月だけが見ていた
汗ばむ肉体が狂おしく寝返った。
(いったいこれは何の罰だ?)
ベッドの上で煩悶する少女。これ以上起きていると明日の業務に差し障りが出る。それは避けたい。だから絶対寝るべきだ。でも寝られない。彼女の脳裏にゆるキャラの羊は一匹も現れなかった。
春先なのに何とも暑すぎる夜。眠れない理亞子は自室のベッドからとうとう転げ落ちた。
「こんな事なら、早々にエアコンを修理に出しておくんだった」
理亞子は起きあがると、思い余ってパジャマを脱ぎ、丸裸になった。
裸になると意識が変わる。なんか人ではなくなる気がする。
理亞子はベッドに戻るのを止め、窓のカーテンを開けた。
もしかしたらと思い、防犯上閉めていた窓を開いた。けれどダメだった。外は暑い。
次に理亞子は二階のバルコニーに出てみた、裸のまま。
「静かだな。皆寝ているのか、家電製品のメンテを怠った私一人を残して」
午前二時か。住宅街の人々は寝静まっているはずだ。
ま、中には深夜アニメの実況とかで起きている方々もいるのだろうが。
「自棄だ。散歩でもしたい気分になってきたよ」
見回すと、バルコニーには非常用のロープがとぐろを巻いていた。
「これで降りられそうだな」
ロープを両手で掴み、手すりを跨いだ。
二階から地上へロープを垂らし、ゆっくりと降りはじめた。
しかし地面にたどり着く前に理亞子はしまったと思った。
靴がない。
裸足のまま土に降りるのは現代人には躊躇われた。
全裸は――まあいい。しかし裸足はない。
どうしよう。
そのとき、
ふわりと体が浮いた。
「なんで飛ぶ?」
どうでもいい、か。とにかく体が浮かびだした。
これで足の裏を地面につけなくてすむ。
ロープを掴んだまま、理亞子の体は宙に浮いた。
「うわ、これ気持ちいい」
平泳ぎの体勢で空気をかく。ロープは伸びていって、理亞子の体はどんどん高く登っていく。理亞子は白い人形の凧となった。
満月が、理亞子の体と下界とを照らしている。
通常では味わえない上空。そこはもう肌寒い世界だった。
「なんかここまでくると神様に触れそうな気がしてきた」
その夢は唐突に砕けた。
ぱん、と音がして、理亞子の体に痛みが走った。血が吹き出る患部を両手で覆ったため、掴んでいたロープを放してしまう。
理亞子の体は重力を思い出したかのように、地面に落ちていった。
激突。痛い。折れた。何本もの骨。手が変な方向に曲がっている。正しい五体の感覚が歪んでいる。視野も二重にずれている。壊れたのかな完全に。
私は今、人の形を保っているのだろうか。
そんな、おそらく無様だろう私の格好を、誰かに見下ろされている。
「なんだぁ、こいっぁ?」老いた男の声がする。
二本筒の猟銃で頭を小突かれた。
「人間かあ? いやまさかなあ。人間が空を飛ぶわけはねえ。こいつは化け物だ。違いねえ。とっととばらして豚のえさにしちまおう」
理亞子の頭部で、今度はかなり大きな発砲音がした。
おやすみなさい。そう言うまでもなく、理亞子の意識は爆ぜて、そしてぷつりと消えた。
これで、やっと、眠れる、よ。