第1章―9
ヤミスの声が届かなかったのか、ソラはその場から動こうとしなかった。だが、青年の背中を見上げる幼い少女には、しっかりと伝わっていた。自分たちが置かれた状況が、いかに危機的なものであるのかを。
――わたしを助けるために……?
ミレは知らず声をもらしていた。
「お兄ちゃん、逃げて……」
だが、そう声を投げかけた瞬間、ミレははっとする。ソラの背中越しに、完全に立ち上がったスケルトンの姿が見えたのだ。重厚な鎧もあいまって、その体躯は優にソラを凌駕している。とても骨格だけの存在とは思えない。
――お兄ちゃんが殺される……。
わたしが早く逃げないと――。
「大丈夫だよ、ミレちゃん……」
不意にそんな声が降りてきた。ソラのものであった。
ソラは眼前の鎧武者に動じることなく、ゆっくりと鞘から剣を引き抜いていく。そして、こう言ってのけたのだ。
「スケルトンとは、よく剣の稽古につきあってもらっていた――」
誰もが目を見張った。古ぼけた鞘から徐々にあらわになっていく刀身は、淡い白光をまとっていたのだ。
通常ならざる剣――。
誰もが理解した、それが魔法を帯びた剣であることを……。
――どうして、あいつがあんなものを……。
ガルマンもヤミスも思った。だが、次に思い浮かんだものは安心などではない。さらなる危惧だ。
――確かにあの剣ならば、アンデッドを断つことはできよう……。
だが――。
ガルマンとヤミスはスケルトンの装備をあらためて見定める。
――あの鎧をどうやって断つ……?
歴戦の強者であれば、鎧のすき間を狙って、あるいは最も広い開口部である兜、そこからのぞく頭部に一撃を加えることができるであろう。だが、スケルトンに対峙する、あのソラという青年に果たしてその技量があるのだろうか……。
「グオォオ……!」
突如として、スケルトンの咆哮があがる。地獄の亡者に首をきゅっとつかまれたような感覚に襲われる。まるで魂を冥界に引きずりこもうとするような呪いの響きがそこには込められていた。
それまで悠然としていた――もちろん表情や感情など分かるはずはない――スケルトンが、光る刀身を見て焦っているかのようにも見えた。武者の余裕をかなぐり捨て、力任せに大剣をソラに向かって振り下ろす。
――あの細い剣では防げない……!
ガルマンやヤミスならば、紙一重のところで相手の剣筋を避け、がら空きになった頭部へ剣先を突き入れることも可能だろう。それだけの身体能力、判断力があの青年にはあるのか――。
――無ければ……。
一刀両断されてしまう――。
だが、ソラのとった動作は予想外のものであった。スケルトンが剣を振り上げた刹那、隙だらけになった眼前の胴に横一閃、剣を薙いだのである。
――鎧に弾かれる……!
そして、体勢を崩したところに、スケルトンの刃が振り下ろされる……。
ガルマンとヤミスはぞっとした。だが、目の前で信じられない光景が繰り広げられる。
青年が振るった、あの頼りない刀身が骸骨の鎧武者の胴を両断したのだ。フルプレートの鎧がまるで紙切れのごとく、すうっと切断されていく。そして、その内部に守られていた骨格に剣の淡い光が触れるや否や、スケルトンの体は音もなく蒸発するように消えていったのだった。
まるで時間が止まってしまったかのようであった。誰もがその光景を目撃して、金縛りにあったみたいに動きを止めていた。
ガシャッ、ガランッ……!
金属鎧が膝から崩れ落ち、地面にぶつかってバラバラに四散する。その音で皆は正気を取り戻した。
――あれは……ミスリル……なのか……?
「僕は――」
ソラが叫んだ。どこか悲痛な響きを帯びていた……。
「――僕は、剣士になれなかった……」
ソラは魔王の軍勢が押し寄せる闇の方に進み出た。淡い白光を帯びた剣を向ける。
ミレには聞こえた。目の前に立つ青年が、見知らぬ言葉の連なりをひそやかに口元で囁いているのを。
詠唱――この世ならざる理の力を行使する呪文……。
青年は叫んだ。まるで、この世界に問うかのように。
「僕は……、僕は……魔法使いです!」




