第085話 差し伸ばされた手
空が白みがかった頃、エリー王女は久し振りに幸せな気持ちで目が覚めた。
柔らかなベッドの上でレイを思い出し、呼べば直ぐ会える距離にいるのだと実感する。それと同時に、昨夜の出来事が脳裏に映し出され頬が熱くなるのを感じた。
「私は朝から何を……」
恥ずかしくなったエリー王女は、気持ちを落ち着かせるためにベッドから降り、カーテンを開いた。まだ外はぼんやりとしている。
暫くすると、徐々に明るさを増した庭園に人影が見えた。
「あら? あの方は……ジェルミア様? こんな朝早くにどうしたのかしら……」
よく見れば、庭園のベンチにジェルミア王子が頭を抱えるように座っている。
「体調がよくないのかしら……」
心配になったエリー王女は、側近を呼ぶための紐を引いた。
「どうしたの? 何かあった?」
するとすぐにレイが慌てて部屋へとやってくる。
「レイ、ジェルミア様が……」
話を聞いたレイも窓からジェルミア王子を確認した。
◇
アーニャの話を聞いたジェルミア王子は、眠れぬ夜を過ごした。気分を変えるために、庭園を歩きベンチで休む。冷たい風を浴びてもジェルミア王子の頭をすっきりさせることは出来なかった。
「ジェルミア様……お加減が悪いのですか……?」
突然のエリー王女の声にジェルミア王子は驚き顔を上げる。
そこには、しゃがみ込み自分を覗き込むように見つめるエリー王女がいた。大きな瞳が揺れている。
「エリー様……。いえ、大丈夫ですよ、ありがとう。しかし、こんな朝早くどうしてここに?」
「自室からジェルミア様が見えました。とても具合が悪そうに見えましたので……」
自室と聞いてジェルミア王子は自然と城の方に視線を移した。その視界にレイの姿が入る。
エリー様とレイは朝までずっと一緒にいたのだろうか。
危険を犯してまで傍にいたい相手……。
「レイ君……だったかな? エリー様と内密な話がしたい。お願いできるかな?」
ジェルミア王子はレイを真っ直ぐ見据えた。
「……はい。ただ、私から見える位置でお願いします」
以前、エリー王女を無理やり唇を奪おうとしたことがあったからだろう。
レイはけん制しながらも許可を出した。
「ありがとう。エリー様、ではこちらに座っていただけますか?」
レイと離れてエリー王女は少し不安そうではあったが、以前の小動物のようなびくついた感じはない。今はまっすぐジェルミア王子を見ていた。
「それで、内密なお話とは?」
「……実は、エリー様が昨夜レイ君と甘い夜のひとときを過ごしていたことを僕は知ってしまった」
エリー王女は分かりやすいほどに、さっと青ざめる。
「え……。あの、何を仰っているか私にはわかりません……」
「もし、私が二人の関係を公にしたら皆は信じるでしょうね。だって、私には何のメリットもないことですから」
状況を理解したのかエリー王女ははっと息を飲んだ。
「脅す……つもりなのですか?」
エリー王女の手が震えている。それを見てジェルミア王子はその手の上にそっと自分の手を置いた。
「どうするべきかずっと考えていました。公になれば、あなたは愛する人を失うだけではすまない。この国の王族等は王座を狙ってここぞとばかりにエリー様を陥れるでしょう」
「あの……ジェルミア様。どうか……どうか、このことは誰にも言わないで下さい」
エリー王女の願いに、ジェルミア王子は首を振る。
「この短い期間に私に知られたのです。私が言わなくとも他の人に見つかるのも時間の問題かと思われます」
「それは……」
今にも泣き出しそうに瞳を潤ませたエリー王女を見たジェルミア王子は大きくため息をついた。
「私はあなたのそのような顔は見たくないのです……。エリー様。私と結婚してください」
「ジェルミア様……やはり……」
「違います。脅しているつもりはありません。エリー様はいずれ誰かを選ばなくてはならない。なら全てを知っている僕を選んだ方がいい。僕はただあなたを守りたいだけなのです」
真意がわからないのかエリー王女は押し黙った。
「それに彼には他に相手がいると聞いたよ。城中知っていることだと聞く。エリー様も耳にしているのですよね?」
「マーサのことでしょうか……それは私たちを守るための偽りの噂です……事実ではありません」
エリー王女は首を振り、ジェルミア王子に経緯を説明する。
「そういうことですか……。安心しました……。しかし、これからどうするつもりでしょうか。どちらにしても一緒にはなれない」
「私も色々と考えて動いております。ですので、有難いお話ではございますがジェルミア様とは結婚はできません。あの……そっと見守って頂けないでしょうか」
「そうはいきません。先ほども申し上げましたが、二人の関係が露見されるのも時間の問題でしょう。偽りの噂を流したとてこの有様。……では、候補者として僕の名前を挙げてくれるだけでいい。エリー様にも隠れ蓑は必要だし、万が一彼と怪しまれたのなら私が否定します」
「わかりません……ジェルミア様が何故そこまでしてくださるのか……」
困惑するエリー王女にジェルミア王子は微笑んだ。
「簡単なことです。あなたが好きだからですよ」