第060話 意志
しばらくの間、エリー王女はレイの胸の中で顔を埋めていた。暖かさと心地よい心音でエリー王女はやっと落ち着きを取り戻す。それでも、レイから離れたくなくて動かずにいた。その時、リアム国王の言葉が過ぎり、エリー王女はもぞもぞと顔あげる。
「レイ……」
「ん……?」
「もしも……もしもレイが貴族であれば……レイと一緒になれますか?」
真っ赤な瞳に涙でぐしょぐしょになった頬。レイは優しく髪を撫で、困ったように笑った。
「アトラス王国の貴族であれば可能性はあるけど、他国の場合は難しいかな」
「そう……ですか……」
レイの答えに対しエリー王女は険しい表情をしたまま黙っていた。
「どうしたの?」
「あの……。ではもし、私が王となった場合は一緒になれる可能性はございますか?」
「……え? 王に?」
「はい……」
エリー王女はリアム国王から聞いた話をレイにした。
「動機が不純ではございますが、私……レイと一緒になれるのであれば王になりたいです……」
「エリー……。確かにエリーが女王として君臨したら、王配の一人にはなれるかもだけど……」
少しは喜んでくれると思っていたが、レイの表情は曇ったままだった。
「嫌ですか?」
「ううん、違うんだ。エリーと一緒になりたいし、その気持ちも嬉しい。だけどまだ決まったわけじゃない。王になることが出来ないかもしれない。もしなれたとしても、王配にはなれないかもしれない。そういう不安が期待してはだめだと心を抑えているだけなんだ。でも、本当に嬉しいよ! エリーが俺のために色々考えてくれて」
「レイ……」
明るく振る舞うレイに、胸がズキンと痛んだ。あんなに明るかったレイが自分のせいで苦しんでいる。どうしたら笑顔になってもらえるのだろう。エリー王女は瞳を揺らしながらレイをじっと見つめた。
「ごめんね。俺がこんな顔をしてたらエリーも笑えないよね。大丈夫。どんなことがあってもずっと傍にいるから。だから笑って。ね?」
レイはいつもの笑みを浮かべた。
それは優しくて温かな笑顔。
エリー王女の頬を撫で、元気付けようとしてくれていた。
その笑顔につられて、エリー王女はぎこちなさはあるものの笑顔を作った。
結局、笑顔にしてもらったのはエリー王女の方だった。
レイに何もしてあげられていない。
エリー王女の胸の中にはもやもやとしたものが広がっていた。
「うん、エリーは笑っている方がかわいいよ。よしっ! じゃあ俺、そろそろ行くね。あんまり長くいると……ね……」
すっと立ち上がるレイの姿に思わず腕を掴んだ。
「ま……待ってください……あの……そう! マーサと一緒に……三人で過ごすのはどうでしょうか? 恋人……になったわけですし、不自然ではないですよね?」
少しでも一緒にいたくて、そんなことを口走ってしまう。レイは少し驚いた様子だったが、優しく微笑んでくれた。
「そうだね……ありがとう」
全く一緒にいられないわけじゃない……。
◇
「……エリー様」
マーサはレイに呼ばれて部屋にくると、直ぐにエリー王女の傍へと寄った。目元に触れ、僅かに乱れた髪を直す。涙のあとを見て、マーサは気遣わしげに微笑む。
「私がこちらの部屋におります。エリー様はこの奥のお部屋でレイ様とゆっくりお過ごしください。そうすれば誰も疑うことはないと思いますから」
「マーサ……私……」
マーサはゆっくりと首を振り、エリー王女の言葉を止めた。
「私は何も知りませんし、何も聞きません。そして、ここで起きることも何もわかりません。ですので、悲しむのは止めましょう」
「マーサ……」
胸に飛び込んできたエリー王女を抱きしめ、背中を優しく撫でる。マーサは少し悲しそうに微笑むと視線をレイに移した。
「レイ様にご相談がございます。あってはならないことではございますが、先日の襲撃事件の時ように、私がお側にお仕えすることが出来ないこともあるかもしれません。そこで、今後のためにエリー様の身の回りのことも覚えていただけないでしょうか? そうすれば一緒にいる理由も増えますから」
「……ありがとうございます。そうですね。よろしくお願いします」
レイはマーサに深く頭を下げる。
「あ……あの……」
二人の話を聞いていたエリー王女はマーサから顔を離し、ソファーから立ち上がった。手を組み、きゅっと握り締めると、顔を上げる。
「私にも教えてください」
自分で何も出来ないものが王になれるだろうか。
何もかも用意されたものをそのまま受け入れ従うだけ。
後宮にいたこと。
結婚のこと。
どこに行って何をするのか。
着る服さえ決められている。
ただ言われるがままに動いているだけ。
自分はただその場にいるだけの意思のない人形と同じ。
守られているだけではダメなのだ。
レイを守れるような人になりたい。
――――変わりたい。
エリー王女の中で何かが動き出した。