その壱拾五
「全く。誰も彼も敵に見えるとはのお」
顎髭を扱きながら、兵四郎はぼやいた。
「当然、親父様もこのことに気が付いていたと云うことかな?」
誰に言うとでも無し、仁兵衛は思わず呟いた。
「ふむ。その可能性は高いやもしれぬな」
兵四郎は思いの外、真剣な表情でその疑問に答える。「敵方を思い通りに操る為に、敢えて情報を流して泳がすことぐらいやってのけられよう。裏切り者を捜すよりも、泳がせていた者を探す方が手っ取り早いやもしれぬな。この状況では、その様なことをしている暇はないが、上様を取り戻した後は考える必要があるやもしれぬ」
「もう勝った後のことを考えるんですか、先生?」
呆れた口調で慶一郎は笑い飛ばす。
「その場その場の成り行きしか考えない者では、何も成し遂げることなぞ出来ぬわ。まずは落着すべき位置を認識し、その勝ち筋を見出し、反撃の間を与えず、己の最善を尽くす。一つの勝利に傲ることなく、次の勝利の為に万全の態勢をとり続ける。勝ちては兜の緒を締め、負けては雪辱の機に備えよ。一度東大公家の武者として生きると決めたならば、途中で投げ出すことなど許されぬ。全ては天下大義のために命を懸けよ」
厳かなる口調で、静かに兵四郎は告げた。
慶一郎と沙月は反射的に片膝を付き、首を垂れる。
仁兵衛は瞑目し、その言葉を口の中で反芻する。
「今は分からずとも、いつか分かる日は来る。お主らが真に東大公家の大義を知る日が来れば、だがの。……まあ、お主らが知らぬ儘に死ねるとは思えぬがのお」
最後の呟きに哀れみの思いを滲ませる。「何はともあれ、まずは先も云った通り上様を救い出すこと。このことから始める。上様の無事を確保した後、儂が手勢を以て逆賊どもを打ち砕く。お主ら二人には辛い思いをさせるやもしれぬが、他にこれに能う者が居らぬ。伏して頼む」




