その参拾九
然ういう意味では、慶一郎との勝負は例外中の例外であった。勝負度外視で遣りたいように技を交わした。逆を言えば、それしか仁兵衛の立ち回りを見ていない者がいたとしたら、まず何もかもを勘違いするだろう。
その勘違いがこの膠着を招き、どちらも相手を推し量る事を失敗した。
仁兵衛がこの膠着で先に動いた事は結果的には動かざるを得なかったからなのだが、この勝負に於いては、又三郎にとってはある意味で予想外、ある意味で想定通りの展開にやっとなったのである。
従って、仁兵衛の手に対し、又三郎が取るのはただ一つ──
「降魔牙穿流奥義、水鏡」
取って置きの切り札を使う事だった。
「!?」
【竜気】により飛躍的に身体能力が向上していた仁兵衛はそれを察知した瞬間、無理矢理大きく間を取った。踏み込んでいる最中に空中を蹴るかの如く動きを変えた為に勢い余って転がり込んだが、それが逆に命を助けた。
如何なる手段かは知れないが、仁兵衛が踏み込んだ辺り一帯何かに薙ぎ払われた気の痕跡が残っていた。
又三郎の槍の間合いでは無い上、槍の軌道は明らかに何も無いところを斬っていた。
(主様。水月意射、かと)
明火は素早く相手の技をそう断じた。
(……水月、か。月は無心にして水に移り、水また無念にして月を写す。相手の心の動きを察知し先を取る技法が極まって、先を打ったという事実だけを現実のものにしたとでも云うのか? 玄妙を通り越して玄妖だな)
思わず心中で苦笑しながら、素早く立ち上がった。
相手を視て見ると又三郎の気がかなり減じていた。【刃気一体】のために蓄えられた気が見るも無惨な状態である。




