06
風の精霊に問いかけても、その度に弾かれてしまう。
もう何度も同じ反応をされて、慣れてきたことまで腹立たしい。
魔力が散った手のひらをながめ、ジュードはむっつりと黙り込んだ。ルカの足取りを人づてに追うことはできても、会うに至らずすでに三月。ルカもいい加減観念すればよいものを。
姿を見ることはできていないけれど、存在だけは人から聞かされる。仲間たちに声をかけているから、ルカだってジュードが探していることを知っているはず。それでもこの結果なのだから、端から会う気がないのだろう。
以前、ルカが依頼を受けていることを知ったとき、王都では目ぼしいところで様子を見ていたのだが、結局見つけることはできなかった。自分の姿を魔法でくらましているのもそうだし、ジュードとマシューの居どころも感知するようにしているのだと思う。
これほどまでに避けられると、ジュードもだんだん意地になってきた。無理に捕まえるのも、と遠慮していたがもう少し強く出てもいいかもしれない。
「ジュード」
雑踏を足早にすすむのを呼び止める声。
振り返ると小柄なエルフが手を振っていた。酒場の前に積まれた樽からぴょんと飛び降りて、彼女はにっこり笑った。
エルフにしてはめずらしく、陽気で人懐っこい。レイチェルの行方を追っていた旅でも、その弓の腕前に助けられたのは数知れない。今でも弓を片手に気ままに依頼をこなしているようだ。
「めずらしいな、王都にいるなんて」
たしか、人ごみが嫌いで大きな街に出るたびにしかめ面だったはず。足を止めたジュードに彼女は拗ねたように口をとがらせる。
「平和平和ってね、どこにいっても混んでいるから困っちゃうよ! それなのに、新しいお菓子やら洋服やらはこういうところじゃないと手に入らないからね」
「ああ、パン屋の向かいの店が賑わっていたな」
「ローブの新作が発売されたんだよ。さっき買ってきたんだ」
じゃーん、と雑踏のなかで深紅のローブを広げたのにジュードは苦笑した。まったく、相変わらずである。
「ここで依頼を受けたのか?」
「ううん、ここには納品だけ。これからしばらく、北のほうを回ろうかと思ってるんだけどね。……って、そんなことより。ルカだよジュード」
ローブを乱雑に丸めると、彼女はとがった耳をぴくぴく動かして眉をしかめた。背伸びまでしてずいとジュードに詰め寄る。
「一時的に単独なのかと思ったのに、もう三月も経つじゃない! マシューまでいないし、なにしてるのきみたち」
陽気で明るい彼女は、遠慮なく切り込んできた。ときにはお節介だと感じるくらい、面倒見のよい彼女には、今の状態は見過せないのだろう。
ジュードはまじまじと彼女を見つめた。
「ルカには会ったのか」
「うん、ひとつ前の依頼を一緒にやったよ」
砂漠に巣食った魔物の討伐だったそうだ。砂漠とはいえ、冒険者や商人たちだってとおるし、そこでしか採取できない貴重な資源もある。戦うことに慣れていない人間が相手にできない魔物がいると、ギルドにそうした依頼が寄せられた。
ギルドの主人がルカへ声をかけているときに、偶然彼女も居合わせ、組んで依頼を受けることにしたそうだ。
「なるべく、見つけたら一緒にいるようにしてんの。ルカはね、ひとりにしちゃだめだよ。ジュードも、わかってるとは思うけど。……ルカみたいに、真面目でまっすぐな子は、だめ」
唐突に真面目な声でジュードをとらえたエルフに、ジュードはかすかに息をのむ。
若葉を思わせる緑色の瞳がひたりとジュードに向けられていた。見た目は少女である彼女は、これでも数百年の時をすごしたエルフ。ただの気まぐれからの言葉ではないのだと、ジュードはとうに知っていた。
「なにかの拍子にもういいかと思ったら、本当に諦めちゃう。冒険者をやめるなんて選択肢は思いつきもしないで、命を投げ出しちゃうかもしれない」
黙って耳をかたむけるジュードに、彼女はゆっくりと首を振る。
「マシューの心配なんてしてないよ。あいつはなんだかんだ、さみしくってひとりじゃいられないからね。このまえ見かけたとき、何人かで組んでいたから大丈夫。ジュードは自分のなかで引き際を決めてるし、嫌になったら違うことで生きられる器用さもある。でも、ルカはだめ」
ばかみたいに正直で、ひたむきで、どこか脆いルカ。その本質を、どれだけの人がわかっているのだろう。
彼女は数少ない理解者だった。
「誰かがいれば、無茶をしない。ちゃんと町まで帰ることを考えて引き際を間違えないけど、ひとりだとそれがうまくいかなくなっちゃうんだ。止める人もいないしね。ちょっと無理して深追いして、もし大怪我をしたら? そこに強い魔物が現れたら? 今までなら必死に逃げてみんなで生きのびることを選べたけれど、ルカだけだとどうするかわからないよ。振り返るものがないなら、もういいかなって思っちゃったそのとき、諦めることが簡単になっちゃう」
ぐっとジュードの拳に力が入る。今のルカに、省みるものがあるだろうか。
自分の村には、もう居場所がないと思っている。かつての仲間とは距離をおき、勇者としての自分しか見ていない周囲の人間たちに囲まれている彼女に。
もしも。もしもルカでさえ手におえない魔物が出たら? 一瞬の油断で大きな怪我を負ったら? 今まで人手があったぶん、死角に目も届き、助け合うことができた。
けれども、たったひとりで旅をすると、これまで当然のようにこなせたことでつまずく。だからこそ、致命傷を負う危険も高くなる。ーー今、ルカはひとりだ。
「なにがあったのかは知らないけど。今みたいに、ルカの心が引っ込んじゃってるとよけいに危ないよ」
勇者と呼ばれれば呼ばれるだけ、すっかり泣き虫な女の子を内側へと追いやって勇者になるしかなかったあのとき、自分がもうすこし手を伸べていたらなにか変わったのかもしれない。思えば思うほど、悔やむことも歯がゆいこともぼろぼろと出てくる。
それこそ、後の祭りだ。今更、過去を悔やんだところで現実は変わらない。
自嘲的な笑みを浮かべたジュードを、エルフは眉を寄せて睨んだ。
「ジュード、きみはいったいなにをしているの。はやく捕まえなよ。この大陸一の魔導士でしょ」
手加減している場合じゃない。そう尻を叩かれて、ジュードも大きく息をつく。返す言葉もないほどの正論だった。
後悔なら今まさに憎らしいほどしている。この先、さらにそれを増やすわけにはいかないのだから。