第130話 自分本位
朝食が終わるとエリー王女はジェルミア王子に誘われて、温室へ向かった。いつもよく話すジェルミア王子は珍しく何も言葉を発しない。エリー王女は疑問に思いながらも、横に並んで静かに歩いた。
城からの通路を渡り、ガラス張りの建物の中に入ると花の香りが鼻腔をくすぐった。
「なんだか皆に勘違いされちゃったね」
白く可愛らしい花の前で立ち止まると、ジェルミア王子がエリー王女を見下ろす。
「はい……」
「やだな、そんな困った顔をしないで。俺としては嬉しいことなんだけど」
ジェルミア王子は何も気にしていないような顔で笑ったが、直ぐにエリー王女から視線を反らした。
「……あの、如何されましたか?」
「え? ……もしかして俺に興味が湧いてくれた? 嬉しいな」
視線を合わさず笑うジェルミア王子の横顔に違和感を感じる。
「いつもと違うので……何かあったのでしょうか?」
「そんなに心配してくれるのかい? なら、少しだけ俺の胸の中にいてほしい……。少しだけ」
言いながらジェルミア王子がエリー王女を抱きしめた。
「ごめんね……。あの人達の側にいると怒りが込み上げてくるんだ。エリーちゃんと一緒に居れば落ち着くかなと思って……」
エリー王女は突然抱き締められたことに驚いたが、ジェルミア王子の体が震えていることに気がつき、更に驚いた。
「あの……大丈夫です。私、落ち着くまでこうしておりますので……」
恐る恐る、エリー王女は手を回しゆっくりと背中を撫でる。アランからジェルミア王子の過去を教えてもらっていたため、ジェルミア王子の言う"あの人達"が誰を指しているのか分かった。
バルダス国王とティス王妃。
自分の母親を殺した人の側にいるのはどういう気持ちなのだろうか。震えるほど怒りを溜めていながら、ジェルミア王子は誰にも分からないように自分を偽り、王子として振る舞っていた。
ジェルミア様は今までどのように心を静めてきたのだろう……。
いつも明るいジェルミア王子にも目には見えない深い傷がある。エリー王女はジェルミア王子に少しでも元気になってほしくて、ずっと背中を撫で続けた。
「……格好悪いところを見せてしまったね。ありがとう、お陰で落ち着いたよ」
「いえ……」
エリー王女は慰める言葉が見つからず、それ以上何も言えなかった。
「エリーちゃんは可愛いな。キスしてもいい?」
「そ、それはダメですっ……」
「ははは。残念」
体を離すとジェルミア王子はいつものように強気な笑顔に戻っており、エリー王女はほっと胸を撫で下ろした。
「エリー様……。誰にでもそのようなことをするのですね」
声がする方を見るとそこにはリリュートが血の気の引いた青い顔をして立っていた。あまりにも突然現れたため、エリー王女は目を見開いて一歩後ろに下がった。
「どうしてこちらに……」
「沢山いる候補者と会い、心を通わせたその中で国王を決める。それがエリー様の役目だとは分かっているつもりでした。ですが……」
苦痛に顔を歪ませたリリュートは、言葉を詰まらせる。
エリー王女は心を痛めている様子のリリュートを前にして、どう応えるべきか悩んだ。理由を伝えたとしても、抱き合っていたことには変わりないし、これが自分の役目と関係があるのも確かだった。
無音が続く温室の中、エリー王女の隣に立つジェルミア王子が小さくため息をついた。
「……嫌なら止めたらいいんじゃない?」
ジェルミア王子が穏やかに言ってのける。
「止めません」
「ならエリーちゃんが決めるまで待ちなよ。俺たちはエリーちゃんが誰と何をしていようが待つしかない。俺は信じて待つよ。例えリリュート公とキスをしていたことを知っていたとしてもね」
「殿下はエリー様を愛していないからそんなことを言えるのでは?」
「ははは、俺が愛していない? 俺が君に嫉妬していないとでも?」
エリー王女がこの状況を理解しようとしている間にジェルミア王子とリリュートは静かに言葉を交わし合っていた。
止めなければならない。
しかし何も言葉が出てこなかった。
言われてきたことをやってきただけであり、自分の意思ではないからだ。
自分の意思……。
いつだって期待に応えるために言われたことだけをやってきて、自分の意思など持ったことはなかった。全て人任せなのだ。
それは幼い頃から染み付いた感覚。
抵抗するということを知らなかった。
かといって何も言わなかったわけではない。後宮ではエリー王女の周りは大人ばかりで、お願い事をすれば大抵のことは叶えてくれた。相手の気持ちも考える必要もなかった。何も言わなくても分かってくれる人ばかり。誰も何も言わない楽な世界にいたのだ。
だけど外の世界は違う。
対面する相手がいて、その人には感情も思いもそれぞれある。
ジェルミア王子やリリュートも何かを背負っている。
思い返せばレイとのこともそうだった。レイの気持ちなど考えずにエリー王女は自分の欲望を通した。
相手のことなど何も考えない"自分本位"の人間なのだ。
もっと強い意思を持ち、相手のことを考え、対面しなければいけない。自分で考えた行動ならば、自分で責任を取ることが出来るのだ。
二人のやり取りを聞きながら、エリー王女は自分に足りないものに気が付いた。
「私は……何も分かっておりませんでした」
エリー王女の瞳に涙が滲む。
「私は王女としてではなく、人として未熟なのだと分かりました。強い意思もなければ相手を思うという気持ちも欠落しているようです。自分のことしか考えていなかったのです。このような未熟な者が人の上に立ち、王を選ぶなど思い上がりも甚だしい」
震える自分の手を腹の前で重ねた。
隣に立つジェルミア王子から一歩離れ、リリュートを真っ直ぐ見据える。
「私には想いを寄せる人がおります。その人はもうこの世におりませんが、今はまだ彼を想っていたいのです」
「エリー様……」
「そして、ジェルミア様、リリュート。先ほども申し上げましたが、私には王を選ぶ器ではございません。ですので、暫くの間、王女を止めます」
「……はっ?」
一番最初に驚きの声をあげたのは、側に仕えていたアルバートだった。




