第086話 別れ
一日前。
セイン王子はアトラスに入国後、シトラル国王との謁見を行った。
「この度の件について弁解の余地もございません。誠に申し訳ございませんでした。明日、リアム陛下より直接謝罪と今後のご相談をさせていただきたく、時間を頂きたいと存じます」
潰されるほどの重い空気の中、セイン王子は謝罪する。
沈黙の中、シトラル国王の重い口が開かれた。
「……信頼関係を崩す行為。王子のなされたことは決して許されるものではない。王として、いや、父としても許し難いことである。しかし、ローンズ王国はこの四年間で我が国にとって重要な国交相手になっていることは事実。明日、リアム陛下との謁見を許可しよう」
「ありがとうございます」
階下で跪くセイン王子は、深く頭を下げた。
◇
「親父さん……いえ、セロードさん。色々ありがとうございます」
謁見が終わると、セイン王子はセロードの執務室で頭を下げていた。
セロードがシトラル国王を説得し、レイの諜報部隊配属の許可を得たからだった。
「今回の潜入捜査は長くて一年までとします。成果が得られなくても期限後は速やかに帰国をお願いします。その際に……」
「はい、予定通り遂行します」
「……ああ」
セロードの呟きの後、長い沈黙があった。
それはその後に起こりうる状況が目に見えていたからだった。
何も知らないエリー王女やアラン、その他仲間や友人……。
想像するだけで胸が痛い。
「明日の朝、ジェルドの事務所へ向かうように。それまではいつも通りレイとして過ごしてください」
「いつも通り……」
もしかしたら最後の別れとしてセロードが用意してくれた機会なのかもしれない。
セイン王子は感謝の意を込めて頭を深く下げ、部屋を後にした。
◇
逸る気持ち押さえながら、エリー王女がいる庭園に足を運ぶ。
真剣に書類に目を通すエリー王女に、セイン王子は目を細めた。
「ごめん……」
セイン王子は誰にも聞こえないほどの小さな声で呟く。
瞳を閉じ呼吸を整えると、セイン王子はレイとして声をかけた。
「エリー様、ただいま」
レイの声に振り返るエリー王女は全身から喜びを溢れさせていた。
それが嬉しくて悲しい。
込み上げてくる涙を堪え、笑顔を作った。
夜、二人きりになるとエリー王女への想いが止められなくなった。
しかし喉まで出かかった言葉は何度も飲み込んだ。
もう会えないことを。
そして謝罪の言葉を……。
その言葉を隠すように、レイは身勝手にエリー王女と最後の夜を過ごした。
◇
朝食の時間になってしまったため、レイはジェルミア王子に断りを入れ、エリー王女を部屋に連れて戻った。
「内密な話ってなんだったの?」
レイの問いにエリー王女は言い淀む。
ジェルミア王子はアーニャを守るために、誰にも知らせないで欲しいと伝えていた。伝えれば出所を調べられることは明白である。
「いや、いいんだ。内密な話と言っていたわけだし。だけど、困ったことになったらアランを頼って?」
「アランを? レイは……? もしかしてまた……」
エリー王女はレイの腕をきゅっと握り締めた。
「ごめん。今からまた暫く他の仕事をしなくてはいけないんだ。側にいられなくてごめんね」
「今から……それはとても寂しいです……。今度はどれくらい不在になるのですか?」
「んー、結構時間が掛かるかもしれない。だから、俺がいない間に何かあったらアランやマーサさんを頼ってね。あと、無理しないでちゃんと休むんだよ? それから……」
レイはエリー王女を胸に引き寄せる。
「いつも笑っていて……」
「……はい。レイも無理しないで下さい。私、待っています」
「うん……ありがとう」
エリー王女を体から離し、唇ではなく頬に別れの口付けを落とした……。
◇
「ごめん、お待たせ」
レイが自分の部屋に戻ると、アランは読んでいた本を閉じてレイの側に寄ってきた。
「エリー様、何の用事だった?」
アランの問いに、レイは朝、エリー王女に呼ばれてから何があったかを報告した。
「そうか、分かった。気をつけて様子を見ておく。レイ、もう出発するんだろ? 諜報部隊への配属ではあるが、側近としての立ち位置も残しておくそうだ。だから、終わったらちゃんと戻って来いよ」
「うん……。ねぇ、アラン。万が一俺に何かあったらエリー様に俺のことは気にせず前を向いてって伝えて」
戻って来いという言葉にレイは曖昧に答え、話を反らす。
嘘をつくのはもう沢山だ……。
「……分かった。だが、無事に戻れよ。……ああ、そうだ……さっきアリスから手紙が届いた。セイン様の話なんて聞いてないぞ」
机の上にあった手紙を取りに行き、ひらひらと見せてからレイに手渡した。
「あー……、いや、俺がセイン様じゃないかって言うからさ、流石にそれはないと思ってアランには言わなかったんだ。ごめん。……そっか、アリスはセイン様が眠っている所を確認したんだ。うん、だよね、やっぱりそれはなかったね、あはは」
レイはアリスからの手紙に目を通し、笑った。
「アリスにはアランからお礼を送っておいて」
そう言いながらレイは魔法で手紙を燃やす。
実はアリスが疑っていることをリアム国王に伝え、セイン王子の部屋で眠っているところをわざとアリス見せたのだった。
これでもうレイとセインについて疑うものはいなくなった。
「じゃあ、俺行くよ。エリー様のこと宜しく。本当、俺、アランと出会えて良かったよ」
レイはアランを抱きしめた。
「な……どうしたレイ」
「ははは。うん、二人と離れるのは寂しいな~って。でも、俺、頑張るよ」
「……ああ、早く終わらせて戻ってこい」
アランがレイの背中をバンバンと力強く叩く。
「うわ、いった~~~!!」
その痛みにレイは瞳を閉じ、噛み締めるようにアランの背中を同じように叩いた。