その壱拾弐
扶桑人にとってあやかしの術というものは故郷にいた頃から存在している陰陽道を修めた陰陽師が用いる方術が強いて言えば身近なものと言える。【旗幟八流】をはじめとした武芸と違い、必要となる資質を持った者が明らかに少ない為、他に流れないように東大公家が囲い込むが故に秘匿性が高いのである。その所為か、勘違いされていることも多々ある。
一方、中原におけるあやかしの術とは魔術であり、術を使える者を魔術師、その法則性まで踏み込んで学んでいる者を魔導師と呼び分けている。こちらも術を使いこなすことに資質が要り、魔導として法則を理解することも特殊な資質が必要な為に更に数が少なくなる。ただし、魔導を認識する能力は、魔術を使いこなす内に後天的に鍛え上げられることもあり、余程のことがない限り魔術師が魔導師になれないと言うことはない。その代わり、最初から資質がある者に比べれば能力的に数段劣ることとなる場合が多いとされる。
「それに、同じあやかしの術とは云え、陰陽師が魔導師ほど器用に何かをするとは聞いたこと無いけどなあ」
慶一郎は目を白黒させている沙月に対し、軽く解説する。
「向いている方向性と、由来が違うからな。元来、陰陽師とは森羅万象の理を以て、自然の運行を読み通し、場合によってはそれを多少なりとも最悪の事態に至らぬようにする為の方術。人間好きの魔王が魔界の理をこの世界に導き込む方法を伝えたとされている魔導とでは、意味合いが違いすぎる」
付け加えるかのように、仁兵衛は慶一郎の言を捕捉した。
「よくもまあ、そこまで御存知ですのね」
沙月は半分呆れたように驚きの声を上げる。「東大公家の政に近かった私よりも詳しいなんて」
「魔導師の知識に関して云えば、冒険者をやっていれば死活問題となる。知らなければ死ぬこともざらだからなあ。そりゃ、必死にもなるさ」




