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もう戻れない――奪われた、あの時間 。 ~あいつは、俺の前ではあんな顔をしなかった~  作者: 遠崎カヲル


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知らないやり方を、教えられた

69です。

二人の手が向き合い、そのあいだに残されたわずかな距離が、目に見えるほどゆっくりと縮まっていく。


チョキーナの指先は微かに震えており、その震えは隠そうとしても隠しきれず、指先から空気へと滲み出るように伝わっていた。

視線は手元に落ちたまま離れず、わずかな動きすら過剰に意識してしまう。


「……じゃーんけーん……」


確認するように小さく口にしたその言葉は、最後まで形になることなく途中で途切れた。


「おいおい」


パーダロの軽い笑い声が、その流れをあっさりと断ち切る。


「それ、ずいぶん“お行儀のいい”やり方だな」


その一言で、チョキーナの動きはぴたりと止まる。

持ち上げかけていた手は宙に浮いたまま、次の動作へ進めない。


「……え?」


戸惑いの声が漏れ、そのまま視線だけがわずかに揺れる。


「そんな初心(うぶ)なやり方じゃ、つまらないだろ」


パーダロは肩をすくめながら言い、まるで当たり前のことを教えるように続けた。


「ちゃんと教えてやるよ。“本当のじゃんけん”ってやつをな」


その言い方に引っかかりを覚え、チョキーナの表情にわずかな緊張が浮かぶ。


「……本当の……?」


「そうだ」


パーダロは一歩踏み込み、二人の距離をさらに詰める。

わずかな視線の移動だけで相手の手の動きが捉えられるほどの近さまで入り込むと、そのまま低く言葉を落とした。


「いいか、本当のじゃんけんってやつはな」


わずかな間を置いてから、はっきりと告げる。


「最初はグー、だ」


その言葉が届いた瞬間、チョキーナの心臓が強く跳ね上がる。

吸いかけた息が喉の奥で止まり、そのままうまく吐き出せない。


(……それは……)


知識としては知っている。

ただ手を合わせるだけの手順ではない。


互いの位置も、向き合い方も、普段とはどこか違う。

距離を詰め、逃げ場をなくし、相手と強く結びつくような――そんな、どこか過剰で、ひどく密接なやり方。


(……こんなに、近くで……?)


思わず喉が鳴る。


ただのじゃんけんのはずなのに、その“最初”にある手順だけが、妙に重く感じられる。

まるで、普通の流れから外れた、踏み込んではいけない領域に足をかけてしまうような感覚。


「こうやって、一度合わせるんだよ」


パーダロはそう言いながらグーを作り、ゆっくりと前へ差し出す。

その動きは急かすものでも強制するものでもない。

ただ、そこに確かに“待っている”という形で置かれる。


「……ですが……」


思わず漏れた言葉は弱く、最後まで続かない。


視線は自然とその手へ吸い寄せられ、離そうとしても離れない。

近づけば近づくほど、その行為がただの“手順”ではないことを身体が理解してしまう。


(……こんなの……普通じゃ……)


胸の奥がざわつく。


ただ手を合わせるだけ。

それだけのはずなのに、距離の近さと向き合い方のせいで、妙に意識させられる。


まるで、相手と深く噛み合うような位置関係に置かれているようで――そのこと自体が、どうしようもなく恥ずかしかった。


「いいから」


パーダロの声が、そのためらいを断ち切る。

わずかに低く、先ほどよりも強い調子。


「やってみろって」


その一言で空気が決まり、拒む余地が消える。


「……はい……」


かすれた声で返事がこぼれる。

それは自分の意思というより、この場の流れに押し出されたような応答だった。


チョキーナはゆっくりとグーを作る。

小さく柔らかそうなその手は、逃げ場を失ったもののように震えている。


(……だめ……こんなこと……)


頭では拒んでいるのに、手は止まらない。


むしろ、その逆だった。


意識すればするほど、掌の内側がじわりと熱を帯びていく。

指を軽く閉じただけのはずなのに、その内側に、じっとりとした感触が生まれているのがわかる。


「……っ」


わずかに息が震える。


乾いているはずの手が、いつの間にかしっとりと湿り気を帯びていた。

逃げようとする意識とは裏腹に、内側からにじみ出るようなその感覚は、止めようとしても止まらない。


(……どうして……)


戸惑いが胸に広がる。


触れたくない。

近づきたくない。


そう思っているのに、手の方が先に、応じる準備を整えてしまっている。


グーの形に閉じられた掌の内側は、わずかに汗ばみ、熱を含み、

まるでこれから触れ合うことを受け入れてしまっているかのように、柔らかく、しっとりと濡れていた。


「ほら」


パーダロが促す。


「合わせろ」


その言葉に従うように、二つのグーがゆっくりと近づいていく。

距離が縮まるにつれて、心臓の鼓動は速く、強くなる。

耳の奥でその音がはっきりと響く。


(見られている……恥ずかしい……)


誰にも知られてはいけないはずの行為。

それを今、この場で――


ついに、グー同士が触れた。


その瞬間、チョキーナの肩が大きく震える。

ただぐーを合わせただけ。

それだけのはずなのに、その接触はやけに強く意識に残る。


離したい。

けれど、離すことができない。


「そう、それだ」


パーダロが満足げに頷く。


「これが基本だ」


グーは離されず、そのまま時間だけが引き延ばされる。

接触が続くほどに、意識はそこへと集中していく。


呼吸は浅くなり、胸が細かく上下する。

頬が熱を持ち、自分でもはっきりとわかるほど赤くなっていく。


(……どうして……こんな……)


羞恥が、ゆっくりと全身に広がっていく。


その様子を、扉の外から見つめているグーダスの胸もまた、強くざわついていた。


(……やめろ……)


そう思いながらも、体は動かない。

踏み出すことも声をかけることもできず、その場に縫い付けられたように立ち尽くしている。


やがて、パーダロがわずかに口元を緩めた。


「……それからな」


低く、落とすような声。


「最初はぐーのその先は――チョキだけ出せ」


「……え……?」


チョキーナが顔を上げる。

不安が、そのまま表情に浮かぶ。


「……チョキ、だけ……?」


理解が追いつかないまま、言葉をなぞる。


「……なぜ……ですか……?」


その問いに対し、パーダロはわずかに笑みを深めた。


「お前が知らない世界を知るためだ」


静かに、しかしどこか楽しむように告げられたその言葉は、理由のようでいて何も説明していない。


「……そんな……」


言葉が胸に引っかかる。

理解できない。


それでも――拒むこともできない。


「わかりました……チョキだけ……ですね」


チョキーナは声を絞り出す。


「……では……続けます……」


それは、この状態から抜け出すための言葉だった。

続けることでしか終わらせられないと、無理やり自分に言い聞かせるように。


「そうだな」


パーダロがわずかに笑う。


二人のグーがゆっくりと離れる。

だが、その接触の感触はまだ手の中に残ったままだ。


「……じゃあ、いくぞ。最初はグー」


低く、区切るような声が静かに響く。

チョキーナの指先が、再びわずかに震える。


(……もう……戻れない……)


「じゃんけん……」


その言葉が発せられる直前、扉の外で見ているグーダスの心臓が大きく跳ねた。


(……やめろ……やめろっ!)


止めたい。

今すぐ扉を開けて割って入りたい。


けれど――体が動かない。


覗き込むグーダスの手は、いつの間にか強く握りしめられていた。

指の関節が白く浮き出るほどに、その形は異様なまでに張り詰めている。


止めたいはずなのに――

掌の奥で、じわりと熱が膨らんでいく。


それは抑え込もうとするほど強くなり、内側から押し上げるように、手の形をさらに硬く、逃げ場なく硬定していく。


見てはいけないものを見ているはずなのに――

身体の一部だけが、それに応じるように、張りつめ、反応し続けていた。


「ぽん」


乾いた音が、静かな室内に響く。


二人の手が、再びぶつかる。


その光景を、グーダスはただ見つめることしかできなかった。


胸の奥で、何かがきしむような感覚を抱えたまま。

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