少ししか経たない、柔らかい頭だからこそ獲得することができた技能である。
彼女の言う不満、と言うのは欲求不満を省略したものだ。
別に俺はユリと今朝何があったということはないのだが、コムギからしてみれば、そう感じざるを得ないところがあるのだろう。
まあ、襲ったのは彼女だし。
俺は手を出してないし。
寧ろされるがままだったし。
俺は流し目に彼女ががっくりと項垂れているところを見て、なるほどあれは演技だったかと確信する。
そんなことをしているうちにも脱衣所にたどり着いた俺は、さっさと服を脱いで浴室へと足を踏み入れることにする。
当然のようにコムギも入ろうとしてきたが、俺が選択と着換えの用意を命じると、渋々と下がっていった。
アイツ、絶対昨日のことでタガが外れてるな……。
どうにかして外れた頭のネジを止める事はできないのか。
そう思い悩むスズメであった。