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御前試合騒動顛末  作者: 高橋太郎
第三章 戦陣
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その弐拾四

「ああ」

 それで納得がいったとばかりに、仁兵衛は頷く。「武芸のみならず、用兵にも一家言あるのはその為なのか」

 兵法(ひょうほう)(もの)兵法(へいほう)

 当てられた字は同じでも、意味合いはかなり違う。

 前者は武芸を修め、達人の域まで到達した所謂芸達者であり、後者は戦場での采配の術を学び実践する武将とされる。

 【旗幟八流】の多くが武芸を修めることに主眼を置く。己の武による戦働きを考える流派はあっても、集団を統率することに重きを置く事はない。これは、騎突星馳流ですら同じ話である。

 しかし、ただ一つ、鷹揚真貫流のみが違う。個人の武を連ねて、主家に仇為す敵を討つ。そして、それを最も体現していると言われるのが、米山(よねやま)麟太郎(りんたろう)隆景(たかかげ)である。本来ならば、雷文公頼仁の御側役として侍るはずだったものの、内乱の為、雷文公の行方が分からなくなり、その話は立ち消えとなった。彼の本家筋は一国の太守であり、当時内乱の最前線とも言える場所にあった。そこで、身を立てる術として選んだのが、当時ですら異端であった鷹揚真貫流である。

 後に、雷文公が立ち上がった時、真っ先に駆け付け、雷文公が扶桑を去った後も竜武公の元で戦場を駆け巡った。中原に移り住んでからは、常に最前線で指揮を執り続け、東大公家の武力を世に知らしめた最大の要因が彼にあるとまで言われる働きをした。

 個人の武勇に優れ、その用兵は神妙の域に達したとまで言わせしめ、生涯不敗を誇った。当人は故あって鷹揚真貫流の当主とならなかったが、今に至るまで扶桑人最高の用兵家として名を残している。

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