第132話 新たな旅立ち
◇
日差しが柔らかくなった春、心地よい風と共にエリー王女を乗せた馬車が石畳をガタガタ音を鳴らしながら走っていく。坂道をゆっくりと上っていくと、衛兵が数百名暮らしている大きな建物が窓から見えた。
「もうすぐです」
目の前に座るアランが説明をする。
馬車はその施設からすぐ手前の二階建ての少し大きめの屋敷の前で停まった。屋敷の反対側はK地区の全貌が見渡せる。
エリー王女が馬車から降りると目の前の屋敷を見上げた。
「まぁ、可愛らしい建物ですね」
白い壁に青い屋根。一本大きな木が植えられている。
「少し不便な場所だが、上からは衛兵が監視しているためK地区の中でも治安がいい。そのためこの地区の富裕層も集まっている」
荷物を持ったアランが隣に立ち、説明をしてくれた。
「おばさまがいるお店までは遠いのですか?」
「馬車で十五分だな」
「そうですか……あとで行っても宜しいでしょうか?」
「ああ。片付けがちゃんと終ったらな」
「はい」
アランの言葉にエリー王女は微笑むと、後ろを振り返った。アルバートが荷台から荷物を下ろしているのを見て、エリー王女は側に近寄る。
「エリーちゃんの荷物はこれな」
大抵のものは揃ってはいるが、多少なりとも自分でやれるようにと少しだけ荷物を用意してきた。エリー王女はアルバートから荷物を受け取ると、石で作られたアーチをくぐる。アプローチの両脇には春の花が咲いていた。
「意外と立派な家じゃね? これ庶民が住むような家じゃないな」
直ぐ後ろに立っていたアルバートが笑いながら家を見上げた。
「確かに下にある家より大きいようですね。これでは身分の垣根が生まれてしまうのでは?」
「んー、アランの親戚で通ってたし、安全面も考えたらしかたねーな。ま、お姫様よりはいいんじゃねーの」
「この辺りでは小さい方だから大丈夫だろう。とりあえず中へ」
アランにせっつかれて家の中に入った。中は木と花の香りがする。見ると入り口には花が飾られていた。
「先に部屋を案内する。その左の階段を上れ」
エリー王女は言われるがままに光が差し込む窓を見つめながら階段を上った。一段上がるごとに胸が高鳴る。
「真ん中がエリーの部屋で右が俺、左がアルバートだ」
「あの……入っても?」
「ああ」
緊張しながら白い扉を開けると、小さなベッドと小さな机、小さな本棚が狭い部屋に押し詰められている。
「素敵……秘密のお部屋みたい……。どれもこれも可愛い……」
普通の家であれば広い部屋ではあったが、エリー王女にはとても狭く感じられた。しかしそれがとても心を躍らせたのだ。
さらにエリー王女の心を捉えたのは、南側にある窓である。持っていた荷物を下に置き、窓を開けた。
「町が見渡せるのですね……」
頬を優しく撫でる柔らかな風を感じながら、瞳を閉じ、鳥のさえずりに耳を傾けた。
今日からエリー王女はここで暮らす。セロードの後押しのお陰でシトラル国王の許可を得ることができたのだ。学校に通うのではなく、教師になるという条件と住む場所はシトラル国王が決めた。
不安はあるが、アランとアルバートも一緒に暮らしてくれるため心細くはない。ジェルミア王子やリリュートも時々顔を出すと言っていた。
「エリー様、お召し物ですがこちらに置いておきました」
部屋の前で微笑みを浮かべるマーサにエリー王女は苦笑いをこぼす。
「マーサ。私、自分の荷物は自分でやりますので。……では、マーサは共有の荷物をお願いします」
「かしこまりました」
マーサと一緒に部屋を出ると、エリー王女は何度も荷馬車から荷物を運び入れた。太陽が高く上り、少しお腹が空いてきたなと思った頃である。
「引っ越し祝いを持ってきたよ~!」
外から大きな声が聞こえてきたため、エリー王女は自分の部屋の窓から入り口を見下ろした。
そこには体格の大きな女性が大きな鍋を抱えて歩いている。
「おばさま!」
ロンの母親である。
エリー王女はおばちゃんを見つけると慌てて階段を降り、おばちゃんに抱きついた。
「エリーちゃん、こんにちは。嬉しいねえ。学校の先生になるんだってね。これから休みの日はうちにきておくれよ」
「はい。私もとても嬉しいです! 今日、おばさまの所へ行こうと思っておりました。あ、おばさま! 中に入ってください。あの……ロンさんとマチルダさんは?」
「もう少しで産まれそうだからね、家にいてもらっているんだよ」
おばちゃんの言葉にエリー王女は瞳を輝かせた。
「もう少しとはあとどれくらいでしょうか? 今日ですか?」
「あはは、今日かもしれないし、一週間後かもしれないし。それはまだ分からないんだけどね」
「そういうものなのですね。とても楽しみです」
おばちゃんはエリー王女と話しながら、昼食の仕度を始めた。持ってきたのはお肉がたっぷり入ったスープとパン。リビングに集まり、マーサも含めて全員で食卓を囲った。
これだけでも十分楽しい一時であったが、夜はまた町の人たちの歓迎を受け、目が回るほど充実した一日を過ごした。
◇
「アラン、アルバート……」
家に戻るとエリー王女はリビングでくつろぐ二人に声をかけた。
「あの……私の我が儘に付き合ってくれてありがとうございます。これからも宜しくお願い致します」
恐らくこれからも色々と迷惑をかけるかもしれない。しかし、王女として、人として成長するためにここへ来たのだ。エリー王女は心を込めて頭を下げた。
「勿論、承知の上だ。なんでも遠慮なく言って欲しい」
「そうそう! 俺らはそのためにいるからな! エリーちゃんは楽しめばいいよ。ってか、俺も楽しむつもりでいくからさ!」
エリー王女が顔を上げると、アランとアルバートが笑顔を見せてくれていた。きっと大丈夫。ここでの生活を上手くやっていくことが出来る。そんな風に思えた。
「心から感謝いたします」
いつかアトラス王国を背負えるような王女になるために、エリー王女は頼もしい側近と共に新しい一歩を踏み出した――――。




