その参拾八
結局、何をするにも眼前の敵は邪魔であり、罠の有無を考えている暇は無い。何もかもを最短で済ませる以外に道は無かった。
(承知しましたわ。御存分に)
明火は主の背中を後押しすると、苟且の身体に赤炎の【竜気】を漲らす。
「ほぅ」
それを見ていた帯刀が面白そうに思わず身を乗り出した。
一瞬、彦三郎が動く素振りを見せたが、何故か自制した。
その様な動きを露とも知らず、仁兵衛は勝負に出た。
一度決断したのならば、一切の迷いを捨て眼前の敵にのみ集中する。他は一切考慮しない。
当然、又三郎も達人なれば、その気配の変化に敏感に察知した。今までの年に似合わぬ老練な手練手管から、ただの力任せの兵法者でない事ぐらい理解していたし、今まで見てきたもの以上の底が何かある事ぐらいは勘付いていた。故に、当初の作戦通り、態と窮地に立ち、切札を見せぬ事に専念してきた。お陰で一枚一枚薄皮を剥がされる様に他の手札を明かされ、追い詰められていった。然ういう筋書きだったとは言え、態とから本当に窮地に立つ事になるまで時間は然程掛からなかった。
侮っていた訳では無い。然りとて、自分より出来ると考えていた訳では無い。だからこそ、楽とは言えまいが、やってやれない事は無い、その認識だった。その僅かな慢心がこの状況を呼んだのだから、皮肉としか言い様が無い。
従って、仁兵衛が初手から飛ばしていたらどうなったか分からない。仮に彼がこの男の性格を知っていれば、容赦なく初手から【竜気】を用いて罠も何も噛み砕けただろう。
しかし、現実はそうでは無かった。
仁兵衛はその太刀筋からは豪快な性質と思われがちだが、己の師匠から一本も取れなかった修業時代の所為か、反撃を受けない立ち回りを好む。派手な一撃を見せ札にし、じわじわと相手を追い詰め、二進も三進もいかなくなったところで止めを刺す。




