第196話 レイの失われた記憶3
俺がK地区を担当するようになって一年が経つ。最初は冷たい街だなって思ったけどそうじゃなかった。一人一人と心を通わせていったら、凄く温かい人たちばかりで凄くいい街だった。
いつの間にか人と人とが繋がり、少しずつ笑顔の輪が広がっていく。
「レイ、おはよう」
「おはよう。今日も気持ちのいい朝だね。あ、後でまた顔を出すね!」
「おはよう、レイ」
「おはよう。腰の具合はどう?」
「おはよう。今日も出来立てのパンを持っておゆき」
「おはよう! いつもありがとう、おばちゃん!」
街を歩けば、誰もが俺に笑顔を向けてくれる。誰かを笑顔にすることはこんなにも心が温かい。それに、今ではK地区が王都で一番治安がいいと評判になっていた。
ずっと自分の居場所を守りたいと思っていたけど、今はそれだけじゃない。
もっと沢山の人を笑顔にし、この国を守りたい。
そう強く思うようになっていた。
地区配属は最初の一年だけで、騎士として討伐や護衛などの任に就いた。だけどそれは、俺の心は満たしてくれず、物足りないと感じていた。
「ねぇ、今日は他に仕事はないの?」
時間が空けばいつもドドドン酒場に来ていた。ここは諜報員の本拠地でもある。
「働くね~。まぁ、あることにはあるけど、こいつはちとキツいぞ」
「大丈夫、なんでもやるよ!」
ジェルドから貰う仕事は情報収集が基本だった。国の役に立ちたい。その想いが強く、喉の渇きを潤すかのように寝る暇を惜しんでどんなことでもやっていった。
そのお陰か俺の功績はどんどん上がっていく。親父さんやアランにはあまり無茶をするなとは言われていたけど、何かをしていないと落ち着かなかったんだ。だから――――。
医務室の白い天井を眺めながら、右手に力を入れる。だけど、体は上手く動かなかった。脱力し、沈んでゆく肉体を感じながら強く瞳を閉じる。
こんなところで寝ている場合じゃないのに……。
カチャリと扉が開いたのを感じ、視線だけをそちらに移した。そこにいたのは険しい顔をしたアランだった。
呆れてるのかな?
それとも怒ってる?
アランはベッド脇の椅子に座ると、ため息をついた。
「だからあれほど言っただろ。無茶しすぎなんだよ、お前は。毎日ほとんど寝ずに働いた上に、魔法薬の実験なんて手伝っていたらそりゃ倒れるに決まっている」
「あー……うん。ごめん」
あまり反省していない謝罪に気が付いたのか、アランの眉間の皺が更に深くなる。
「そんな無理をしてまで頑張る必要があるのか?」
「んー……あるかな……うん」
「どうしてだ?」
「……自分のいる意味を実感したいから……かな……」
「あるだろ、充分」
アランの声は低くて、少し怒っているようにも感じた。だけど今の俺は体がボロボロのせいか、自分の心を抑えるのが難しい。つい、ずっと感じていたことを口に出してしまった。
「……ねぇ、アラン。ここのみんな、優しすぎるよね……。俺の記憶がないから……同情しているのかな?」
「アホか。くだらないこと考えるな。お前がいい奴だからだろ。いいから寝ろ」
そう言ってアランは俺の頭を軽く小突いた。今度こそアランは本気で怒っているようで、それが少し嬉しかった……。
数か月後。
エリー王女の側近候補者として自分の名前が挙がった。
こんな自分でもなれるのか。
側近として、エリー王女を導くなどおこがましいことなのではないのか。
だけど、この国のために何かを成し遂げたい。
守りたい。
もやもやとした気持ちを抱えながら、見張り台から見える赤く染まるアトラス王都を見渡した。
「またくだらないことを考えているのか?」
いつの間にかアランが隣に立っていた。だけど今は顔を見られたくなくて、遠くを眺めながら俺は笑ってみせた。
「あはは。うん、そうだね。多分くだらないこと……かな」
視線を感じたけど、やっぱりアランの顔は見れなくて、ただ景色を見つめやり過ごす。しばらく沈黙があったあと、アランがため息をついた。
「お前は俺の弟だ。堂々としていればいい」
「え?」
驚いてアランを見ると、すべてを見透かすように真っ直ぐこちらを見据えている。アランは気休めは言わない。今一番言って欲しい言葉だったのかもしれない。その言葉に胸が熱くなり、涙が込み上げてきた。だけどそんな姿は見せたくなくて、下を向いてぐっと堪える。
「レイ」
「……うわぁ~ん、おにーちゃーん! 好きだ~!」
「おいっ、やめろ。くっつくなっ!」
この場の空気に耐えられなくなって、わざとおどけてアランに抱き付いた。必死に突き放そうとアランがもがく。
「たまにはいいじゃーん。弟には優しくしよ~」
「こういうのは違うだろ!」
でもそこまで嫌そうじゃないからいいんだよね。
アランは凄く優しい。ずっと目にかけてくれて、いつも俺を支えてくれている。
だけど俺はもっと支える側になりたい……。
「いたいた。って、相変わらず仲の良い兄弟だなぁ」
ゲラゲラ笑いながらアル先輩が階段を上ってやってきた。
「あ、アル先輩! 遠征から戻ってきたんですね! お疲れ様です! 今回はどうでした? また話聞かせて下さい」
こっそり涙を拭い、アル先輩の元へ駆け寄った――――。
それからまた数か月が経った頃、俺は正式にエリー王女の側近に選ばれた。
これは俺だけの力だけじゃない。
身元も分からない俺に対し、否定的な声もいくつか挙がっていたのに、それを親父さんやアラン、そして仲間が助けてくれたからなれたんだ。
助けたいと思っているのに、いつも助けられてばかりいる。
だけど、これからだ。
ここにいるすべての人を少しずつでもいいから、助けて行けばいい。
俺はずっとここで暮らしていくのだからきっと出来る。
支えてくれた人。
その人の大切な人。
そのまた大切な人を次々と笑顔にしていこう。
だって俺はここにいる人たちが好きだから――――。
ゆっくりと瞳が開かれる。
天井を見つめたセイン王子の瞳には炎が宿っていた。
そうだった……。
俺はアトラス王国を愛していた。
あそこで出会った全ての人達を愛していたんだ。
だから、あの国で貰った幸せを返したいと日々頑張ってきたんじゃないか。
戦争だって何だってすればいい?
俺は最低だ。こんなに大事にしているものを危険に晒そうとしていたなんて……。
エリーだけじゃない。
俺は……。
アトラス王国の全てを守るんだ――――!!




