第三話 始まり
宿屋《やすやす亭》
《シュグラル》に存在する宿屋の一つである。ASOでは宿屋の一室や一軒家など、金額を支払えば手に入れることがきる。宿屋の場合は売り出してる部屋が完売してしまっても、別に宿泊部屋が存在する。ただそちらの部屋は最高一週間までの間借りとなっている。
《やすやす亭》は店名からして分かるように安い宿屋である。が、NPCの女将さんや中居さんも愛想がよく、宿の手入れもよくされており、見晴らしも良い。別途料金を払えば料理も食べられる、隠れた穴場になっていた。スレンがここを見つけたのは本当に偶然で、その頃はあまり有名ではなかったが、いつの間にか人気の穴場店になっており、泣けなしの金を出して一部屋購入したのだ。
(あの時の出費は無駄じゃなかったな。金なんてモンスター倒せば少なからず手に入るしな)
中央の噴水広場目指して坂を下る。風で黒髪をなびかせながらスレンは坂道に出店してる露店を見て回る。
腰に刀を携え、黒の衣装に身をまとった黒髪の少年。現実的に見ると何とか病全開と言われてもおかしくない姿だが、ここはゲームの中。誰もそんなことを言うことも考えることもなかった。むしろスレンの方が抑え目に見える。
赤レンガでできた道をカツカツと音を鳴らしながら歩き、露店に目を通す。一通り見終えたところで坂は終わり、平坦なレンガ道になった。それからすこし歩いたら噴水広場に到着した。
噴水に立つ時計台を見上げると時計の針は12時35分を指していた。
「ゆっくり露店を見すぎたかな。モンスター狩ってる時間あるかな?」
◇◆◇◆◇
水滴を落とした時の水たまり音が目の前で響く。
スライム。
今では一番有名なザコモンスターと言っても良いんじゃないかとスレンは思う。丸っこく、緑色の液体で出来たモンスター。だがこのASOでは素直にザコとは言い切れなかった。
「相変わらずメンドくさい攻撃するよな。しかもこっちの斬撃を受け付けないなんて」
バックステップしながら距離を取りながらスライムの攻撃を避けていく。体の一部を触手のように伸ばして攻撃する。これがスライムの一般的な攻撃方法。右から二本。左から一本。上から三本の触手が再び迫り来る。
再度バックステップで上からの攻撃を避ける。左からの攻撃を切り落す。右からの攻撃を避け、前に出る。
「とりあえず、たたっ斬る!」
スライムのHPはどのレベルでも「1」しか持たない。その代わり打撃系の攻撃ではダメージを与えられず、切ったりすると分裂する。
ASOでは様々な武器が存在するが、魔法は存在しない。スライムを倒す方法は、液体の中で縦横無尽に動き回っている核を潰せばいいのだ。レベルや種類によって核の大きさが代わり、目の前のスライムはビー玉サイズの核であった。
どんどん切り裂いて面積を無くしていけば核を切り裂くのも簡単になる。いつもこのやり方でスレンはスライムを倒してきた。
真っ二つに切り裂いて分裂させようとした。が、それより先に正面から三本の触手が放たれた。当たる寸前に足に力を込める。槍のように尖った触手がスレンの胸を貫いたように見えたが、そこにスレンは居なかった。
「あっぶな」
スライムの後ろで思ってもいないセリフを吐く。スライムに前後があるのか分からないが、液体の中をゆっくり駆け巡る核を見つけた。体の半分よりちょっと上めがけて左足を振り抜く。
「よくよく考えたら液体なんだよな。今度からこうするか」
水を蹴ると飛び散る。当然の結果。上下に分裂した内、空中に飛んだ液体に核が来るように蹴り抜いたのだ。この状態なら簡単に切り捨てることが出来たが、その前に体が無意識に動いていた。
振り抜いた左足を地面に固定し、そのまま軸足にして右足で後ろ回し蹴りをぶっぱなした。靴底を叩きつけられた核はヒビ割れる音を出しながら液体の外に弾き飛ばされ、砕け散った。
形を保っていた液体も核を失い、その場で崩れ落ちた。
経験値とお金。それとドロップアイテムを手に入れるとメニュー画面を開く。あと5分で約束の時間になるところだった。
「そろそろ戻るか。カイトが早く来てくれてるとありがたいんだけどな」
アイテム画面から『帰郷の鈴』を選ぶ。ガラスで出来た鈴が具現化され、鳴らす。澄み渡った鈴の音色が辺りに浸透していく。視界が揺らめくと少しの間、暗くなり、次の瞬間には《シュグラル》に戻っていた。
噴水広場のベンチに腰掛け、メニュー画面のフレンドを開く。けして多いとは言えないフレンドリストの中でカイトの欄を見る。
『フレンド』ではゲーム内で登録した相手の名前・ログイン状態を確認したり、連絡を取ることができる。ログイン状況の確認は一目で分かる。そのプレイヤーがログインしていれば名前の欄が光り、ログインしていなければグレーに染まっている。
現在のカイトの名前はログオフを知らせるグレーだった。現在の時間は12時59分。
現実世界とASOでメールや電話することもできるため、一瞬はこちらから連絡しようかとも思ったが、すぐに来るだろ、と考えメニュー画面を消して、その場から歩き出した。
それが13:00丁度のことだった。
突如スレンの視界がグラつき、ノイズが走る。次に背中に鈍い痛み。その痛みがデータでできた身体に走る。小さく声を上げた。
「ぃっつぅ……」
未だに自分の体に何が起こったかわからず、スレンは身体を起こした。そこで何が起こったか理解した。自分が仰向けに倒れたことに。
恥かしさのあまり左手で目を覆った。ここは都市の噴水広場。都市の出入り口の近くで人通りが一番多い場所であり、同時に人の目が多い場所。そんな所でいきなり倒れたともすれば恥ずかしくもなる。恥ずかしさからかため息も出た。
無理だと思うが誰も見てないことを祈ろう、そんな希望を心の内で呟き、手をどけた。真っ暗だった視界がいきなり明るく照らされ一瞬前が見えなくなったが、すぐに視界が開けた。そこでスレンは予想外の状況に目を見開いた。
「……ん?」
そこには自分と同じように赤レンガの公道に倒れるプレイヤーたち。噴水に落ちてるプレイヤーもいるほどだ。どのプレイヤーも何が起こったか理解できていなく、皆、狐につままれたように見合わせていた。
「一体なんだってんだよ」
怪訝な顔をしながら立ち上がる。その時また視界がグラつく。咄嗟にその場にしゃがみこむ。ソレが止まるまでスレンはしゃがみ続け、同時にさっき何があったのかを理解した。地震が起きたのだ。
ほかのゲームは知らないがASO内で地震が起きたことなど一度もなかった。モンスターが攻撃の手段として起こすものならあったが、モンスターもいない、ましてやゲーム内で一番安全な都市内で起きた現象。
地震が収まったのを確認してゆっくりと立ち上がる。また地震が起こる可能性を考え、スレンは近くの建物の壁に寄り添った。混乱する頭。耳からはほかのプレイヤーたちの疑問、驚き、畏怖様々な声が聞こえてくる。
ふっ、と視界が暗くなったような錯覚に陥った。どうやら先程まで晴天だった頭上が一瞬で曇天に変わっていたのだ。陽の光が遮られたせいで視界が暗くなったように感じたのだ。
突然の天候変化にさらに周囲がざわめく。スレンも黙ってはいるが頭の中は混乱している。その時、軽快な電子音が耳に入ってきた。
「こんな時にメール?」
メールの着信音であった。メニュー画面を前方に表示し、『メール』と書かれた項目を開く。そこに新着メールを表す『New』とついたメールが一件。中を開いてみると下記のことが書かれていた。
【件名】新イベント
『サリウス降誕』
【差出人】
【…Unknown…】
【ストーリークエスト】
勝利条件
サリウスが完全な状態で降誕する前に撃破
敗北条件
全プレイヤーの全滅もしくはサリウスの降誕
制限時間
残り1051895分36秒
【備考欄】
コレハゲーム。ミナサンノイノチヲカケタタノシイゲーム。サァ、ハジメヨウ。ニゲバノナイタノシイゲームヲ。
沈黙が《アグリス》を、いやASOに訪れた。沈黙は一瞬にも思えたが、同時に数時間の沈黙にも感じられた。
「……逃げられない?」
色々と訳のわからない文。その中の最後の一文にスレンは何とも言えない感情を覚えた。
「いやいや、ゲームだぞこれ。なんかのイベント?」
「え? これイベントなの? よかった~」
誰かが発した安易な言葉が周囲に感染していく。だがスレンはそんな事はお構いなしにもう一度文章を読む。
(新イベント……サリウス……勝利条件に敗北条件……制限時間……2年!?
これは楽しいゲーム。みなさんの命を懸けた楽しいゲーム。さぁ、始めよう。逃げ場のない楽しいゲームを)
「あ、またメールだ」
だれかの一声に皆反応する。その言葉通り少し遅れてスレンにもメールを知らせる着信音。
【件名】本日の天気予報
「……は?」
件名を見て思わず声を出した。
こんなメール初めて届いた。それどころかASOに天気予報なんてものはない。 意味が分からないまま本文を読み始める。
読み終えると、タイミングを見計らったかのように空からポツンと地面に何かが落ちてきた。
それを見たスレンは意味を察し、叫んだ。
「上から来るぞ! 建物の中に避難しろっ!!!」
大声でそばにいるプレイヤーたちに危機を知らせる。だがほとんどのプレイヤーには意味が伝わらず、こちらに視線を向けるだけ。だが中にはスレンの警告を、メールの内容を理解できたプレイヤーたちもいた。そのプレイヤーたちは身を隠せる場所へと飛びつく。
スレンも叫ぶと背中をあずけていた建物に飛び込む。
【本文】晴れときどき曇りのち弾丸
幾度となく見てきた、どこまでも高く、広い空。今は厚い雲が覆っていた。そこからポツポツと降り注ぐ弾丸の雨がASOを襲った。こんな現象は初めてである。建物内から慌てて外に視線を向けると外に出てたプレイヤーたちを貫いていく。急激に減っていくHPと痛みによる断末魔が仮想世界を染める。その断末魔に後ずさる。
(ASOに限らず、どのVRMMOではダメージによる衝撃でノックバックなど体が動かなくなる事は合っても痛みはない……ないはずなんだ! それなのに……どうして!? 彼らの苦痛の叫びは尋常じゃない! まるで──────本当に銃弾に撃たれてるかのように見える
だいたい都市内でダメージを受けるんだよ!? い、いや、この異常な状態だ。フィールドじゃなくてもダメージを受けるのか!? それも痛覚が現実と近い状態で……!?)
通常、都市内ではダメージを受けることはない。それなのに現在ダメージを受けている。
次々にHPが0になり体が分解されていくプレイヤーたち。そんな中一人の少年がこちらに手を伸ばしながらよろよろと歩み寄って来るのをスレンは見つけた。目には涙を。体からは血を連想させる赤のエフェクトがしたたり落ちる。痛みで声が出ないのか口を開閉させる。あと数メートル。少年を助けるために手をさしのばした瞬間だった。一発の弾丸が少年の脳天を頭上から貫いた。
「──────」
HPが0となった少年はガラスの様に砕け散った。
さしのばしたスレンの手は少年を掴むことができず空を切った。目の前で消えていった少年にスレンは震える。震えた手を引き戻そうとした時だった。一発の弾丸が掌を貫く。
「──────っ!!!」
声にならない痛みによって手を引き戻し、建物内でのた打ち回る。息をするのもつらくなるほどの痛みが全身を覆う。苦痛にゆがむ顔で掌を見ると中央には綺麗な丸ができていた。右上に見える自分のHPを見てみるとかなり減っていた。
痛みをこらえながらアイテムの救急スプレーを穴の開いた手に吹きかける。体力は一瞬で回復し、痛みもなくなった。だが、先ほどまでの痛みを覚えてしまったスレンはさらに体を震わせた。
時間にして3分。だがスレンたちにとってはとても長く、悲鳴を聴き続ける3分だった。弾丸の雨が止み、恐る恐る外に出る。まるで雨なんか降ってなかったかのような蒼穹に、初めてこの世界が怖く思えた。
各都市にはHPが0になったプレイヤーがリスポーン……復活する場所がある。《西藍都市シュグラル》では目の前の噴水だ。だが、誰一人リスポーンすることはなかった。スレンの目の前で消えていった少年の姿も。
あれからどれくらいの時間が経ったのだろうか。5分?30分?1時間?建物内で頭を抱え震え続けていたスレン。
惨劇なんてなかったかのようにNPCたちは大きな声で客を呼び込む。だが呼び込まれるのはNPCだけでプレイヤーが近寄ることはない。
「一体何が起こってんだよ……か、カイトは!?」
約束していた友人のことを思い出し、震える指先でメニュー画面を開く。『フレンド』を押そうとして指が止まる。
(もしあいつがさっきので死んでたら……いや。あいつがそんなヘマするわけがない!)
頭を振って一番最悪なパターンをかき消す。そして震える指で『フレンド』を押した。
友人のカイトの名前を探す。少ないフレンドリストを数にすると7人である。これは他の普通に遊んでいる一般プレイヤーからしても、かなり少ないほうだ。
リストをスライドしながら確認していくと《カイト》の名を見つけた。
「グレー……ログオフ中…………ははっ。そうか。それは…………よかった。はぁぁぁぁ」
安堵のため息。思わず天井を見上げる。だがすぐに顔を下げ、ほかのフレンドを確認するカイト以外のフレンドは皆ログイン中だった。
「あいつらは無事なのか? このリストだけだと本当に無事なのかわかんねぇ」
すぐに連絡をとってみるも誰も繋がらず、不安によって押し黙る。だがすぐに着信音が鳴り響いた。電話ではなくメールだったが数人の返事が返ってきた。それだけで安堵のため息を無意識にだしていた。
「あの文章の「命を懸けた」って本物かよ ──────まさかっ!」
一番最初のメール。その最後の『逃げ場のない』をやっと理解した。だがそれは嘘であってほしいと願いながら、メール画面を消しメニュー画面に切り替える。
大きく目を見開くスレン。いつもあった項目。リアルとデジタルを行き来するための出入り口。それが消えていた。
「──────────ログアウトが」
消えていた。