第031話 溢れる想い
後ろ髪を引かれる思いでレイを見送ったあと、エリー王女はバルコニーから外を眺めた。美しい庭園が目に入り、一つため息をこぼす。先ほどまでの荒んだ気持ちは大分落ち着いていたが、まだこの景色を眺める余裕はない。
手すりに両手を置き、瞳を閉じる。
レイの温もりを思い出せばまた一つため息がこぼれた。
「レイ……」
妬みという気持ちを打ち明けたが、エリー王女の胸の中にはもっと大きな問題を抱えていた。それは決して言葉にしてはいけないものであった。
結婚式で幸せそうな二人を見たとき、思い浮かべたのはレイだった。レイの隣に立ち、町の人達に祝福をしてもらえたらどんなに幸せだろう。そう思った瞬間、自分の気持ちにはっきりと気がついた。
レイを好きなのだと。
いや、本当は分かっていた。二人で花火を見たあの日からエリー王女の胸は高鳴っていたのだから。だけど気付いてはいけない気持ちなのだと見て見ぬふりをしていた。
好きになって良いのは候補者のみ。側近はもちろん候補者に含まれていない。候補者から選ぶというのは王命であり、これに背くなどあってはならないのだ。
――――友達でしょ?
レイの言葉がエリー王女の胸を締め付ける。
あれほど友人という関係を望んでいたにも拘らず、レイに言われて傷付いた。
友達という関係ではなく、レイが欲しい。
胸に光る母の形見のネックレスを左手でそっと握った。母にだったらこの想いを打ち明けることが出来ただろうか。誰にも頼ることも出来ないエリー王女は、いつも心の中で母に問いかけていた。
「きっと反対なさるでしょうね……」
分かっている。
レイと結ばれることは、決して叶わない。
ならばこの友達という関係にしがみつくしかなかった。
レイが自分を見てくれるなら、女性の姿であろうと構わない。
「お母様。恋ってこんなに辛いものだとは思いませんでした……」
自分の独り言に苦笑いを溢した。レイへの想いに気がついた今、友人として側にいてもらうことを決め、エリー王女はゆっくりと深呼吸をした。
風がエリー王女の胸を吹き抜ける。
――――今までそういうことはなかったからどうなんだろう? 何故かエリーだと触りたくなっちゃうだよね。
ふと、レイとのやり取りを思い出した。自分以外に触れたいと思ったことがないとは本当なのだろうか。本当は誰にでも同じようなことをしているのかもしれない。そう、他の女性にも……。
エリー王女は頭を左右に振って、よくない想像をかき消した。
レイはそんな人ではない。そもそも、そんな人であれば側近という立場になどなれるはずがない。自分が出した答えに一人納得をした。
少なからず好意はある。
とりあえず自分の良い方へ解釈することにした。優しいのは側近としてなのかもしれないが、実際こんな風に受け止めてくれる人は今までいなかった。もちろんマーサも受け止めてはくれている。しかし、女官としての位置から逸脱することはないのだ。
だからこそ、レイの優しさは特別に感じた。
「嫌い……ではないですよね……」
孤独であったエリー王女にとってその特別は大きな光となっていた。
◇
エリー王女は私室にある書斎へと向かった。カテゴリー毎に分けられた書棚。迷わず目的の書棚に立つと、とある本に手を伸ばした。この書棚は、恋愛を題材にした物語が並べられている。
その中の一つ。
――――禁じられた恋。
そんな題材は架空の物語として読んでいたが、今は違う。実際に起こり得るのだと分かった。物語の主人公はどう過ごし、結末はどうなったのだろう。机の上に何冊か本を重ね置き、すがるようにいくつもの本を開いていった。
心中。
駆け落ち。
魔法使いが夢を叶える……。
どれも現実的ではない。
お互い心に秘めたまま生涯を終えるものもあった。初めて読んだ時はロマンチックだと思ったが、今ならそれがどんなに辛いものであるか分かる。
最後の本を閉じ、大きなため息をこぼす。
「友人でも良いと決めたのに何を期待していたのでしょうか……」
出した本を一つ一つ元の位置に戻していく。胸が締め付けられ、息が苦しい。空気の薄い世界にいるようだ。
レイの瞳。
頬に触れる指。
暖かい胸。
優しい笑顔。
レイのことを思い出しては深い溜め息が溢れた。それがとめどもなく続くから重症である。
今度は壁にかかる紐をじっと見つめていた。この紐を引けばアランかレイのどちらかがやってくる。引いてみようか……。理由は何が良いだろうか。
紐を引く勇気はないのに、いつまでもあれこれと理由を考えては首を振る。
「この気持ちは、誰にも気がつかれてはいけないもの……」
溢れ出るレイへの想いが見つかってしまえばレイに会わせてもらえなくなるかもしれない。そうは思いつつも会いたいという気持ちは止まらなかった。