第026話 K地区
エリー王女の元気を取り戻すために二人で考えたのは、城から南に離れたK地区という場所でとあることをしようというものだった。K地区とは、アトラス王国中心都市内でもっとも治安が良いとされている場所である。そこで身分を隠し、気楽に過ごすことによって、気分転換になるだろうと考えたのだ。
三人はドドドン酒場を出るとすぐに馬車へ乗り込んだ。馬車に乗ることが初めてだったエリー王女は、凄い速さで景色が変わっていくことに驚き、胸が踊った。
「こんなに早いのですね……」
頬を桃色に染め、瞳を輝かしながらエリー王女は窓の外をずっと眺めていた。あまりにも夢中だったため、隣に座っていたレイは、自分に気がついて貰えるようにエリー王女の手を取り顔を覗き込んだ。
「エリー。今度馬に乗ってみる? 馬の方が風を感じて気持ちいいよ」
「え!? 馬に乗せていただけるのですか!?」
エリー王女はレイの方に顔を向け、更に瞳を輝かせる。レイはその反応が嬉しくて、笑顔で頷いた。
「アラン、いいよね?」
先ほどエリー王女の手を握った手をレイがきゅっと握りしめ、アランの方に顔を向ける。すると、エリー王女もレイの手をきゅっと握り返し、アランに目を向けた。
どうか許可してくれますように。
二人の気持ちは一つで、期待を込めてじっと見つめた。
「……まぁ、いいんじゃないか。次の休みにでも三人で遠乗りにでも出掛けるか」
「やったぁ! 良かったね、エリー!」
「はい! 次の休みが待ち遠しいです! 楽しみがあるって良いものですね!」
エリー王女とレイが両手を取り合い、喜びを露にした。
「おい、レイ。いくら友達だからと言って、そうベタベタくっつくのはどうかと思うぞ」
二人の様子にアランは顔をしかめ、レイを咎める。
「あ、あの……アラン。レイは今女性です。女の子同士の友達はこのようにくっつくものだと、以前学びました。ですから良いと思うのですが……。それに、私は女友達にも興味がございますので……」
咄嗟に反論してしまい、変に思われただろうか? まるで、レイとくっついていたいと言っているようだ。頬が赤らむのを感じつつちらりとレイを見ると目が合い、にっこりと微笑まれた。
「そう、今は女友達。だからいいんだよ。大丈夫、男に戻ったらちゃんと男友達らしくもっと距離を取るから」
アランは暫く考えた末、納得したようだった。
エリー王女はというと、レイの"もっと距離を取る"という言葉に引っかかりを感じた。前ほどじゃないにせよ、今のような態度ではなくなってしまうのかと思うと気持ちが落ちてしまう。条件はレイが女性の姿でいること。そんな風にエリー王女は考えていた。
◇
レイとおしゃべりを楽しんでいると、いつの間にかK地区に到着した。
馬車から降りると目の前には旧市街が広がっており、エリー王女は新しい景色に高揚する。
道なりに隙間なく二階建ての家が連なり、一階はお店になっているところが多い。馬車が一台通れるほどの幅の道をエリー王女はレイと手を繋ぎ、きょろきょろと見渡しながら歩いた。
「おお、レイ! 待ってたぞ!」
突然一人の男が話しかけてきたのを皮切りに、次々と沢山の人が声をかけてきた。
「おぉ、レイ! 噂通り本当に女だな!」
「あっレイだ! ねぇ、レイがきたよ~!」
「なになに、その可愛い子は誰?」
「わ~、レイってば可愛い~!」
次から次へと人が集まってきて、三人はすっかり囲まれてしまった。エリー王女はその状況に驚き、レイにしがみつき固まる。レイもすぐに気がついたようで、エリー王女の腰を引き寄せた。
「みんな、久しぶり~! 今日は宜しくね~! あ、おばちゃ~ん! 今からそっちに行くよー!」
レイは遠くに見えたかっぷくの良い女性を見つけると、大きく手を振った。その女性もまた大きく手を振ったのを確認し、集まってきた人に軽く挨拶を済ませて奥へと突き進む。
「ごめんね、またあとでね~」
人混みを掻き分け、なんとか女性が待つ場所まで到着した。
「その子がアランさんの親戚のエリーちゃんだね。宜しくね?」
「は、はい。宜しくお願いします」
女性は優しく微笑むと、二十人ほど入れるような食堂へ案内した。店内は古いものの、綺麗に磨かれた壁や床は、木の風合いを最大限に活かしていた。また、赤のタータンチェックのカーテンが可愛らしい。
「さ、エリーちゃんもこのエプロンをつけてくれるかい?」
手渡されたのは赤のエプロンだった。食堂には七、八歳位の子供が五人立っており、その子供たちも様々なエプロンを身に付けていた。
エリー王女がどうしてよいかわからず戸惑っていると、レイはエプロンを受け取り笑いながら教えてくれる。
「ごめんごめん、驚いたよね。今日は友達の結婚式が昼にあるんだけど、それのお手伝いをしようと思っているんだ。で、エリーには結婚式には欠かせないパン作りのお手伝いをしてもらおうと思って」
「え!? 私、お料理などしたことなどございません。できるでしょうか……?」
レイがエリー王女にエプロンをつけてくれていたため、目の前にいる子供たちに向かって不安の声を漏らした。
すると、一人の女の子が近づいてきてエリー王女の手を取った。
「お姉ちゃん、大丈夫だよ。私たちも初めてだから一緒に頑張ろう?」
にこにこと笑顔で見つめる女の子につられ、エリー王女は恥ずかしそうに微笑んだ。こんな小さな子が出来るのであれば、自分にも出来るかもしれない。振り返ってレイを見ると、にこにこと笑顔で頷いた。
エリー王女も頷き、女の子の視線に合わせる。
「そうですね。ありがとうございます。お姉ちゃん頑張りますね」
期待と緊張、不安が入り交じっていたが、決して悪い気持ちはしなかった。エリー王女は女の子の手を取り、気合いを入れてパン作りに挑んだのだった。