第118話 裏切り
あまりにも突然のことでエリー王女は固まってしまった。何が起きたのか分からず目を見開いて状況を把握しようとするが頭の中は真っ白だった。唇が離れ、リリュートの熱い視線に困惑する。
「好きです」
好き……。
リリュートの言葉が遠くに聞こえた。
エリー王女が聞きたいのはリリュートからの言葉ではない。
口付けをしていいのはリリュートではない。
そう思ったら涙が零れた。
「エリー様……。申し訳ございません、私はただ……」
涙をぬぐおうとしたリリュートの手から逃れるように、手で顔を覆い俯いた。
「触らないで……お願い……。ごめんなさい……帰ってください……」
「ですが…………。いえ……わかりました。申し訳ございませんでした……。では、失礼します」
リリュートが立ち去ると、エリー王女は呆然と座ったままでいた。
空になったティーカップの底が乾いて茶色く染まっている。それをただじっと見つめていた。
そこにガチャガチャと大きな音を立て、リリュートの代わりにアルバートが部屋へ入ってくる。
「エリー様、楽しかったすかぁ? いや~、たまには二人っきりにならないと距離が縮まらないかな~と思ったんすけど」
明るい声にぱっと立ち上がり、エリー王女はアルバートに向かって笑顔を作った。
「はい。ありがとうございます。今日はもう予定はないですよね? 部屋に戻りましょう」
エリー王女はいけないことをしてしまった子供のように、咄嗟に自分の罪を隠した。
◇
マーサはエリー王女の私室の扉を叩く。反応がないため、また夢中で仕事をしているのかと思い、部屋へ入った。リビングや執務室を覗くもエリー王女の姿が見えない。マーサはそっと寝室の扉を開いた。
暗い部屋の中央からくぐもった泣き声が聞こえる。
「エリー様? どうかされたのですか?」
マーサはゆっくりとベッドに近づき天蓋のカーテンを開けた。
「マーサ……来て……お願い……」
エリー王女は体を起こし、両手を広げる。顔は涙に濡れ、ぐちゃぐちゃだった。
マーサはベッドに上がり、エリー王女をそっと抱きしめた。
「大丈夫です。私がお側におります……」
「うぅ……っ」
エリー王女は体を震わせた。
髪を撫で、エリー王女が落ち着くまで静かに待った。
「私……」
「はい……」
暫くすると躊躇いがちにエリー王女が声を落とす。
「レイを裏切ってしまいました……。以前、レイから言われたんです……。隙だらけだって……。簡単にさせちゃダメだって……。自分を大切にしてほしいって……。それなのに私…………」
ギュッと絡めた腕に力が入る。エリー王女は、それから何も言わなかった。きっと言い難いことなのだろう。
「……そうですね。もしかしたら怒るかもしれませんが、レイ様はエリー様の幸せを一番に考えていらっしゃいました。本当に嫌な相手だったのかをお考えください……」
マーサは誰かに何かをされたのだとは分かった。
常に側近が付いているはずなのにどうしてこのようなことが起きたのだろう。
アルバートの様子はいつもと変わらなかった。それは知らなかったからなのか、アルバート自身が何かをしたのか……。
エリー王女をなだめ、寝かしつけたマーサはまっすぐ側近室へと向かった。
◇
「このような夜更けに申し訳ございません。本日、エリー様に何かあったようですので伺いました」
マーサの様子にアランは眉間にしわを寄せる。
部屋に通し応接用の椅子を勧めた。
「何かとは?」
アルバートと共に向かい側の椅子に腰を掛け、アランが険しい表情でマーサを見据える。
「はい。最後にお会いしたのは朝ですので、そこからアルバート様がお部屋へお連れするまでの間に、どなたかに性的な何かをされたようです」
「へー、ああ見えて意外とリリュート様やるな~。で、エリー様はどう感じてるんすか?」
深刻なマーサとは対照的に、アルバートは何でもないことのような態度だ。
「いや、ちょっと待て。アルバートは何でその状況を知らないんだ?」
「ああ、食事の後二人っきりにさせた」
「な……」
何の悪気もない態度にアランは口を開けたまま何も言えなかった。それに気が付いたアルバートはニヤリと笑う。
「エリー様とリリュート様って仲良いっしょ? お互いあと一息って感じだったじゃん。俺たちが見てるところじゃ、中々腹割って話せないし、気~使うっしょ? だから二人っきりにしたわけ」
「だからと言って、何かあったらどうする。現に何かあっただろ」
アランの言葉にアルバートは首を振る。
「二人で何処かへ出掛けるというのはナシだけど、城内の部屋であれば俺はアリだと思っている。まず、殺害はない。お見合い相手はみんなしっかりとした地位の人間だ」
「しかし……」
「だいたい貴族や王族がエリー様を無理やりどうこうするわけねーじゃん。あいつらだって地位は大事だし、シトラル国王に睨まれたらどうなることくらい知ってる。やるとしても今回のリリュート様みたいにキス止まりだよ。いや、キスだったのかはわかんねーけど。でも、同意のもとで先に進んだら進んだで良いんじゃねーの?」
アルバートの言葉に何も言えなかった。
「エリー様は泣いていらっしゃいました。まだ心の準備も出来ていない状態で、そのようなことをされては驚くのも無理はないかと」
そこにマーサが口を挟むとアルバートは眉間にしわを寄せる。
「泣いたんすか? あんな思わせぶりな態度だったのに? そんなに嫌だったってことっすか? 驚いたとしてもなんかちょっとわかんねーな。本当に性的な何かだったんすかね? 他の理由とかじゃなくて?」
アルバートはエリー王女とレイとの関係を知らない。だから分かるはずもなかった。
泣いたのはレイを裏切ってしまったと感じたのだろう。しかし、アルバートにそう伝えるわけにはいかない。
「……アルバート。エリー様はやっと元気になられたばかりなんだ。今は結婚相手を選ぶのは保留にしないか?」
「うーん。元気がないからこそ男がいるんじゃねーの? 寄り添える誰かがいると思うぜ。エリー様は誰に甘えるんだよ? お前やマーサさんじゃないだろ? 俺達はただの配下だ。それに、エリー様には早く結婚してもらわねーとだろ? アラン、何かおかしいぜ」
アルバートの言うとおり、自分はおかしい。
何も知らなければ、アルバートと同じように結婚相手を見つけるだろう。
問題はエリー王女の心だけではなく、アラン自身にもあった。
「……そうだな。分かった。エリー様に話を聞いてくる」
アランは自分に向き合うためにもエリー王女とちゃんと話すことに決めた。




