第105話 嘘と真実
小さな明かりが灯された薄暗い部屋は、窓がなく外の様子が全く分からない。
「お父様……。皆は無事なのでしょうか……」
一度だけ伝令がやって来て、悪魔との交戦報告を受けていた。
「大丈夫だ。皆を信じよう……」
「はい……」
ソファーに座るエリー王女は、シトラル国王の隣で自分の手をぎゅっと握りしめる。
悪魔……。
本当に存在するのか俄かには信じがたい。得体の知れないものが近くにいるのだと思うとエリーの体は勝手に震えた。
長くて辛い時間である。
自分ができるのは、皆の無事を祈り早く終わることを願うだけ。
エリー王女は扉をじっと見つめ、次の伝令をひたすら待った。
突然ドアが力強く叩かれる。
心臓も体も跳ね、ごくりと唾を飲み込んだ。
セロードが扉を開け、伝令から報告を受ける姿を食い入るように見つめた。
どうか良い報告でありますように……。
エリー王女の願いが届いたのか、ぱっと振り返ったセロードの表情は明るいものだった。
報告を聞いたエリー王女は口を両手で押さえ、瞳を閉じる。
シトラル国王はそんな娘の肩をそっと引寄せ、良かったと呟いた。
シトラル国王とエリー王女、そして貴族たちはそれぞれ避難場所からパーティ会場へと向かった。
「お父様、戦った者達に会ってお礼を申し上げたいのですが」
「今はまず、何も知らずに不安を抱えてる来賓への配慮が優先だよ。明日の朝、ゆっくりと功績を称えよう。それに彼らも休みたいだろう」
傷を負ったであろう兵士等が立ち上がり、頭を下げる姿がエリー王女の脳裏をよぎる。
「そうですね。分かりました」
行けば迷惑がかかると判断し、エリー王女は素直に聞き入れた。
楽しげな音楽が流れていたパーティー会場は、今は不満や不安等の声が溢れている。何も知らされていない貴族達の苛立ちがこの場を占めていた。
「突然のこと、皆驚かれたであろう」
そこにシトラル国王とエリー王女が現れると、ざわついていた会場が一瞬にして静まり返る。シトラル国王は台座に上がり、エリー王女は少し離れた所に立った。
きらびやかなこのホールに相応しくないほどの沈黙が訪れる。
「何も聞かぬまま素直に従ってくれて感謝する。凶悪な者がこの城に攻め入ってきたのだ。城が一部破損され、死者も僅かに出てしまった」
またもざわざわと不穏な空気が広がった。
それを抑えるかのようにシトラル国王が両手を上げる。
「しかし安心されよ! 我が騎士とファランの協力者によって勝利を収めた! 不運にも命を落とした者達に追悼を捧げ、我らを守った戦士等に感謝し、杯を上げよう!」
状況を飲み込んだ来賓者達は、配られたグラスを受け取った。
「アトラスに光を!!」
シトラル国王のかけ声によって宴が再開される。
人々に笑顔が戻ると、シトラル国王は小さくゆっくりと息を吐いた。エリー王女と視線が交わり、安心させるように笑顔を作る。
しかしその笑顔の裏で、シトラル国王の心は歪み張り裂けそうだった。
エリー王女には知らせていない真実。
ハーネイスが悪魔の力を借り、自分を苦しめるためにエリーを殺しに来たということ。
妻や弟を殺されていたということ。
シトラル国王の内なる憎しみがじわりじわりと沸き上がっていた。
ハーネイスに対してずっと不信感を抱いていたのに、何も見つけられなかった自分に対しての怒りもある。
今すぐハーネイスに直接問いただしたい。
「少し席を外す。皆のことを頼んだぞ」
「はい」
シトラル国王はマントを翻し、早々に立ち去った。
◇
簡素な部屋に飾り気のないベッドが一つ置かれている。救護用の個室である。アルコール消毒の匂いが鼻腔を刺激する。
ベッド脇に置かれた小さな椅子に、包帯まみれのサイラスが冷ややかな視線でベッドの上のハーネイスを見つめていた。
「あなたは本当にこれを望んでいたのですか……」
既に事切れたハーネイスは何も言わない。
美しさに気を配っていた母の顔は傷だらけで汚れていた。
「同情なんてしません。あなたは愚かだったのですから……」
そこに勢いよく扉が開かれ、シトラル国王がずかずかと入ってくる。
「陛下」
サイラスは慌てて椅子から降り、跪く。
「起きて此度のことを説明せよ!!!」
「母は――」
「お主に聞いてはおらぬ!! この謀反者に問いているのだ!!! レナを!!! 我が弟を!!! お前は殺したと!!! 本当に!!!」
シトラル国王はハーネイスの肩を揺らした。
ハーネイスの居場所を聞いた際に、死んでいることは聞いていた。しかしシトラル国王は、そう叫ばずにはいられなかった。
「私が憎いのであれば私だけに向けろ!!! 何故!! 何故っ!!!」
怒りで体が震える。
抑えられない気持ち、消化できない想いを屍にぶつけることしかできないのだ。
「どんな理由があってそんなことをしたのだ!!! 命を取る必要など……っ!!!」
何も言わないハーネイスに向かって何度も問うた。
問うても問うても返事はない。
「レナっ……」
自分のせいで二人は死んだ……!!
愛する娘を危険に晒した……!!
視界が歪む中、シトラル国王は声が枯れるまで叫び続けた――――。
◇
何も知らないエリー王女の元に、アランが戻ってきた。目立たぬよう壁際へ移動する。
「大義でしたね。……怪我……大丈夫ですか?」
「ありがとうございます。大した傷ではございません。父上、これを」
アランの代わりにエリー王女の側に仕えていたセロードに小さな紙を手渡した。セロードは素早く目を通すと、アランに向かって小さく頷く。
「では、私はこれで」
セロードが立ち去ると、アランはエリー王女に状況を伝えずに宴の席へと戻るよう促した。
エリー王女は何事もなかったかのようにプリンセスとして公務を全うしている。
今はハーネイスやレイのことを言うべきではない。
特にレイのことは……。
知れば冷静ではいられなくなるだろう。
アランは何もなかったかのように口をつぐんだ。




