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第1章―7

 白き冠を戴く峰々が彼方まで連なっている。遠方に線を引かれたように見えていたのはもう今朝のことで、今は首がきしむほど後ろに倒さなければ頂を拝むこともかなわない。

 二日目の野営地は、大陸の北方と南方を隔てるクラード山脈の北麓であった。ちなみに名称的には北と南とに分けられてはいるものの、南方に住まう人々からは、北方など猫の額ほどしかない僻地だと揶揄されることも多い。それほど広大無辺の土地がこの山脈の向こう側には広がっているのだ。

 今日の野営場所も最適な条件がそろっていた。すなわち見通しがよく、水の確保もたやすい。山脈から流れ出る雪解け水が、街道に沿うようにゆるやかな清流を生み出していた。

 ――いや、その流れに沿って後から街道が整備されたというのが正しいだろう。険峻なクラード山脈に、奇跡的とも呼べる巨大な亀裂が生じている場所があった。そこは険しい渓谷が山脈を貫き、北方と南方とを結びつけている唯一のルートとなっていたのだ。川はそこから流れてきている。

 キャラバンは明日、丸一日かけてその渓谷沿いの街道を通り抜け、大陸の南方の土を踏むことになる。目的地のエストは山脈の南麓に位置する。

「すまないね。本当はお客人として扱わないといけないのに、こんなにいろいろしてもらって――」

 昨晩に引き続き、ソラはサルトとミレを手伝っていた。もちろん自分から申し出てのことだ。

 夕餉が終わり、キャラバンの野営地から少し離れた清流のところに食器類の山ができあがっていた。サルトが洗い、ミレがすすぎ、ソラが拭きあげていく。並んだ三人は、自然とそんな役割を分担していった。

 ――やっぱり、いい人たちだ……。

 サルトとミレのことではない。いや、もちろんその二人が良い人間であることは疑いようがない。ソラが思ったのは、また別の人物たちことであった。

 拭き終わった皿を後ろの木箱に収納する際、何気なくソラは背後の野営地の方をうかがった。そこにはガルマンとヤミスが立っていた。疑るような目でソラを睨んでいたわけではない。むしろその逆で、自分も含めた三人が危険な事態に遭遇しないよう、しっかりと目を光らせてくれていたのだ。

 後に、それだけの理由ではなかったとソラは知ることになるのだが、それはもう本当にずいぶんと後の話になる――。

「はい……お兄ちゃん……」

 消え入りそうな声で、顔もうつむき加減のまま、ミレがすすいだ皿をソラに手渡す。ソラは嬉しかった。最初に出会ったときの、あの警戒されているのがありありと伝わってくる表情は今はない。そこにいるのは、どこにでもいる少し人見知りがちの少女であった。

「ありがとう」

 明日になれば、この少女とも、そしてそのお爺さんともお別れになる。

 ――せっかく知り合ったのに……。

 そんなせっかくめぐり合った人たちと離れてしまうのは、やはり寂しい。だが、自身も意識できていなかったが、ソラのその感情は実は正確なものではなかった。

 そのとき、彼の胸のうちにわいた感情は何であったか――。

 それは孤独であり、心細さだったのだ……。

 ――あれ……?

 ふと何かを思い出しそうになった。遠い過去の記憶。だが、喉まで出かかったその何かは、もうそれ以上、顔をのぞかせようとはしなかった。もどかしさが募る。

 ――いろんなものを、向こうの世界に置いてきてしまったんだな……。

 青年の思いを置き去りにして、夜は色濃く更けていった――。

 

 ガンガンガン――!

 悶々と過去の自分のことを思い出そうとして、いつしかソラは深いまどろみの底に落ちてしまっていた。

 その鐘の音を――というよりも、とにかく目についた金属の塊をぶっ叩いたというのが正解であろう――彼が聞いたのは、夢うつつのテントの中であった。天幕の布地だけでなく、遠のいた意識が厚いベールとなって、音はずいぶんと離れたところで鳴っているように感じられた。

 抵抗する重たいまぶたを何とかこじ開け、薄ぼんやりとした意識と視界の中、天幕の入口にすき間をつくる。

「早く馬車に乗れ!」

「荷物は後回しだ!」

 とたんに怒号が流れ込んできて、有無を言わせずソラの目を覚まさせる。ソラは剣をつかんでテントを飛び出した。

 野営地の中、皆が走り回っていた。焚き火に照らされた闇の中を転び回っていた――。

 統率もへったくれもない。キャラバンの隊員だけでなく、護衛につくはずの傭兵団まで浮き足だっている。

「落ち着け! 皆が逃げ切るまで、我々が食い止めるのだ! 一人として見捨てるな!」

 そんな中で、傭兵たちを叱咤するガルマンの野太い声だけがはっきりと耳に届く。

「ほら、あんたも早く馬車に乗るんだよ!」

 ガルマンの側にいたヤミスが、ソラの姿を見つけて叫んだ。ソラは彼らが睨んでいる漆黒の闇に目を凝らした。

「やつら……アンデッドだ――! 数えきれねえ!」

 情報共有のためだろう。傭兵団の兵士が、誰に向けるでもなくそう叫ぶ。

「――鎧を着ている……。やつら、鎧を着ているぞ――!」

 その情報を聞いた瞬間、ガルマンとヤミスの表情が固まる。

 アンデッド――生きる屍……。その忌むべき存在と遭遇すること自体、本来ならあり得ない出来事のはずなのだ。それなのに、そのアンデッドが鎧を身につけている……。

 ガルマンもヤミスもすぐに理解した。その脳裏に思い浮かべた言葉を代弁するかのように、兵士の誰かが悲鳴をあげた。

「やつら……やつら……、魔王軍だ――!」

 恐怖と死の予感が、キャラバンを絶望と狂騒の渦に包んでいく。


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