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御前試合騒動顛末  作者: 高橋太郎
第三章 戦陣
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その弐

 逆を言えば、それだけの財産を守る力が()る。扶桑人の義理堅さという無形(むけい)の信用信頼といった力だけでは守れない有形(ゆうけい)の力をはね除ける圧倒的な武力が。

 幸運なことに、扶桑人が移住してきた際、彼ら自慢の武士団は軍としての機能を失うことなく中原まで辿り着き、その力でもって一人の皇子を皇へと押し上げた。その過程で得られた評判は彼らの財産となったが、重荷にもなった。

 何故ならば、常に大陸最強の軍団であることを求められたからである。

 武士団が最強たらしめたのは、彼らの故郷で終わりなき戦乱が続いていたことと、移り住んだ頃の中原が戦乱期であり、その練度が常に高く保たれる環境であったことが大きい。一度(ひとたび)戦が無くなれば、その練度を保ち続けることは至難である。

 二代目東大公阿賀鳴雲は戦乱無き世に武力を持ち続ける事で周囲から危険と怖れられる事と北大公家と同じ稼業を続けていく利便性を天秤に掛けた時、武士団の存続を選んだ。

 しかし、調練(ちょうれん)だけで得られる練度はある程度の壁があり、精鋭を保持し続けるためにはその先を目指さねばならない。だからといって、乱を求める事は本意ではない。彼が治める扶桑の民は治世を望んだからこそこの地まで逃げ延びてきたのである。

 従って、鍛え上げるなら自領で調練し続けるしかない。既に当時の東大公家の調練は他家より厳しいものであり、これ以上の厳しさはただ無駄に人を殺すだけであった。

 そこで阿賀(あが)鳴雲が考えついたのが教導隊である。東大公家の全ての部隊に対して、夜討ち朝駆けを含めた実践を仕掛けることを任務とし、戦を部隊に教え込むのである。ただし、教導隊に属する者は決して相手を殺してはならない。戦場の空気を教えるために一時的な戦闘不能は仕方ないとしても、戦力となる者を殺してしまっては元も子もない。その絶妙な感覚を有している上、実践できる者以外に任せることは出来ないが、それ以前に返り討ちになる程度の実力しかないものにやらせるわけにもいかない。そして、何よりも問題なのは教導隊を作ることで元々の部隊が弱くなることがあってはならないという事である。

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