第192話 見透かし
王の私室を出たセイン王子は、ワゴンを押しながらゆっくりと廊下を歩いていた。何も変わらない平和に見える城内。すれ違う使用人や兵士たちは、悪魔に乗っ取られていることなど知らないのだ。
セイン王子の手に力が入る。
「くっくっく……私を憎む感情があふれ出ているぞ」
背後から聞こえる声に、セイン王子はパッと振り返った。
すぐ後ろに立っていたのは、ディーン王子の側近であったソルブの姿をしたバフォールだ。咄嗟に後ろへ飛び退き、剣を抜こうとするもののその手は空を切る。侍女の姿であるセイン王子は、剣を所持してはいなかった。
「ん? あの時のヤツかと思ったが、女だったのか……? いや、魔法か……面白い使い方をする」
じっと探るようにセイン王子を見る瞳は、何もかも見透かしているようにも見える。
剣さえあれば直ぐに届きそうな距離にいるバフォールに対し、セイン王子の武器は魔法のみ。しかし悪魔にはあまり魔法は効かない。戦闘になればすぐに負けてしまうだろう。
先ほどまで穏やかに見えた城内は今、黒い霧で覆われたかのように暗く、肩に鉛を乗せられたかのように重く感じた。
「きょ、今日はたまたまだよ。えっと……ところでバフォールは何してるの?」
鼓動が激しく鳴り響く中、冷静を装いながら問いかける。しかし、感情を読み取ることが得意な悪魔にそれは意味をなさないだろう。
「何も。それよりもお前、弱くなったな」
「え? あー……うん、ちょっとね。でも、すぐ元の強さに戻ると思うよ」
バフォールはじっとセイン王子の何かを見ようと目を細めた。
「ほぅ。確かに魔力で制御されているようだな。ふむ……外してやろうか?」
「え? ははは、そんなこと頼んじゃったら身体を乗っ取っちゃうんでしょ?」
「……まぁ、いい。じゃあな、人間」
何故か急に興味を無くしたように、バフォールはセイン王子に背を向けた。
「ちょ、ちょっと待って! 魔力で制御されているものを外せるということは、魔力への抵抗力を魔法で上げていたとしても、解除できるってこと?」
「……ああ、お前たち人間がやっている小細工のことか? あれの外し方は分かった。どうする? 全員操ってやろうか?」
バフォールは笑みを深め、楽しそうだ。
「……んー、でもさ、全員操っちゃったら感情を読み取る楽しさがなくなっちゃうでしょ? だからバフォールはそんなことをしないと思う」
「少しの動揺だけか……では、お前が二度も必死に守ろうとしたあの王女だけを操るというのはどうだ?」
「っ!!」
「はははははは! 激しく感情が乱れたな。人間の感情とは簡単に変化する。今、人間たちがどんな感情を持って動き回っているのかは手に取るように分かっているぞ」
ぐっと近付くバフォールに見つめられ、セイン王子の体が固まった。動けない。
「さて、お前はどう動く? 精々足掻いて楽しませてくれよ」
バフォールは小声でそう言い残し、立ち去った。
まるで自分の手の内にあるかのような口振りである。セイン王子は暫く動くことが出来ず、その場に立ち尽くした。
◇
側近室のアランの執務机の上には沢山の書物が積み上げられている。アランはその中の一冊を手に取り、厳しい表情で読みふけっていた。紙をめくる音だけが僅かに聞こえる室内に、ガチャリとドアノブが下がる音、ドタドタを歩く足音が勢いよく響き渡った。
視線をそこに向けると自分の部屋かのようにズカズカと入ってくる侍女の姿をしたセイン王子がいる。
「どうした? 顔色が悪いぞ。陛下に厳しいことを言われたのか? それとも魔法薬のせいか?」
アランが読んでいた本を置き、心配そうにセイン王子に近付く。セイン王子は無言のまま靴と侍女の服を脱ぎ始めた。
「ううん、陛下には許可を頂いた」
「そうか。しかし浮かない顔だな……何か問題でもあるのか?」
眉間に皺を寄せ、セイン王子を見つめる。しかし、セイン王子が上半身裸になると顔を背け、耳だけを傾けた。
「バフォールに会った……。あいつは何もかも分かっている。俺たちが裏で動いていることも。それに、魔法薬を飲んでいたとしても操ることが出来ると言っていた」
「そうか……そうだろうとも思っていた。分かっていて俺たちを泳がせているのであれば、それはそれでいい。俺たちは止めるわけにはいかないからな」
「……うん、そうだね。で、あの方法は見つかった?」
自分の服に着替え終えたセイン王子は、アランの執務机を見る。積み上げられた分厚い本が卓上の他に、床にも多く積み上げられていた。
「いくつかあった。確実性を求めるには膨大な魔力が必要だ」
「魔力? それなら大丈夫だよ。ジェルミア様が子供達を全員置いていってくれたから」
ジェルミア王子がアトラス王国にバルダス国王と兄カルディア王子を捕虜として引き渡したことによって、アトラス王国とローンズ王国との友好関係を再度結ぶことが出来た。しかし、王を失くした不安定な国になってしまったデール王国を長く放置するわけにもいかないジェルミア王子は、泣く泣く国へ帰還した。その際、対バフォールに役に立てて欲しいと魔力戦闘部隊の子供たちを置いていったのだ。
「幼い子供をあまり使いたくはないが……」
「うん……。だけど、このまま何もしなかったら結局危険に晒してしまうよ」
「まぁな……。彼らの意思を尊重しつつ、この作戦を実行するとしよう」
アランは椅子の下に置いてあった厚く大きな本を取り出した。




