第200話 冷静と怒り
エリー王女が外出の許可を得たときに備え、アランは側近部屋で準備を進めていた。外出用の許可証の作成や、馬車の手配、人員確保。様々なことを一人でこなす。
「……?」
一人しかいない側近部屋はとても静かであったが、アランは何か物音が聞こえた気がして手を止めた。意識を集中し、帯びた剣に手を添える。それ以上は何も聞こえなかったが、アランはエリー王女の私室がある壁に歩を進めた。
チリンチリン。
その時、エリー王女の部屋から呼び鈴が鳴った。
ハッとしたアランは素早く部屋を出て、エリー王女の私室へ向かう。今はディーン王子がいることは知っていたが、扉を叩くことをせず勢いよく開けた。
それと同時に何かが胸の中に飛び込んで来る。
「アランっ!」
見下ろすと、下着姿のエリー王女が体を震わせていた。乱れた髪に左頬が赤く染まっている。視線を移せば、怒りを宿したディーン王子が目の前に立っている。奥には脱ぎ捨てられたドレス。無関心に立ち尽くすセロードとヒースクリフ。
素早く状況を確認したアランは、エリー王女を守るように片手で抱き締めた。
「ディーン様、これはどういうことでしょうか?」
アランは冷静に、そして静かに問う。
「あと数日で妻になるのだ。何をしたとしても問題はない。それより、我妻を胸に抱き寄せるとはなんという不届き者!」
ディーン王子はアランに睨みをきかせ、荒々しく怒鳴り声を上げた。
「恐れながらディーン様。私の役目はエリー様をお守りすること。それ以上でも、それ以下でもございません。それより、これからずっと妻として寄り添われるのですから、エリー様のお心の準備が整われるまでお待ち頂けないでしょうか。先は長いですので、ゆっくりと心を通わせてから肌を重ねて頂けると有り難く存じます」
今すぐ切り捨ててしまいたいほど怒りを感じていたが、アランは無表情にディーン王子を見つめ、淡々と静かに伝える。
ディーン王子はじっとアランを見つめた。
アランの冷静な態度と自分を認めてくれているような発言は、ディーン王子の気持ちをゆっくりと落ち着かせる。
拒絶されるのは当たり前であるのに、頭に血が上ってしまった自分をディーン王子は恥じた。出来る限り嫌がることはしたくないと思っていたのに、体が震えるほど脅えさせてしまった。
ディーン王子は一呼吸置く。
「……エリー、申し訳なかった。もうこのようなことはしない。だからこちらに来てほしい」
手を差し伸べるディーン王子の表情は、先程とは全く違うものだった。恐らく納得してくれたのだろう。アランの胸の中に顔を埋めているエリー王女はそれに気が付いていない。
「エリー様。ディーン様の元へ」
アランが促すものの、胸の中にいるエリー王女は動く気配はしなかった。怖い思いをした後である。直ぐに気持ちを切り替えるのは難しいのだろう。
「ディーン様。申し訳ございません。少しお時間をいただけないでしょうか。エリー様はまだ――」
エリー王女がアランの胸を僅かに押したため、アランは話すのをやめた。俯いたままディーン王子の方へ向き直るエリー王女は、差し出されたディーン王子の手を取った。
「も、申し訳……ございません。余りにも……驚いてしまいましたので……」
「いえ……怖い思いをさせてしまいました。許してくれますか?」
優しく語るディーン王子の声にエリー王女は小さく頷く。
「あなたはとても優しくて賢い。そんなあなたが好きですよ」
手を引き、ディーン王子はエリー王女を抱きしめた。
「……ですが、他の男に抱きつくのはもうやめてくださいね。次は許しませんよ。意味はわかりますね?」
耳元にぐっと唇を寄せ、低い声で小さく囁いた。その声はアランには届かない。
硬直しているエリー王女の頭を優しく撫で、赤く染まる右頬に口づけを落とす。
「可愛い私のエリー。ではまた夜に」
ディーン王子が優しくエリー王女に微笑むとそのまま部屋を出て行った。
扉が閉まるとエリー王女の体はぐらりと傾いた。
「エリー」
力が抜けたエリー王女を直ぐにアランが支える。
「怖い思いをさせて悪かった。そして、良く逃げてくれた。ありがとう、頑張ったな」
「アラン……私……ううっ……」
「本当にすまない……。少し休もう」
アランがエリー王女を抱きかかえ、ベッドの上へと運んだ。布団をかけると、エリー王女は自ら頭まで潜っていった。
「直ぐにマーサさんを呼んできてやる。そこでゆっくりしてろよ」
エリー王女の反応は見られなかったが、アランはマーサを呼びに部屋を出て行った。




