03
もう、疲れてしまった。
勇者と呼ばれる覚えは、ルカにはなかった。ただ、必死だった。それだけだ。けれども、いつの間にか人々はルカを勇者と呼んだ。
期待をこめた視線を向けて、頼むぞと。助けてくれ。救ってくれ。魔王を倒せ。口々にそう言って、大きな願いをたくさん託した。ルカはただ、兄を助けたかったそれだけなのに。
ルカの村には風の祠があり、村の神官が精霊を祀っている。今はルカの父親が神官長をつとめ、いずれは兄がそのあとを継ぐ。そうと決まっていた。
ルカはあまり魔力が強くないが、生まれつき精霊の姿が見えた。精霊の声を聞き、彼らの目を借り、世界の均衡を保つ彼らの力を神官につなげる。その傍らで剣の腕を磨いた。
魔法に頼ることができないため、自分の腕を鍛えるしかなかった。これも村のため。精霊への信仰が深いこの村には、剣士は少ない。自分ができることならば、努力を惜しまないつもりだった。
そんな矢先である。まがまがしい精霊の気配をまとった少女が、村に火を放ったのは。
彼女は突然現れ、そして村を焼いた。
美しい顔に妖艶な笑みを浮かべて、強い力で火の精霊たちを使役していた。
家々に火を放ち、逃げ惑う人々を見て腹を抱える。立ち向かった神官たちにも炎と闇の魔法を向け、その圧倒的な魔力の強さに誰も敵わない。そう、敵わなかった。神官長をいたぶりながら殺し終えたときには、すでに村は火の海だった。
おまえは逃げろ。そう言って神殿へ駆けた兄の背中を、ルカは必死に追った。そして追いついたときには、焔の鎖で兄が捕われたあとだった。火の精霊が少女と兄のまわりを囲い、闇に堕ちた精霊たちが焔の鎖をきつく結んだ。少女は意識のない兄の顎に指をすべらせ、もらっていくわねとほほえんだ。
兄は、村で一番の魔法使いだった。魔力も父を上回り、神殿もしばらくは安泰だななんて村人たちが軽口をたたいていたほどだ。だからこそ、あの残虐な少女は兄を殺さずに捕え、その魔力を利用する気なのだろう。
唇を噛みしめたルカは、ふたりを追えなかった。
魔法で姿を消されては行方なんてわからない。それよりも村を焼く火を消さなければ。村人たちを助けなければ。すぐにでも飛び出して後を追いたかったが、このままにしていくことはできなかった。
自分の低い魔力では探索も難しい。そう自分を納得させ、消火と救助に駆けずり回った。
マシューとジュードに会ったのは、そのときである。
彼らはレイチェルの行方を追ってルカの村にやってきた。闇に堕ちた精霊、のちに魔王と呼ばれるものに体を奪われたレイチェル。そこでようやく、ルカはあの少女も意識を奪われているのだと知った。
ルカの村のような精霊の祠を守る村は、結界を張ってひっそりと世界にたたずんでいる。滅多なことがない限り、村人以外の人が訪れることはない。行こうとしても、見つけられないのだ。
だから、あのときマシューとジュードが駆けつけてくれたとき、涙が出るほどうれしかった。風の精霊が彼らの服を引っ張ってくれていたのに、思わず笑ってしまった。
それから、ルカの旅は始まったのだ。ルカはカイルを、マシューたちはレイチェルを助けにいく旅だった。
それがまさか、世界を巻き込むことになるとは思いもしないで。
マシューから逃げるように転位したルカは、王都にほど近い港町に降り立った。
波の音が響く堤防に、ぽつんと降り立ち、海の青をながめる。すると、一年の出来事がわっと頭をよぎった。それにまた、ため息がこぼれる。
波で遊んでいた水の精霊が、風に揺れるルカの髪に目を細める。村からついてきていた風の精霊は、潮風にのってどこかへ行ってしまった。
真っ赤な夕日がてらてらと輝いて、水平線を鮮やかに染めている。紫と桃色が混ざり合って雲を空に溶かした。ひどく、きれいだ。そのうつくしさに、目の奥がなぜか痛んだ。
瞳を細めれば、眩しいほどの輝きが海との間にゆっくりと消えていく。すると、唐突に訪れる黄昏。
ざざんざざんと響く音にぼんやりしたルカは、陽が沈むまでをながめるとようやくその腰をあげた。
日暮れの町は、一日の終わりを喜ぶ人々がにぎやかに家路へ向かう。
町で暮らす人々はもちろん、冒険者や商人、騎士、船乗りの姿もぜんぶ入り乱れて活気があった。この日の疲れを癒そうと酒場に向かうものが多い。楽しげな雰囲気に呼ばれたように、精霊たちまで集まっては軽やかに空で踊っているのが見えた。
よお、ルカ! ぼんやりと雑踏にまぎれていたルカに、気づいた冒険者が手をあげる。ルカも軽く手を振ってこたえた。でも、それだけ。話したそうな相手を笑みでさえぎって、そのまま別れた。
宿屋の部屋に落ち着くと、ばたりとベッドに倒れ込む。酒場に行って飲み食いする気も、誰かに会う気にもなれない。大きく息を吐いて、そのまま瞼をおろした。
マシューは、心配しているだろうか。……しているだろうな。変な別れかたをしてしまった。彼の言うことはもっともだし、彼は悪くない。ルカが自分のなかで整理できていないから、あんなことを言わせてしまった。
けれども、もう、彼らの気持ちにこたえることにも疲れた。
押しつけられていたわけでもないのに、必死に気を張り詰めていた自分がいたのだと、今になってルカは自覚する。ただ、ひとりになりたかった。
それなのに、町にいれば勇者だと周りが目を輝かせる。兄はレイチェルと結婚したから、ルカがあの家に帰るわけにもいかない。村のためと思って生きていたのに、村にいる必要もなくなってしまった。かといって、勇者として生きるなんて嫌だ。
どうしたいのかもわからない。あてもなく旅をすれば、なにか見えてくるものがあるだろうか。気持ちが晴れないまま、ルカは眠りに落ちていく。