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ちいが死んだ。
そう聞いたのは5月のよく晴れた日だった。
ちいは死ぬ。
恭子は、そのことを昔から分かっていたし、それが自然なことだと感じていた。むしろ、生きていることが不思議だったと言ってもいい。だからその知らせをきいた時、少し驚き、すぐにこう思ったのだった。ああやっぱり、ついにその日が来たのだ・・・。むしろ、その日を待っていたようにすら感じた。
ひとつ意外だったのは、こんなにも予感がないということだった。こんな普通の日だとは思っていなかった。もっと・・・特別な日だと思っていた。予兆とか、前触れとか、起承転結とか、あると思っていた。
「喪服、出さなきゃ。」・・・普通の日は、普通の日ではなくなっていた。その非日常に心が躍った。それは恭子自身まだ気づいていない、そして、たとえ気付いても認められない感情だった。
昼下がりのショッピングモール。都会のそれとは違い、ずいぶんと寂れてはいたが、時間を潰すのに悪くない場所だ。歩いている人はいない。広場は、時が止まっているようだった。キャップを目深にかぶり、眠っているのだろうか・・・長い間腕を組み、うつむいている50代くらいの男性。新聞をわきに挟みながら、CUP酒を握りしめているおじいさん。薄手のスーツを着て物思いにふけっている若い男性。それに買い物帰りなのだろう、スナック菓子のたくさん入った袋をテーブルに置き、でっぷりと座っているおばさん。どんよりとした閉塞感が広場を包んでいた。
「15キロ地点から先頭集団は6人、変わりません。高畑が苦しそうな表情です・・・!」TVのマラソン中継だけが確かに時間が経過している事を感じさせるが、気にしている者はなかった。麻里もぼんやりとTVの音を聞きながら、ケータイを眺めていた。(へぇー。御園巧、結婚かあー。)芸能人の結婚に興味があるわけではなかった。しかし、それ以上に興味のあることもなかった。
カツカツカツ・・・「麻里、おまたせ!!!」恭子の声で、麻里はケータイから目を離し、顔をあげた。広場がぱっと明るくなったようだった。若い男性はちらりと二人をみたが、すぐに視線は宙へと戻った。「きょん!お疲れ。大丈夫だった?」大丈夫大丈夫、なんとか間に合った、ぎりぎりセーフ。ほんとわたしレポート苦手。麻里は前もってやって偉いよね ―恭子は一気に話す。「よっこいせ」おばさんは袋を持って立ち上がった。
「さて、いきますか。」ショッピングモールにほしいものはなかった。くだらないマスコットやカラフルなノート、はやりの形ではあるが安っぽい素材の服。目新しいものはなく、代り映えしない商品がいつまでも並んでいた。それでも見るものがなにもないよりはましだった。持て余した暇を潰すのには十分だった。
「なーんか、いいこと。ないかなあ・・・。」
今の生活で困っていることはない。面倒なことはあっても大変なことはない。勉強についていけないということもない、クラスから孤立することもない。だけど、なにかが物足りなかった。そんな空虚な気持ちをごまかすかのように、恭子と麻里はショッピングモールで同じ時を過ごしていた。二人が大学に入学して1年がたっていた。
わたし、ゴスペル部に入ることにする! -麻里が突然言い出したのは大学2年になった年の5月のことだった。どうやら、TVでゴスペルの特集をみて感動したらしい。「きょんもそうしない?」麻里は誘ったが、恭子はその気になれなかった。リズム感も記憶力もない自分には、とても務まらないと分かっていたからだ。「わたしはいいや。やりたいことが見つかってよかったね。がんばってね。」そう話すのが精いっぱいだった。