その壱拾九
「いやはや、それにしても橘が動くとは、世も末ですねえ、先生」
しみじみとした口調で慶一郎は嘆息した。
「奴らの云い分も分からぬではないが、雷文公様の扶桑時代の外戚たる武の名門橘が立つとなると話は別よ。全く、血迷ったとしか云い様がないわ」
兵四郎は強く憤慨する。
「どうりで、宮城で橘の一門衆を見かけた無かった訳ですよ。むしろ、明田の連中が文官なのに必死の抵抗をしていたのが印象に残りましたよ」
「雷文公に拾われた明田が必死に祖法を守り、雷文公の後ろ盾だった橘が祖法を打ち棄てようとする、か。全く以て皮肉な話じゃな」
苦々しく吐き捨て、「さても困ったモノよ。宮城は落ち、上様の所在は不明。正面から攻めれば間違いなく上様を人質とされ、だからといって時間を掛ければ上様のお命が危うい。故に、我らがまずなさねばならぬ事は──」
「上様の救出、これでしょうなあ」
全く気負うところ無く、慶一郎は軽々と言ってのけた。
「親父様のことだ、時間稼ぎができる場があれば命が続く限り粘り続けるだろう」
至極冷静に仁兵衛は養父の行動を予測する。「問題は、そんな場所があるかと云う事だが……」
「過分にして聞かずと云うところじゃのお。元々、宮城は戦の為に建てられたものではないしのお」
最も長らく宮城を見てきた兵四郎が困った様に答えを返してきた。
「ええ。元は、雷文公が扶桑の文化を失わせない様に建てたのが始まりと聞き及びます。その為に態々最も戦向きではない職人芸の極みであった帝の皇宮を模倣したとか」
何故か抱きついてきた光を撫でながら、沙月は家伝の情報を伝える。「ですから、立て籠もる様な場所も、逃げ回る空間もさほど無いものかと」