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もう戻れない――奪われた、あの時間 。 ~あいつは、俺の前ではあんな顔をしなかった~  作者: 遠崎カヲル


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4/7

断れなかった、その一度だけ

焦らしです。

「……ぽん」


乾いた音が、静まり返った室内の空気を鋭く震わせ、その余韻は逃げ場を失ったように、ゆっくりと壁へと吸い込まれていった。


向かい合う二人の手が同時に差し出され、その形が一瞬のうちに視界へ焼きつく。


チョキーナは、指を二本だけ伸ばした手――チョキ。

そしてパーダロの手もまた、まったく同じ形をしていた。


「……あ……」


喉の奥から、息とも声ともつかない音がこぼれる。


あいこ。


本来なら、それだけで終わるはずの結果。

だが、その場の空気はなぜか解消されず、行き場を失ったまま、重く沈んでいった。


「……ほら、止まるな」


パーダロの声が、間を与えずに重なる。


「あいこで、しょっ」


考える隙も、呼吸を整える余裕もないまま、流れだけが先へと押し出される。


チョキーナの手が、ほとんど反射のように動いた。


再び差し出された形は、やはりチョキ。

そして向かいの手も、寸分違わぬ同じ形。


「……っ、また……」


かすれた声が、わずかに震える。


二度目のあいこ。


「あいこで、しょっ」


さらに重ねられる声に促され、わずかに遅れながらも指が形を作る。


だが、結果は変わらない。

目に映るのは、またしても同じ形――チョキだった。


「……あぁ……」


吐息がこぼれる。


三度目。


わずかに顔を上げても、そこにあるのは変わらない光景。

何も変わっていないはずなのに、胸の奥で、押し込めていた熱がゆっくりとほどけ、抗えないまま広がっていく。


ここまでチョキーナは、ずっとチョキを出し続けてきた。

パーダロからの「チョキだけを出せ」という指示を受け入れ、それが身体の奥に残り続けているからだ。


チョキを出さない、という選択そのものが、完全に意識の外へ押し出されている。


そして、その状態を見越しているかのように、向かいの手もまた同じ形を保ち続ける。


終わらせようと思えば、いくらでも終わらせられるはずなのに。

それでもパーダロは、決して形を変えようとはしなかった。


まるでこの繰り返しそのものを、意図して引き延ばしているかのように。


(……どうしてなの……?)


理由はわからない。


終わらせることも、変えることもできないまま、同じやり取りだけが繰り返されていく。


その繰り返しが、わずかずつ形を変えて内側に積み重なっていく。


「ほら……まだだろ?」


低く落とされた声が、すぐ近くで響く。


「どうした、終わらせたくないのか?」


「……そんな……」


否定の言葉は弱く、頼りない。


呼吸が浅くなり、胸が細かく上下する。


「あいこで、しょっ」


再び差し出される手。


また同じ形。

同じ結果。


それでも、受け止める側の感覚だけが、確かに変わっていく。


「……あぁん……また……」


吐息が、わずかに甘さを帯びる。


終わらないことへのもどかしさが、じわじわと内側に広がっていく。

頬の熱は引かず、視線は焦点を失いかけ、呼吸だけが浅く乱れていく。


「いい顔してるな」


パーダロの声が、愉しむように響く。


「まだ足りないって顔だ」


「……違っ……」


否定は、形だけのものになりつつあった。


繰り返されるたびに、体はどんどんと熱を帯び、言い知れぬ心地よさが支配していく。


「ほら……もっと来いよ」


「……だめ……こんな……」


そう言いながらも、手は止まらない。


「あいこで、しょっ」


再び現れる、同じ形。


勝負を焦らされることへの、たまらないもどかしさ。

その積み重なりが、熱を帯びた汗となって、チョキーナの柔らかな拳の内側をゆっくりと濡らしていく。


「あっ……は……」


短く乱れた呼吸がこぼれる。


「どうした?」


「もう終わりにするか?」


その言葉に、チョキーナは顔を上げる。


「……いや……」


喉の奥から無理やり引きずり出すようにして、かすれた声がこぼれる。


そのとき、頭の中にふいに別の光景が蘇る。


グーダスと向かい合っていた、あのときの記憶。

初めての、そして一度きりの勝負。

そして――負けた。


あの瞬間の、胸の奥に残った満たされない思いが、いまこの場で再び呼び起こされる。


「……っ……」


指先に、思わず強い力がこもる。


(……勝ちたい……)


その思いは、どこからか突然生まれたものではなかった。

繰り返されるあいこの中で、少しずつ、逃げ場もなく積み重なってきたものだった。


終わらないやり取りに引き延ばされるたびに、胸の奥に溜まっていった熱。

それは気づかないふりをしていただけで、ずっとそこにあった。


そして――それが、ハッキリと形になって表れた。


(……だめ……こんなの……)


わかっている。

こんなふうに思ってしまうこと自体が、どこかおかしい。


それでも――


(……勝ちたくて……たまらないの……)


思考の奥から、思いがにじみ出る。


(……どうしよう……こんな気持ち、初めてなの……)


内側で膨らんだ衝動が、静かに理性の輪郭を溶かしていく。


「お願い……やめないで、続けて……」


気づいたときには、その言葉が口からこぼれていた。


パーダロがわずかに目を細める。


「……へえ」


「そんなに欲しいか?」


その問いにチョキーナは目を伏せて答えない。

それは無言の肯定だった。


「……あいこで」


「しょっ」


再び、二人はチョキを出す。


当然のようにあいこの連鎖は途切れない。


「……はぁはぁ……あぁ……」


チョキーナの呼吸は完全に乱れ、短く途切れる息が繰り返される。


抑えようとしても整わず、むしろ次第に荒くなっていく。


終わることのないあいこに引き延ばされるうちに、チョキーナの理性は気づかぬまま解けきり、もう元の形へ戻る余地すら残されていなかった。


(もうだめ……我慢できない……勝ちたい……)


その思いだけが、はっきりと残る。


「……どうした?そんな顔をして」


すぐ近くから、低く落ちる声。


「……言えよ、どうしたいか」


チョキーナは唇を噛みしめる。


羞恥と迷いは、まだ残っている。


それでも――


「……お願い……します……」


かすれた声が、止められないまま口からこぼれ落ちる。


「……一度でいいので……」


言葉を止めようとしても、もう止まらない。


「わたしを……勝たせて……ください……」


その瞬間、チョキーナは自分が発した言葉の意味を、遅れて理解する。


自分から求めてしまった。


勝ちたいと。

勝たせてほしいと。


「あ……」


恥ずかしさが、一気に身体へと押し寄せる。


(わたし……今……)


否定しようとしても、できない。


その言葉は確かに、自分の口から出てしまった。


その事実が、逃げ場を完全に奪う。


恥ずかしさが、直接身体へと響く。


膝が小刻みに震え、うまく力が入らなくなる。


(こんな……こんなこと……)


頭では否定しているのに、身体は正直だった。


体の奥がどうしようもなく熱を帯びて疼く。

その感覚に抗えないまま、握りしめた手のひらは汗に満ち、指の間にまでじわりと滲んで、その柔らかい肉を濡らしていた。


扉の外でその一部始終を見ていたグーダスは、ただ立ち尽くしていた。


止めなければならないとわかっているのに、足は動かない。

視線もまた、外すことができなかった。


握りしめた拳には、知らぬ間に強い力がこもり、その形は異様なほどに硬く張り詰めている。


抑えようとするほど、掌の奥で熱が膨らむ。


「……っ……」


わずかに息が漏れる。


止めたいのに、止められない。


ただ――体の一部を硬くしたまま、見続けることしかできなかった。

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