その壱拾
「……こいつは酷い」
酒場の屋根の上で遠眼鏡を使って戦場を眺めながら、クラウスは思わず苦笑する。「噂以上だ」
「そんなに凄いので?」
脇に控えていた男が、クラウスの言葉に疑問を投げた。
「ドゥロワの乱の終わりに現れた東大公家最高の名将。数百騎の騎馬で三万もの大軍を足止めし、兵三千しか篭もっていなかった重要拠点を守り抜いた。ドゥロワ家と皇太子の最終決戦にて兵站を断ち、皇太子本陣にドゥロワの姫君が突入する機会を作り出し、皇太子を討った姫君を無事退却させる立役者となる。一部諸侯の東大公家に対する報復戦争を常に最前線で戦い続け、全戦全勝。常に好機を逃さず、己の隙は決して見せぬ。乱世になって名将と呼ばれる武将は数多居れど、全戦全勝、常勝不敗はただ一人。虹の小太刀を携えし、輝く翠を纏いし伊達者。その名を平崎兵四郎、泣く子も黙る鬼右近」
歌う様にクラウスは兵四郎の戦績をざっと説明した。
「そりゃあ凄い。そんなバケモンとよくもまあ真っ向から遣り合おうと思ったもんですね、謀反人共は」
呆れるやら驚くやらで、男は思わず溜息を付いた。
「まあ、素肌剣術主体の流派では、戦場の恐ろしさは分かるまい。平時と戦場、そのどちらも変わらずにやれる者など、そうはおるまいよ」
くつくつと笑い、クラウスは遠眼鏡を男に押しつけた。
「綺堂仁兵衛はその珍しい側だと?」
男の問いに、
「あれは珍しい側、では無いな。もっと別の怖ろしい何かだ。全く、何を前にしても平常心でいられる者などそうはおるまい」
と、クラウスは思わず苦笑した。




