05
髪をばっさりと切った。
腰まであったルカの長い髪は、今では耳も出るほど短い。ここまで切ったのは初めてだった。
細くてよく絡む金色の髪。ルカは切ることに抵抗はなかったけれど、ちいさなときから周りが惜しんだ。髪を褒められることが多かったから、今まで簡単に結いあげて長さを保っていたのだ。
切ってから、ルカに目を向ける人が少なくなった。それにルカは肩から力が抜けるのを感じる。こんな簡単なことで、向けられる視線が減るのか。なんだか拍子抜けだ。ならばと、ルカは旅をしていたときの鎧も脱ぎ捨て、胸当だけの軽装で町から町を渡り歩く。
「よう、ルカ」
ギルドの扉を開けると、主人が軽い調子で手を上げた。見た目を少し変えたくらいでは、彼の目をごまかすことはむずかしい。苦笑したルカはカウンターを覗き込んだ。
「マスター、なにか依頼はある?」
主人は依頼書の掲示をちらりと見て、太い眉を大げさにゆがめる。
「おまえが出るようなもんはねーよ。おかげさまで平和だからな」
「そう。それならよかった」
緊急な依頼がないのなら、それに越したことはない。うなずいたルカに主人はふうと息をついて、もう一度掲示板を見上げる。
あてもなくひとりで、あぶれている依頼を受けて転々とすること三月。簡単な依頼をルカが受けてしまうと、他の冒険者の稼ぎどころがなくなると言われれば、手を出す依頼も限られてくる。
かといって、依頼はいつだって絶えることはない。ただ、冒険者から見て受けやすいものとそうでないものが必ずあった。
主人は机の上で依頼書の束をぱらぱらとめくる。掲示板に貼っているものと同じ内容が綴られているそこから、しばらく受け手がつかずに貼り出されたままの依頼書を抜き出した。
「面倒だが、上級魔石十個ってやつなら、他のやつらは手が出しにくいだろうけどな」
「魔石か」
魔石は炭鉱や洞窟、森の奥や山頂などのたどり着くことから困難な場所にある。帯びている魔力の大きさ、純度、状態などで価値が上下し、上級となるとかなり質のよいものだ。
そこそこの冒険者なら手に入れられるが、数が多いと日数も手間もかかる。それなら違う依頼をこなしたほうが稼ぎやすいと、考えるのが普通だ。
「あとは、下級魔物の退治に、手紙の配達、隣町への護衛だな。おまえには簡単すぎる」
ぱらぱらとページをめくって、あっさりとその手を止めた主人。それ以上のものは出てこないらしい。
「そんなことより。相変わらず、ジュードが探していたぞ。まだ会ってないのか?」
主人の声に、びくりと肩がゆれた。
あの一方的な別れから、マシューやジュードとは一度も会っていなかった。
精霊の力を借りて、魔法を使っても追跡できないようにしている。マシューはともかくとして、魔法使いとして優れているジュードが相手では、すぐに見つかってしまうから、そうせざるを得なかった。
ジュードは精霊の長たちからの加護を受けている。もともと彼の魔力が非常に高かったことと、その質がよいことから精霊たちに好かれていた。精霊たちの様子で彼の居場所がわかるくらいだ。そんなジュードなら、他人の魔力の軌跡を追うこともできたはず。
ジュードにはなにも言わずにこんな状態になってしまった。
彼はルカのことをどう思っているだろうか。口数がそれほど多くはなく、いつも冷静で、突っ走るマシューと旅に慣れていないルカを導いてくれた彼は。きっとルカを責めることはないだろう。いつも静かに見守ってくれていた。けれども、そのジュードにも今はまだ会いたくなかった。
「……なかなか機会がないみたいだ」
苦笑してなんとかそう返すと、主人はふうと息を吐いてから頬杖をつく。上目にうかがう彼は、やはり少し心配そうだった。
「あいつらも別行動しているっぽいし、なんかあったのか」
なにかあったのだと確信しているだろうに。深くは突っ込んでこない彼の優しさに、まだあまえていたいと思ってしまう。
なんて弱くなったんだろう。がむしゃらに兄の行方をさがしていたときのほうが、きっと今よりも強かった。ルカは内心で自嘲しながら首を振る。
「いや、たいしたことじゃない。しばらく別行動をしているだけだ。……今度見かけたら、元気にやっていると伝えておいて」
言いながら、さっと魔石採取の依頼書へペンを走らせた。
納期にまた来るよ。ひらりと手を振って踵を返すと、主人のため息がルカを見送った。
馴染みの店を回って荷物の補充をしたルカは、今晩の食事を酒場ですませることにした。道具袋を背負い直して、扉をくぐると一気ににぎやかな空気に包まれる。
らっしゃい! と馴染みの主人が迎え入れてくれたのに、ルカは手をあげてこたえ、窓際の席におさまった。
「おぉーい、ルカ。ごはん、おれもそこで食べていいか?」
トマトのポワレ、鶏のハーブ蒸し、そして焼き立てのバゲットを注文してひと息ついたルカに、おおきな声がかけられる。
店の入り口を振り返ると、茶色い犬の頭がななめにかたむいていた。真ん丸の瞳を期待に輝かせた彼は、ルカたちと旅をともにした仲間のひとりである。
人間よりも大きな体でふわふわの毛皮をまとう獣人だ。彼はいつも、その体の上に埃っぽい旅装束を重ねていた。この日もずるずるした外衣のまま、ぶんぶんと尻尾を振ってルカの返事を待っている。
「いいよ」
思わず笑みをこぼしたルカに、彼はわーいと飛び上がって喜んだ。
鶏のグリルとゆでたじゃがいもを満面の笑みで注文する。ああ、あとベーコンのチーズ焼きも! と慌てた声にまで、はいよっと威勢のよい店員が応じた。
ルカがおしぼりで手をぬぐっている間に、湯気のたつ料理がつぎつぎとテーブルに並んでいく。
「おいしいおいしい。ここのごはんは、いつもおいしいなあ」
「そうだね」
皿をかたむけて勢いよくかっ込む彼のおかげで、ルカは自分もひどくお腹がすいているのではと思えてきた。
いただきます、と祈りをささげてからポワレをかきまぜる。とろりとしたチーズに、火がとおってあまみを増したトマトを絡めると、よい香りがしてぐうと腹が鳴った。
「今日はルカもいっしょだから、もっとおいしいなあ」
口のなかをイモでいっぱいにしてもごもご言うのに、ルカは思わず顔をあげてしまった。
まん丸の瞳が、そんなルカをきょとんと見つめる。カスを自慢の毛並みに引っ付けたまま、茶色い頭がななめになった。
「ひとりより、ふたりで食べるほうがおいしいぞ? ルカはちがうのか?」
この店の料理はうまいと評判で、これまで何度も世話になっている。仲間たちと一緒のときも、ルカがひとりのときも。味は、きっとそれほどかわらない。それなのに、たしかにひとりのときは味気ないと感じてしまう。
そう思っていたが、あえて考えないようにしていた。無意識だったのだろう。彼に言われてそれに気づき、ルカは困ったように笑った。
「いや、わたしもそうだよ」
「だよなあ! おいしいよなあ。よかったよかった。ルカがうれしいと、おれもうれしい」
ちいさく同意すれば、うんと大きなうなずきが返される。底抜けに明るくて、あたたかくて、なんだか目の奥がじんわりと熱くなってしまう。
そんなルカの様子なんてちっとも気づかないで、彼はもぐもぐと今度は肉を頬張った。
「さいきんはみんな、平和になったよかったよかったって笑うんだ。おれはそれもうれしいなあ。おれもがんばったし、ルカもジュードも、うんとがんばったもんなあ」
ルカは香草鶏を口へと放って、噛みしめるように食べた。
じわりと肉汁がにじんで、かすかな苦みと、塩気が口いっぱいに広がっていく。噛めば噛むほど、評判の料理の味を感じる。
ああ、本当においしいなあ。のんびりとした彼の声に、ルカはようやくそれらを飲みこんだ。