お願いだから、勝たせて
イキました。
「しょっ」
乾いた音が、わずかに遅れて空間に広がる。
差し出された二つの手。
チョキーナの指は、これまでと同じように二本、チョキ。
そして、その向かいに現れたのは――、完全に開かれた5本の指、すなわちパーだった。
「――あ……」
一瞬、理解が追いつかない。
視界に映っているはずの形が、現実として結びつかない。
けれど――
(……勝っ……た……?)
遅れて、認識が形になる。
その瞬間だった。
胸の奥の方から、何かが押し寄せてくる。
これまで積み重なっていたすべて――焦れ、もどかしさ、抑え込んでいた衝動が、ひとつにまとまり、静かに、しかし確実に解き放たれていく。
「……あっ……」
息が止まり、次の呼吸がうまく入らない。
けれど苦しさはなく、代わりに、内側から満ちてくるような感覚が快感となって全身へと広がっていく。
指先から、腕へ。
胸の奥へ。
そして、さらに深いところへと。
じわりとした熱が、ゆっくりと、逃げ場を与えられたように広がっていく。
「……あ……あぁん……」
かすかな声が、抑えきれずに漏れる。
長く引き延ばされていた時間が、ようやく終わりを迎えた。
その終わりは、唐突ではなく――
むしろ、ずっと待ち続けていたものが、ようやく“来た”という確かな実感を伴っていた。
膝から力が抜ける。
立っている感覚が曖昧になり、身体が崩れそうになる。
それでも倒れることはなく、ただその場で、内側から押し寄せてくる快感の波を受け止めることしかできない。
(……あぁん……だめ……気持ちいい……気持ちいいの……)
言葉を発することはできず、その感覚だけが内側で繰り返される。
やがてすべての快感の波は、最後の大きなうねりとなって押し寄せてきた。
「だめ……壊れちゃう……あ……あぁ……っ……!……」
うねりはチョキーナの体を駆け抜け、やがてゆっくりと引いていった。
荒れていた波が静まるように、残されていた感覚も少しずつほどけていく。
それでも名残のような熱だけが、かすかに身体の奥で揺れていた。
チョキーナはしばらくのあいだ、息を整えることすら忘れたまま、ただその余韻に身を委ねていた。
「……はぁ……はぁ……ふぅ……」
呼吸が、ようやく戻る。
けれど、その余韻はすぐには消えず、静かに、長く、身体の内側にとどまり続ける。
「……あ……」
小さく、もう一度声がこぼれる。
それは言葉にならず、ただ感覚の名残のように空気へ溶けていった。
チョキーナは、自分の手を見つめる。
勝ちを示した、その形を。
「……勝ち……ました……」
かすれるような声。
しかし、その中には確かな実感があった。
ゆっくりと、顔を上げる。
視線は、まだしっかりとは定まらない。
それでも、目の前にいるパーダロの姿を捉える。
その表情は、どこか満足げで。
まるで、この結末を最初から知っていたかのように、静かに微笑んでいた。
「……は……ぁ……」
乱れていた呼吸は、少しずつ形を取り戻しつつあったが、身体の奥に残った熱は消えず、むしろ静かにくすぶり続けていた。
指先はわずかに震えたままで、掌の内側には、つい先ほどまで握り続けていた感触が、まだはっきりと残っている。
完全には戻れない――そんな感覚が、薄く、しかし確かに身体の内側に張り付いていた。
チョキーナはその場に立ち尽くしたまま、しばらく動くことができなかったが、やがてゆっくりと視線を上げる。
目の前には、変わらずパーダロが立っている。
その姿を捉えた瞬間、胸の奥に残っていた感覚がわずかに形を変えてざわめき、先ほどの出来事が断片ではなくひとつのまとまりとして現実に結びついた。
「……どうして……」
かすれた声が、抑えきれないまま自然とこぼれ、そのまま途切れることなく続く。
「……どうして、勝たせてくれたんですか……?」
問いは小さく、しかし確かな重みを持って差し出された。
パーダロはその言葉を受け止めると、一瞬だけ目を細め、それから何事もなかったかのように軽く肩をすくめる。
「言っただろ」
あっさりとした口調で返しながらも、その視線はわずかにチョキーナの様子を探るように留まっていた。
「知らない世界を知るためだ」
その言葉は以前にも聞いたはずのものだったが、いまはまるで違う意味を持って響き、チョキーナの内側へゆっくりと沈み込んでいく。
(……知らない世界……)
その言葉をなぞるように意識した瞬間、身体の奥に残っていた感覚が、かすかに輪郭を取り戻す。
あの時間も、あのやり取りも、そして最後に訪れたあの感覚も――確かに、これまで知らなかったものだった。
「……でも……」
言葉を続けようとするが、うまく形にならない。
あの感覚を説明するための言葉が見つからず、思考が途中でほどける。
パーダロはその様子を見て、わずかに口元を緩める。
「どうだった?」
短く、しかし逃げ場を与えない問い。
「さっきの」
その一言で、チョキーナの意識は再び内側へと引き戻される。
忘れようとしていたはずの感覚が、思い出すまでもなく、そこにあるものとして浮かび上がる。
「……っ……」
わずかに息が詰まり、消えかけていた熱が、ほんの少しだけ強くなる。
「その顔」
パーダロが低く言う。
「忘れられてないだろ」
断定するようなその言葉に、チョキーナはすぐには反応できない。
否定しようとする思考は浮かぶが、それを言葉にするだけの余裕が残っていなかった。
「……そんなこと……」
ようやく絞り出した声は弱く、自分でも頼りなく感じられる。
視線を逸らそうとしても、うまく外すことができない。
(……違う……)
そう思うのに。
(……でも……)
頭の奥に、先ほどの光景が静かに蘇る。
繰り返されたあいこ。
終わらなかった時間。
そして――最後の瞬間。
その記憶は、ただの出来事としてではなく、身体の内側に残る感覚と結びついたまま、消えずに留まり続けていた。
「な?」
パーダロの声が、すぐ近くで落ちる。
「悪くなかっただろ」
軽く言われたその一言に、チョキーナは何も返せない。
否定すればするほど、内側に残っている感覚がそれを裏切ることを、どこかで理解していた。
「別にさ」
パーダロは、まるで大したことではないかのように言葉を続ける。
「一回で終わりって決まりもない」
その言葉は自然に差し出され、抵抗する隙を与えないまま、静かに意識の中へ入り込んでくる。
「またやりたくなったら、言えばいい」
指先が、わずかに震える。
(……また……)
その言葉が、意識の奥で静かに繰り返される。
(……やる……?)
心臓が、わずかに速くなる。
「……そんな……」
否定しようとする声は弱く、思うように形にならない。
(……だめ……)
そう思うのに。
(……でも……)
身体の奥に残った感覚が、それを否定する。
完全には消えず、思い出すほどに、静かに熱を帯びていく。
チョキーナは何も言えないまま、その場に立ち尽くす。
パーダロはその様子を見つめたまま、ほんの一瞬だけ視線を細める。
その表情から柔らかさがわずかに消えたように見えたが、それもすぐに元へと戻る。
「……まあ、いい」
軽く言葉を流す。
「無理にとは言わない」
そして、ほんのわずかに間を置いてから――
「忘れられないだろ、あれは」
その言葉は押しつけるでもなく、ただ事実をなぞるように静かに落ちた。
チョキーナは答えない。
答えられない。
その沈黙の中で、さっきの感覚だけが、確かに消えずに残り続けていた。かに消えずに残り続けていた。




