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み空  作者:
9/10

09

 勇者ルカが、精霊に導かれ星のひとつとなった。


 熱に浮かされながら床に伏せて、四日目の朝だった。怪我の状態がひどすぎて、ジュードや医師の力でも及ばなかった。

 町は一気に悲しみに染まった。

 かつての旅の仲間たちも、冒険者たちも、町の人々も、声をあげて泣き崩れた。膝をついて顔をおおい、勇者の死を惜しむ。医務室に殺到した人たちを、医師たちがなだめるのに必死だ。

 すぐに中央広場へ斎壇がつくられ、ルカの体が収められた棺をたくさんの花たちがうめつくした。悼みの刺繍をほどこした大きな布が棺の半分をおおい、壇の下までひろがっている。そこにも、壇にも、たくさんの花がささげられた。


 ふたをはずした棺には、傷をきれいにしたルカが白銀の鎧を身に着け、聖なる剣を抱いている。白い花が隙間をうめて、短い金髪が絹糸のように広がった。本当に、眠っているだけのように見えた。

 耳が痛くなるくらいの、澄みわたった青空。雲ひとつない、青だけが広がっていた。

 リンゴン、リンゴン。

 鈍い鐘の音が響く。死者を送るといわれている鐘の音が、町をゆらすように伝わっていく。

 きれいだった。

 白い花にかこまれて、銀の鎧が陽の光に輝いている。手触りのよさそうな髪を風がやわらかく揺らした。

 鐘の音が響く。

 本当に、きれいだった。これが葬儀というのが、嘘のように。


 国王陛下が葬儀を取り仕切り、町中の、いや、国中の人々が勇者の死を惜しんだ。

 棺のふたが閉められ、風の村の斎壇に移されるそのときまで人々は涙した。勇者ルカの体は、風の精霊の祠でひと晩すごしたあとに神官長の祈りをうけて村の墓地へと埋葬される。

 それはルカの生まれ育った村であり、そこに静かに眠らせることがルカにとって一番よいだろう。国王陛下直々に、王宮の墓地への埋葬をすすめられたが、兄であるカイルがそう言ってやんわりと首を振った。

 そうして村に帰ってきたルカは、早くに亡くなった母と、村を襲った災厄で命を落とした父の、その横にひっそりと埋められた。

 いつの間にか墓石の周りは白い花がいっぱいになり、村の人々は精霊に愛された少女の死を惜しむ。風にのって花がまたひとつ増えた。それはきっと、精霊たちの手向けだろう。そう言って涙するのだ。






 王都の広場から棺が消えるまでを、ルカは静かに窓辺から見つめていた。

 白い花にかこまれた斎壇に、たくさんの人たちが膝をついている。誰もが悲しみにくれた顔をして、勇者の死を悼んでいた。

 無表情で立つジュードの横で、顔をくしゃくしゃにしたマシュー。しゃくりあげて声も出せない獣人に抱きつかれたエルフ。

 ハンカチで目元をおさえているレイチェルの肩を兄が抱いていた。その顔は静かで、まっすぐと棺に横たわるルカを見つめてから、陛下にその場を任され深く頭をたれた。


 神官服で棺の前に立った兄は、膝をつき、手を合わせる。

 聞きなれた声が祝詞を唱えているのだろう。聞こえなくても、ルカにはわかった。

 兄の声に呼びかけられた精霊たちがルカの棺をかこんで、いっせいに手をつなぐとやわらかな光が舞い降りる。ふわりと棺を包み込むと、風の祠へと運んだ。

 なんの遊びだろう、なんて不思議そうな顔の精霊たちは楽しげに風にのって散っていた。


「わたしは、この世界を捨てたのかな」


 風の村へと移された棺。

 村での葬儀は、村の神官たちが取り仕切る。閉ざされた村へ人々が立ち入ることは許されず、表向きにはこれが勇者との別れになった。

 棺の四角い形だけ残した、花の海。やわらかく吹く風が、花弁をゆらして精霊たちがほほえんでいる。

 そのなかで、親しかった仲間たちがお互いの背をなでている。励ますように、何度もマシューの肩を叩いているのも見えた。家路につく町の人々も悲しみの色を濃くしたまま。

 不思議な気持ちで広場を見つめるルカに、風の精霊とともに部屋に現れたジュードがゆっくりとため息をついた。


「さあ。俺はおまえじゃないからわからんな。同じことをしようとしている俺は、捨てるという感覚でもないからな」


 ルカの命をつなぎとめたジュードは、三日目の朝に瞼を震わせたルカを寝台ごと蹴飛ばした。

 大馬鹿者と叱りつけ、安堵の息を吐いた彼にルカはゆっくりとまたたいた。まだ生きていた。まだ生きなければならないのか。人々が悲しまないように。その期待にこたえられるように。

 そう瞼を伏せたルカへ、ジュードは黙って灰色の瞳を向けた。

 そんなに死にたかったのか。

 呆れと感心を混ぜたような声だった。ルカはそれになにも言えない。死にたかったのかも今となってはあやしい。もう十分だった。だから、死んでもいいとは思った。それだけは確かだ。

 それなら、助けた俺が、おまえをどうするか決めるのもいいな。

 自分で自分の道を決める気までなくなっているルカを鼻で笑ったジュードは、じゃあ殺してやろうとはっきり言った。俺なら、痛みも感じさせずに確実に殺せる。口の端をあげて笑った彼は、そのとおり、勇者ルカの息の根を止めた。


 魔術の覇者と呼ばれた魔導士は、魔法の力で一分の隙もなく勇者の死を作り上げた。

 誰にも悟らせずに、診療所のあの部屋でもうひとりのルカを生み出し、入れ替える。医師が診察しても、仲間たちが駆け寄っても、誰もそれが魔術で作られたルカだと気づかない。

 目を覚ますと信じていた彼らは首を振る医師に呆然として、すがるようにジュードを振り返った。

 けれども、力が及ばずにすまないと頭をさげたジュードに、じわりじわりと現実を感じなければならなかった。膝から崩れ落ちたマシューの真っ青な顔。まだあたたかなルカの手を握ったカイル。

 それに胸が痛まないわけではなかったが、勇者の死が報じられるが早く、斎壇をもうけ葬儀を采配する王家や悲しみに暮れる人々をジュードは静かに見守った。

 魔法の傀儡と入れ替えたルカを、宿屋の一室へ転位させた彼は、勇者埋葬の儀式を終えたらこの地を旅立つつもりだと言った。精霊たちの力を借りて、ちがう大陸へ降り立つ。ここへは戻る気はない、と。

 死んだルカも、旅立つジュードも、この大陸に別れを告げる立場だ。現に、ジュードは悪びれもせずに言う。


「死のうが生きようが、これから先に一度も会うことがないのなら結果として同じようなものだ。……俺は、捨てるのだとは思わない。世界が俺の一部になった。ただ、それだけだ」

「一部に」

「じゃあ聞くが。一冊の本を読み終えて、次の本を読むことは、初めの本を捨てたことになるのか?」


 ルカは思わず目を丸めた。

 ジュードにしては、なんだかかわいらしい例えに思えたけれど、そういえば彼はよく本を読んでいたなと思い出す。旅の合間、野宿をする焚火のちかくでページをめくる横顔を、ルカはずっときれいだと思っていた。

 そんなジュードの周りを精霊たちが興味深そうな顔でくるくる踊っているのも、よく見る光景だった。

 読み終えた本を、ジュードはどうしていたか。必要なければ売り、気に入れば保護の魔法をかけて丁寧に荷物にしまっていた。

 ルカだったらどうするだろう。あの陽だまりの家の書斎には、幼少時から読み込んだ本たちも詰まっている。自分はそれを捨てるだろうか。……いや、そんな気はまったく起こらない。そして何度も繰り返し読んだ本たちをもう手に取ることはないけれど、捨てたつもりはなかった。

 まじまじとジュードを見つめたルカに、彼は呆れたように眉を動かす。


「気にしすぎだろう。先に進んで、後ろが気になるなら戻ってみるのも、方向を変えるのもひとつの道だ。現に正しい道など決まっていないのだから、好きに行けばいい」


 ルカという名の勇者とは違う人間として、この場所で生きることはできる。

 もう今のルカを誰かが見ても、勇者ルカには見えない。体型は変っていないが、髪や瞳の色はもちろん顔立ちもすっかり違う。そういう魔法がかけられている。

 ジュードがほどこした強い魔法だった。精霊たちの力をかりて特別に融合された魔法は、稀代の魔導士でなければ成し得なかっただろうし、彼以外が打ち破ることも難しい。

 新たな道をルカの前にひらいた彼は、こつりと踵を鳴らしてルカの横に立った。


「俺は、行くぞ。知らない世界を見たいからな。おまえがどうするのかは自分で決めろ」


 道だけをつくって、あとは放る。

 素っ気なく冷たい印象を与えるはずなのに、ルカにはとてもそうは思えなかった。歩くことさえままならない自分を、叱咤し、見守ってくれたのだと、旅が始まったときから知っているからだ。

 まっすぐと傍らを見上げる。灰色の瞳は、なにも言わずに見つめるだけ。


「行きたい」


 素直な言葉がこぼれた。

 それにも、ジュードは表情を動かさない。ただ見つめて、静かに問う。


「いいのか」


 ルカはほほえんだ。

 ほほえんだつもりだが、窓に映った自分は唇を少し動かしただけだった。そういえば、ずいぶん長い間笑っていなかったかもしれない。そんなことに今思い至って、よけいに苦笑がこぼれる。

 けれども、ルカははっきりとうなずいた。


「うん。行きたい。わたしも、ちがう景色を見てみたい」


 そうか。ジュードはそれだけを返して、あとはなにも言わない。ルカにとっては、それで十分だった。それだけで、彼が自分をつれていくことも、その先で当然のように手を貸してくれることもわかるからだ。

 窓際に立つルカの横に、ジュードも並んで広場を見下ろす。

 なにもなくなった斎壇に花をささげる人は、まだ絶えることもない。目を伏せ、手を合わせる人々。

 リンゴン、リンゴン。

 鐘の音が鳴り響くなかを、風にのって花が飛んでいく。

 真っ青な空で花たちが舞っているのを、ふたりは静かに目に焼き付けた。


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