第073話 噂
エリー王女が後宮にいた頃から仕えていた侍女のアーニャは、マーサの部屋を訪れていた。
「え? エリー様のお支度はしなくてもいいんですか?」
アーニャの両サイドに結った髪が大きく揺れる。
「基本的なことはご自身でやるとお決めになられましたので」
「でも、一人じゃ困っちゃうんじゃないんですか?」
「それはレイ様がお手伝いなさいます」
「えっえっ? レイ様って男性ですよ? 大丈夫なんですか?」
何を想像してしまったのかアーニャは顔が赤くなった。十六歳の純粋な少女は男性に体を触れさせることに疑問を抱いているようだ。
「エリー様はもう大分一人で出来るようになりました。手伝いをすると言っても、アーニャが想像しているようなことではありませんよ」
マーサは先日の襲撃の件について説明をするとアーニャは納得した。
「でもでも、アーニャだったら恥ずかしくて嫌だな~。エリー様って大変ですね……」
「そうですね」
アーニャが本当にエリー王女のことを想って顔をしかめたので、マーサは微笑んだ。
「少し時間もありますので皆さんのお手伝いでもしに行きましょうか」
「はい!」
◇
大広間では既に騎士達の姿はなく、食べ残ったお皿やお酒がまだ沢山並べられていた。
「あ、マーサ様。エリー様の支度はもう宜しいのですか?」
使用人の一人がマーサに話しかけ、近くにいた使用人も集まってくる。ことの経緯を説明すると使用人達から甘い声が漏れた。
「わぁ、私もレイ様にあれこれしてもらいたぁ~い!」
「私も~! でも、体を拭いてもらったり、着替えさせてもらったりするのよね? 見せられるような体じゃないから恥ずかしいわ!」
「緊張しちゃうだろうけど、羨まし~い!」
次々にレイとの想像を楽しむ使用人達にマーサは苦笑いを浮かべる。
「簡単な補佐だけですので、そのようなことはしませんよ」
「なぁ~んだ。でも、確かにそこまではしないですよね。そんなことをしたらいくらレイ様でもこう~ムラムラ~って」
「あ、でもほら。レイ様って女性との噂ってないじゃない? 実は男の方が好きなんじゃないかって」
「そうそう! アラン様と出来ているって話もあるわよね」
「それ~!! そうだといいのにぃ~」
きゃあきゃあと使用人達が喜んでいるのを見て、マーサは自分が恋人役であるより現実味があるのではないかと感じた。
「あなたたち! 油を売ってないで仕事をしなさい!」
遠くから怒鳴り声が飛んでくる。その声に使用人達は蜘蛛の子を散らすように持ち場に戻った。
「ルイーザ、邪魔してごめんなさい。お手伝い出来ることはあるかしら?」
マーサがチーム長であるルイーザに尋ねるとルイーザは眉間に皺を寄せた。
「てっきり邪魔をしにきたのだと思いましたよ。では、広間の床磨きを手伝って頂けると助かります」
鼻をふんっと鳴らし、ルイーザはすぐに立ち去った。
「感じ悪いですね」
アーニャは口を尖らせマーサだけに聞こえるようにと呟く。マーサはアーニャの背中を軽く叩くと、他の使用人と一緒に床を磨き始めた。
◇
しばらくすると使用人達がざわっと色めき立ったのを感じ、マーサは辺りを見回した。広間に入ってきたレイを見つけると一人納得をする。レイが迎えにくることは初めから決まっていた。多くの人に一緒にいるところを見てもらうことで、恋人になったことへの信憑性を高めようというのが今回の目的だった。
「ああ、いたいた! マーサさん! 探しましたよ~」
マーサを見つけるとレイはにこにこと笑顔で近づいてきた。マーサも微笑み立ち上がる。
「お掃除されていたんですか? マーサさんも移動で疲れているでしょう? 大丈夫ですか?」
「いつも気遣っていただいてありがとうございます。私は大丈夫です。エリー様の方は問題ありませんでしたか?」
「はい、滞りなく終えました」
レイとマーサが話をしているとルイーザが無表情のまま近付いてきた。
「もうこちらは大丈夫ですので、エリー様の元にお戻りください」
「あ、ルイーザさん。お仕事中お邪魔してすみませんでした。では失礼します」
輝くような笑顔でレイは応え、小さくお辞儀をする。
遠巻きに見ていた使用人達はうっとりとレイを目で追い、三人が大広間を出て行くのを見送った。
姿が見えなくなれば、近くで見られたことに大興奮だ。
「静かになさい!」
ルイーザの声も届かぬほど興奮冷めやらぬ状態であり、ルイーザは大きくため息をついた。
確かに自分もあの笑顔に一瞬時を忘れてしまったくらいだ。
しかしそれよりも、何の役職のない自分の名前をレイが知っていたことに驚いた。
レイ様は他のお偉い方とは少し違う。
ルイーザはそんな風に感じた。
ルイーザ清掃長




