第116話 縮まる距離
翌日。
アランの見立てた通り、K地区移設計画は議論することもなく取り下げられた。
「そう、良かった……」
執務室で報告を受けたエリー王女は、ペンを置き瞳を閉じる。
これでレイが守ってきた場所を守ることが出来たと、ほっとしながらも嬉しそうに微笑んだ。
「また、リリュート様がK地区の修繕工事計画案を提出してきました。老朽化は真実であり、K地区にある建物は文化財建造物にあたると記してきました」
「確かに修繕は必要そうでした……。その件については何か話は進んでいるのでしょうか。私も加わることは出来ますか?」
白紙に戻ったら終わり。というわけじゃない。
リリュートの行動でそう気づかされたエリー王女は、もう一度姿勢を正した。
シトラル国王より議会の参加を認められたエリー王女は、リリュートと共にK地区修繕工事計画を推し進めた。
初めて会った時のリリュートの印象は、頼りなく、覇気のないものであった。
しかし、実際に一緒に仕事をしてみるとその印象は一転した。
頭の回転がよく、自分の意見を真っ直ぐ伝える力。周りの状況を良く見て行動していた。
少し冷たい印象を受けるが、媚びないところにエリー王女は好感を持った。
「ここはもう少し掘り下げた方が信憑性を持たせることができます。ただ、細かく書き過ぎるとどこに重点が置かれているのかが分かりにくくなるため――――」
リリュートの指示は分かりやすく、適格だ。
K地区修繕工事計画書はリリュートのおかげで難なく委員会から許可を得ることができた。
数週間後にはシトラル国王の許可も得ることができ、四月より着工を開始するとのことだった。
◇
チラチラと雪が降る寒い日。
エリー王女は感謝の意を込めてリリュートを食事に招いた。
アトラス城のとある一室。暖かな暖炉の火と多くのランプが部屋を明るく照らす。
アランは部屋の隅で静かに立っていた。
「この度の件、感謝しております」
「いえ、何が国民にとって最善なのかを考えただけですので」
声の届く程のテーブルに二人は向き合って座り、リリュートを真っ直ぐ見つめた。
リリュートはいつも無表情で何を考えているのか分からない。
「それはとても素晴らしいお考えだと思います」
エリー王女が微笑むとリリュートが視線を反らした。
一見すると嫌われているのではないかと思うのだが、リリュートの頬はほんのりの赤く染まっている。
「ありがとうございます」
拳で口許を隠すのは照れているのだと、エリー王女はこの数週間で学んだ。
リリュートの僅かな変化が分かると少し得をした気持ちになった。
食事が運ばれてくると、二人は黙々と食べ続けた。
終始無言である。
あまりにも静かで食器がぶつかる音がやけに耳についた。
何か話題はないかと必死に考えるが何も思い浮かばない。
「申し訳ございません」
「え……? あの、いかが致しましたか?」
リリュートが突然謝ったのでエリー王女が何かしてしまったのかと慌てて口に含んでいたものを飲み込んだ。
じっと見つめていると、リリュートはナイフとフォークを置き口を拭き、意を決したように視線を合わせた。
「あまり話すことが得意ではありませんので、楽しくないのではと思いまして。先ほどから何か話題はないかと探してはいたのですが全く思い浮かばず……」
尻尾の垂れ下がった犬のように落ち込むリリュートの姿は、公務に当たっている時とは全く別人だった。
エリー王女は少し驚いたがクスクスと笑いが零れる。
「ごめんなさい。リリュートも私と同じことを考えていたんだと思ったら少しおかしくなりました。公務をなさっている時のリリュートは自分の意見をしっかり言っておりましたので少し意外です」
「仕事は話す内容が決まっておりますから……」
「そうですね。しかし、リリュートが私と一緒にいてつまらないと感じていたわけではないようですので、安心いたしました」
エリー王女は嬉しそうに笑うと、リリュートも僅かに笑みを浮かべた。
「そう、私も安心いたしました。エリー様のそのような笑顔を見れただけで私はとても幸せです」
「ぁ、リリュートの笑顔を初めて見ました! とても素敵だと思います。笑顔は笑顔を生むと言いますし、もっと私に見せてください」
「え……? あ、ありがとうございます。エリー様がそう仰るのであれば笑顔の練習をいたします」
ぎこちなく口角を上げたリリュートを見て、エリー王女はまたクスクスと笑う。
「はい、お願いいたします」
その後も静かな時間は過ぎたが、先ほどとは違い柔らかな雰囲気が漂っていた。




