G&T 3
二階の一室にに通された俺は、部屋内が以前見た物と大きく異なる事に驚いた。二年以上前に入った時は畳に布団プルスイッチタイプの吊り下げられた天井照明といったTHE・和室といった物であったが、今回通された部屋はフローリングに明るい内装、可愛いワンルームといった感じだろうか。
「今日は来てくれてありがとう」
定型文のようなそのフレーズが、俺には心の入った物に聞こえた。仕事が成立した事への安堵か、それとも相手に好感を与える技術に長けているのか。何にせ女性として、一人の人間として選ばれることは決して悪い気になる物ではないのだろう等と考えながら自分も取り敢えず何かを話さなければならない焦燥感に駆られた。
「今日は本当はいるつもりなかってんけど、店の前でなっちゃん見た時『今日入らんかったら絶対後悔する!』って思ってん」
「ほんまに?ありがとー。嬉しい」
何なんだろう、こんなやり取りをさせて。軽い自己嫌悪に陥った。
俺には聞かれてもいないことを一方的に話しがちという悪癖がある。何かを話さなければならないという焦りや、自分の話を聞いてもらいたいという自己中心性か。理由は何にせよそうしていつも的外れで無意味な会話に終始してしまうことが多い。ましてや半ば相手がどんな風に返答を行う自由さえもない様な事を言って、俺はいつものように喋り終わった後の後悔を感じていた。
しかし、このなつきちゃん。こんな何でもないようなくだらない会話さえも心地の良い楽しげな空気に変えてくれる。
会話の中で知ったのは二つ年上で店前のおばちゃんが行っていた通り、月に2、3回ほどしか勤務できないと言うこと。俺は、彼女がこの業界に入り浸っていないことが、この接客スキルの要因となっているのではと考えていた。
俺はいつも人に対して感心したり何か凄いと感じることがあった時に、その人の人生の背景を探ろうとする所がある。それは自分もこの人のようになりたいという気持ちは勿論だろうが、自分に自信がなさ過ぎるが故に何かの能力を身につけたいという気持ちから来ているのだろうか。
本来それはスポーツ選手や芸能人、若しくは身近に存在する相当凄いと感じる人たちに抱く思考だったのだが、俺は目の前の女性にその考えを持っていることに少し驚いた。
いくら考えても本人に聞こうとも、何がその人を作ったのかなどわかりはしないし要因など一つだけに限らないだろう。しかしそれを分かった上での自分なりの考察は、彼女が所謂一般社会と少し特殊なこの水商売の世界を両方体験しているところにあるのではないかと感じた。要は人間的な器が大きい故に、どんな相手とでも上手くやれるのではないのだろか。
そんなどううでも良いことを考えながらも、俺はとにかく心地の良い時間を過ごしていた。彼女はまるで、これが擬似恋愛ではなく心からのやり取りのように感じさせてくれた。
「相手にとってこれは仕事」そう自分に言い聞かせていたが、俺は彼女の虜になっていた。
そんな最高の時間にも必ず終わりは来る。一階から電子タイマーの音が聞こえておばちゃんの「なっちゃん、ありがとうねー」という声が部屋にまで微かに届いた。
(ありがとうって、何に対してありがとうなんだろうか。まあ、間接的な表現の方が気分も悪くないのだが・・・)脳内に色んな感情が渦巻きながらも、俺はこの時間を終わらせたくなかった。無理なことは分かっていたが、少しでも引き延ばしたかった。
「呼んでるから、一度行くね」
俺は彼女の言葉を無視して離れようとはしなかった。暫く経って、ドアの向こう側から声が聞こえた。
「もう時間よー、大丈夫ー?」
流石に限界だ。
「はい、今準備してるんですぐ出ますー」
俺たちは急いで身支度をして、部屋から出る準備を進めた。俺は机の上に置いてある名刺の裏に自分のメールアドレスを書いて彼女に渡した。しかし当然ながら、店の規則でお客との連絡先の交換は禁じられている事を聞かされた。ここまで遠回しに断ってくれている人にこれ以上はしつこく行くべきではない。
「気が向いたら、でいいから」
半ば強引に押しつけた名刺を彼女は受け取ってくれた。
「アスカ、君?うん、ありがとう」
きっと連絡が来ることはないだろう。しかし、こうして行動自体を受け止めて貰えることだけでもう十分に満たされた。
最後までこの子はプロフェッショナルだったな。俺はなぜか涙腺のゆる無感覚を得ながら笑顔でおばちゃんとなっちゃんに別れを告げ自宅へと向かった。
一晩限りのお楽しみ、何度も通いたければ金を要する。そうしたい人はすればいいし、俺はこれが擬似であることを知っているからお終い。
頭ではそう考えていた。しかし、行動は反対側へと動き出していた。