第068話 忍び寄る黒い影
ローンズ王国を出発してから六日が過ぎた。
現在はアトラス王国の鬱蒼とした森の中。
ある程度整備されてはいるものの、馬車が一台通るのがやっとの細い道を進んでいた。
先頭を走る騎士団隊長のビルボートが鼻をすんっと啜る。
「臭うな……」
手を上げ、止まるよう無言で指示を出す。目を細め、周りの気配に集中した。木々のざわめきが辺りを包む。
ビルボートは後ろにいる仲間に戦闘体勢に入るよう手振りで知らせ、一人に偵察に行くように目で合図を送った。
列の真ん中でエリー王女が乗っている馬車の護衛に当たっていたアランとレイにも指示が届く。
馬車が急に止まったことに疑問を感じたマーサは、カーテンの隙間から外を覗いた。多くの木々が見え、次の滞在所があるようには見えない。
「何かあったのですか?」
マーサが小窓から御者に確認した。
「戦闘体勢に入るよう指示が来たので待機しております。恐らくもうすぐ第二の指示がくると思われますので暫くお待ち下さい」
その言葉にエリー王女とマーサは顔を見合せた。
「マーサ……」
「大丈夫です。今回はローンズの皆様もいらっしゃいます」
マーサはエリー王女の隣に移動し、肩を抱き寄せる。エリー王女の体が僅かに震えていた。マーサは体をさすりながら何度も大丈夫だと言い聞かせる。
馬車の外では一人の騎士がレイの元へ駆け寄ってきた。
「レイとアリスさんに先陣を任せたいとのこと。宜しくお願いします」
レイとすぐ後ろにいたローンズ王国の騎士団隊長のバーミアに伝える。
「人数が多いのか。確かにこの狭い道なら魔法が有効だな。アリス……」
バーミアはアリスに視線を送り、近くに呼び寄せた。
「アラン、エリー様のことお願いね」
「ああ。気を付けろよ、レイ」
レイはアランに頷いて見せると、ちらりと馬車の方に視線を移動させてから馬を走らせる。遅れて後ろからアリスとローンズ王国の騎士隊長バーミアも続いた。
「隊長。状況はどうなってますか?」
緊迫した空気の中、ビルボートの元に着いたレイが静かに声をかける。
「ここからまだ大分先だが八十人ほどが道を挟んで待ち伏せしているそうだ。こっそり森から入り奇襲をかける。二人は左右に別れ、先陣をお願いしたい。人数は多いが我々であれば必ず切り抜けられる」
騎士達は馬を置き、左右に広がっている森の中を二手に別れて進んでいくことになった。
右側の森はアトラス王国が担当し、レイが先頭になって進む。風の魔法を使い、気配に集中しながら歩みを進めた。
「近い……」
嗅覚の鋭いビルボートの呟きに同意するようにレイは頷いた。
前方奥の木々の上に多くの気配を感じる。待ち構えて奇襲を狙っているのだろう。
レイは意識を集中し、両手を広げる。
風が後ろから吹き始め、木々と共に騎士たちの髪を揺らした。
「よし」
追い風が強くなるとレイは勢いよく手をクロスさせた。
その瞬間、レイよりも先に進む風が鋭利に吹きすさび、森の奥へと走り抜ける。
風は敵の皮膚や鎧を切り刻み、遠くから痛みに悶える悲痛な叫び声が次々と上がった。
「このまま突き進む!」
レイが声を張り上げながら剣を抜き走り出す。それを皮切りに、騎士たちも一気に突撃を開始した。
木々にいた男たちは既に木の根元でのたうち回っている。魔法が当たらなかった者達は、突然の攻撃に驚き一歩出遅れた。
レイは奥へと進みながら次々と木の上にいる者から優先に魔法を放って行く。敵も体制を整えたのか、いくつもの矢が次々と飛んでくる。それを副隊長のアルバートが剣で切り落とした。
「先輩」
「奥の敵に集中しろ。俺が援護する」
「はい!」
アルバートは向かってくる敵や放たれた矢に器用に対処していく。
静かだった森は今や、怒号と金属がぶつかる音で騒然としていた――――。
森の奥にある高台から隠れるように身を潜めている男が目を細めた。うねった黒い髪をかき上げ、黒いマントのフードを深くかぶる。
「まさか、ローンズの騎士まで来ているとは……。我々の人数が多いとは言えど、傭兵程度ではどうにもならないか……」
立ち上がり、踵を返した。
早急に報告をしなければならない。
――――ディーン様に。