第2章―6
「むぐぐぅ……んむむぅ……!」
「しーっ、しーっ!」
少女の口をふさぎながら、彼女の耳元でそうささやく者がいた。
ソラである――。
「ちょっ……ちょっと、動かないで。静かに……」
小柄な娘だと思いきや、抵抗する力は存外に強い。
――そうだよ……。
動物の体は、見た目以上に力強くて、かたくて、重たいものだ――。
――抵抗するときは、特に……。
本来なら、説得してから彼女を保護するべきであった。それはソラも重々承知している。こんな強盗のような手口で、彼女を土魔法でつくった壁の中に引きずりこむなんて常軌を喫している。
――本当に犯罪者になった気分だよ……。
だが、ソラはすでに察知していたのだ。探索の魔法で、少女の追手がすぐそばの角までやって来ていることを。彼女に説明する余裕などあるはずがなかった。
「あっ、ほら……来た来た来た! 見つかる、見つかる! しーっ、しーって! もう……暴れるな! 暴れるなって! ほら、見てみ、見てみ、その穴から――」
少女は抵抗する力を弱めようとしなかったが、ソラの指摘する壁に微かに空いた穴から路地をのぞき見た。
ちょうど三人の男たちが角を曲がって現れたところであった。辺りを注意深く探っている。
さすがの少女も騒いだり抵抗するのをやめた。ぴたりと体の動きが止まる。息を殺し、路地にいる追手たちの動向を固唾を飲んで目で追いかけているようだった。
ソラは少女の口をふさいでいた手をそっとはなした。体をおさえていた腕の力もゆるめるが、魔法でつくった土壁の空間は狭い、はからずも彼女を抱いているような姿勢のまま、ソラは居心地の悪さを感じずにはいられなかった。
やがて追手の男たちは路地を引き返していき、袋小路にはひとっこひとり、それこそ猫の一匹さえ、目を持つ動物の類いは一切見当たらなくなった。
「手をはなすけど、まだ騒がないでよ……」
ソラは土魔法の壁をわずかに変形させて空間を広げ、少女に回していた手をゆっくり引き抜いた。体を動かすと、少女の甘い汗の匂いが鼻をくすぐった。だが……。
――!
体勢を入れ替えた瞬間、ソラはぞくっとした。少女は腰の後ろに帯びた短剣の柄に手を添えていたのである。ソラが少女の体をおさえ込んでいたとき、その気になれば彼女はいつでもソラの腹部に刃を突き立てることができただろう。今もその手は短剣に添えられたままだ。当然、警戒は解かれていない。
「あんた、誰だよ……? 誰が助けてくれって言った!」
「誰と言われても……。通りすがりの一般人としか言いようがないかな……」
少女は「はあ?」と顔をしかめる。そんな表情を返され、ソラは彼女を助けたことを若干後悔していた。
――もしかして、ちょっとガラの悪い娘なのかな……。
「まあ、あんな状況だったら、とりあえずは助けるよね……」
きっと、勇者なら――と、ソラは心の中で付け加えた。
少女は険しい表情と猜疑心を解こうとはしなかった。頭の中で何かを考えているようだった。ソラは沈黙に耐えきれず、自分から口を開いた。
「なんで追われてたの? 追ってた人たちも結構、必死な感じだったよね」
少女は答えない。
「もし、何か……」
ソラは言い淀んだ。勝手に決めつけるような言い方は、彼女を傷つけてしまうかもしれない。だが、一向に話が進展しないのも間違いない。意を決して、ソラは少女に尋ねた。
「もし何か、あの人たちに対して……いや、あの人たちの気にさわるようなことをしたんなら――」
言いかけて、ソラははっとした。少女の形相が、青年に対してまで憎悪を向けるかのごとく変わったのだ。怒りだけの感情ではない。そこには悔しさも混じっていただろう。そして――。
ソラは気づいてしまう。
少女の目じりに浮かぶ、光の雫を……。
「ごめん……」
ソラの口から、思わずその言葉がもれ出ていた。
「あいつら……あたいの父さんを殺したんだ……」
二人を包む、魔法の壁で囲まれた空間は、時が止まったかのように、ただ静まり返るほかなかったのだ。




