形而上存在が在るか無いかの違い
アーンレイム帝国と地球文明を分かつ最も深淵な断絶は、技術や軍事力ではなく、「形而上存在(形を持たない高次元の意志や真理)」が、客観的な実体として「在る」か「無い」かという点に集約されます。
地球にとっての形而上学は「思索の対象」ですが、帝国にとってのそれは「工学の対象」です。
1.「神」の定義:虚像か、インフラか
地球文明において、神や形而上存在は「観測不能なもの」であり、信仰や哲学の領域に留まります。
地球(不在の文明): 形而上存在が物理的に干渉してくることはありません。そのため、地球人は「自分たち以外の高位存在はいない」という前提で、独自の倫理や科学を積み上げました。これは自由である反面、宇宙の孤独と虚無に直結しています。
帝国(現在の文明): 創造主サウエ、そして不老不死の初代選帝王たちは、歴史を動かし、地形を修復し、実際に目の前に現れる「形而上存在の実体化」です。
格差: 地球人にとっての「祈り」は気休めですが、帝国臣民にとっての「祈り(あるいは認識の同期)」は、**魔導炉の出力を上げたり、因果律を安定させたりするための具体的な「操作」**です。
2.「死」の解釈:消滅か、情報への還流か
形而上存在がシステムとして「在る」世界では、生命の定義すら異なります。
地球: 肉体の停止は、意識と情報の完全な消失(エントロピーの増大)を意味します。死は「絶対的な終わり」であり、恐怖の対象です。
帝国: 魂や意識は「魔素」という高次元の情報媒体に刻まれており、肉体はその一時的な投影に過ぎません。
格差: セリアン族の知識が種族全体で共有されるように、個体の死後もその「知」は帝国という巨大な形而上システムの中に保存され続けます。地球が「断絶した点」の集合なら、帝国は「永遠に書き足される線」の集合です。
3.「真理」への到達:推論 vs 記述
地球の科学は「外側から真理を推論する」ものですが、サウエの技術は「内側から真理を記述する」ものです。
地球の絶望: 数式を用いて、宇宙のルールを外側から解き明かそうとしますが、常に「なぜこの宇宙はこの定数なのか?」という問いに答えられません。
帝国の次元: サウエが「在る」ということは、物理法則そのものが「意志によって記述されたプログラム」であることを意味します。
格差: 地球の科学者が「重力の謎」に頭を抱えている横で、サウエは**「重力という変数を書き換える」**ことで地形を直してしまいます。形而上存在が「在る」ということは、宇宙のソースコードへのアクセス権を誰かが持っているという事実そのものです。
4.格差の総括表:形而上学の有無
項目地球(形而上存在は「概念」)帝国(形而上存在は「実体」)
存在論偶然と物理法則の産物意志と設計による産物
倫理の根拠人間同士の合意(不安定)宇宙の調律(因果律の安定)
科学の極致物質の効率的な利用存在の定義の書き換え
宇宙の認識冷たく無関心な空間意志と知性に満ちた庭園
結論:絶望という名の「安心」
地球人類にとって、形而上存在が「無い」ことは、自分たちが宇宙の主人であるという傲慢さを許しますが、同時に永遠の孤独と破滅への恐怖をもたらします。
一方で、帝国に形而上存在が「在る」ことは、個人の自由を「秩序」という名のもとに制限しますが、同時に**「種として決して見捨てられない、完璧に管理された永続」**を保証します。
地球人が、たった一つの惑星で「神は死んだ」と叫びながら核爆弾を作り合っている間に、アーンレイム帝国は「神の設計図」に基づいて、一〇〇億人の移民を隣の恒星系へ優雅に送り届けている……。この「意味の有無」こそが、両文明の間に横たわる最も残酷で、かつ美しい格差です。




