第九十七話 倭の騎馬隊
嫉妬なのだとわかるくらいには、タケルは大人になっていた。
そうなるまでに、あまりにも時間がかかり過ぎたが。
最初は、日御子のために、日御子が守りたいもののために、命懸けで戦おうと思った。
いや、その考えは今も変わらない。
けれど、その思いだけでは、タケルは自分の気力を保ち続けることが出来なかった。
平等であれば、ここまで苦しむことはなかったと思う。
自分だけでなく、巫女以外の人間すべてが日御子に会えないのであれば、納得できたと思う。
その中に、持衰もいたのならば。
だけど持衰は、持衰だけは当たり前のように、日御子の近くにいられる。
最初は自分もそこにいた。
なのに今は違う。
なぜ持衰が。
持衰だけが。
そんなことはタケルにもわかっている。
持衰は特別だ。
タケルたちのような欲がない。
日御子を汚すことは、あり得ない。
わかっている。
持衰が日御子の元にいようがいまいが、自分が彼女に会えない現実は変わらないのだと。
持衰は関係ない。
だけど、自分が欲しくて欲しくて堪らない権利を、あろうことか自分と親しかった身近な人間が持っている。
その事実が、タケルから諦めの心を奪い去った。
いっそ持衰が日御子と結ばれてくれれば──。
そうすれば、悲しみを抱きつつも、ふたりを祝福することができたと思う。
だが、それも叶わない。
あのふたりは肉体での結びつきを必要としていない。
心と心で、タケルたちには決して至ることのできない、高尚な世界で繋がっている。
あのふたりと比べると、タケルは自分が酷く醜悪な存在のように思えてきて、よりいっそう惨めになる。
こんな苦痛に、五年も苛まれてきたのだ。
だが、その気持ちから、ようやく解放される。
「将軍、なんだか嬉しそうですね」
都市牛利だった。
タケルの身分は大率というのだが、天照軍の面々はタケルのことを将軍という。
タケル自身も、大率などという位よりも、将軍の方がまだしっくりくる。
特に訂正もせず、彼らには呼びたいように呼ばせていた。
「嬉しそうか。俺が」
タケルたちは今、船団を率いて狗邪韓国へと向かっている。
遥か海の向こうを見つめていたタケルは、都市牛利へと視線を移した。
「はい。ずっと交易隊のお守りばかりでしたもんね。それが久しぶりの大戦。しかも外つ国でだなんて、やっぱり燃えますよね。俺も気持ちは分かります」
「へえ、まともに戦に出たことない餓鬼が、偉そうに言うじゃないか」
「いや、それは……そうですけど」
都市牛利が決まりが悪そうに口籠る。
その様子を見て、タケルは心の底から笑った。
確かに、今のタケルの心は軽かった。
都市牛利の言う通り、思い切り剣を振るえるのは嬉しい。
けど、理由は別の所にある。
この戦の先が、日御子に繋がっているから。
未来に希望があるから。
その事実が、タケルの心をかつてないほど充足させていた。
タケルは、調子がいいと自分でも自覚しているが、持衰へのわだかまりさえも、今は綺麗に消えていた。
狗邪韓国に辿り着くと、残していた天照軍の部下たちが、すぐに駆けつけて来た。
現地での物資の買い付けや管理、狗邪韓国の防衛、現地人との関係維持など、理由は様々だ。
だが、タケルにとっての一番の目的は、そこでは無かった。
「手に入ったか?」
「バッチリですよ、将軍」
その返事に、タケルの顔が綻ぶ。すぐに部下に案内させた。
「立派なものだな」
タケルは少年のように目を輝かせた。
目の前にいるのは、三十頭ほどの馬だった。
「伯済国と同盟できたのが大きかったです。北の高句麗ほどではないですが、あそこも多少は軍馬がいますからね」
「漢で乗っていた馬よりも、少し大柄だな」
「匈奴や、その更に西方の馬の血も混じっているそうです」
高句麗などで主に使われる馬は、山岳でも活躍できるよう、やや小柄で頑健な躯をしている。
だが、西方には、平野での速力に特化した大柄な馬が多いと聞く。
「呂布の汗血馬を思い出すな……」
馬を優しく撫でながら、タケルは漢で出会った呂布と、その愛馬を思い返した。
他者より一回りも二回りも大きな駿馬を駆り、戦場で一騎当千の働きを見せる呂布に、敵ながら強い憧憬を抱いたものだ。
「あとは騎手だが」
「将軍がいない間に、みっちり調練しました。使い物にはなると思っています」
部下の表情は自信に満ちていた。相当な鍛錬を積んだことが窺える。
「よし。動きを合わせながら程度を見る。今回の斯蘆国との戦いで、騎馬隊を投入するぞ」
「はい、将軍」
平野まで馬を連れていった。
ここなら、ある程度自由に駆け回れそうだった。
部下たちを交代で馬に跨がらせ、適性を見定める。
筋の良い者を選んで、正式な騎兵とした。
その後は、指示に合わせて素早く動ける調練を行い、慣れてきたところで半数に分かれて模擬戦も実施した。
孫堅や呂布の騎馬隊とは比ぶべくもなかったが、軍としては十分な水準に達していた。
「ズルいです、将軍。俺にも乗らせて下さい」
日が沈み始めていた。
そろそろ切り上げようかというところで、都市牛利がタケルに声をかけてきた。
「都市牛利、お前はずっと倭国にいたから、馬に乗ったことがないだろう。今日は即戦力を見極めるための調練なんだ。素人に時間を割く日じゃない」
言いながら、部下たちに撤収の合図を送る。
すぐに調練用の武器や物資が片付けられ始めた。
先ほどまでとは違う慌ただしさが、あたりを包んでいく。
「だから終わりがけまで黙って待ってたんじゃないですか」
「分かってるじゃないか。今日はもう終わりだ」
都市牛利を軽くいなしながら馬から降り、タケルは馬銜や腹帯などの馬具を外そうとする。
「ちょっとくらい良いじゃないですか将軍。俺、普段からかなり役に立ってますよね? 細かい仕事は全部俺が代わりにやってあげてるじゃないですか。この間の持衰様への報告だって……」
都市牛利はなおも食い下がらない。
苦笑しながら、他の天照軍の兵たちがこちらを眺めている。撤収準備は整ったようだ。
「それが今のお前の仕事だ」
「でも俺だって天照軍ですよ。その本分は女王の為に戦うことだ。交易品とにらめっこすることじゃない」
「お前はまだ見習いだ」
「見習いなら尚更調練が必要じゃないですか。それを怠るなんて、将軍としてどうなんですかね? これは職務怠慢ですよ」
西陽に負けないくらいに顔を真っ赤にして言い募る。
都市牛利はこうなると長くなる。タケルはため息をつきながら他の兵たちに手を払った。
笑いを噛み殺しながら、兵たちが二人を置いて去っていく。
「将軍のケチ。戦バカオヤジ」
「オヤ……。お前……持衰殿の前ではあんなに緊張していたくせに」
都市牛利の遠慮ない物言いは、親愛の裏返しだ。
それが分かっているだけに、タケルも怒ったりはしないが、今のように手に余ることはある。
「わかった。負けたよ……。少しだけだぞ」
ため息をついて、渋々都市牛利の要望を通した。
飛び跳ねながら喜ぶその姿に、タケルは思わず笑みを零す。
「よし、じゃあまずは馬に跨るところからだ」
タケルは馬の手綱を軽く引き、都市牛利の前へ立たせた。
「馬の左側につけ。左手で手綱を握りながら、馬のたてがみを掴むんだ。強く引くなよ。馬が暴れる」
「はい」
都市牛利は言われた通りに動いた。
その表情には緊張はなく、むしろ楽しげな柔らかさがあった。
「右手は馬の背に置け。腕で身体を押し上げて、思い切り跳べ」
言葉のとおりに跳び上がり、都市牛利はあっさりと馬の背に跨った。
兵たちの様子を見ていたとはいえ、初めてでこれは珍しい。
タケルも最初から苦労しなかったほうだが、普通は何度かやらなければ上手く乗れないものだ。
「驚いたな……」
タケルが呟くと、都市牛利は誇らしげに胸を張った。
「将軍、走らせるにはどうしたら?」
「調子に乗るな。まずはゆっくり歩かせろ。軽く踵で腹を叩いて、掛け声だ」
都市牛利は他の兵の真似をして声を上げ、馬の腹を蹴った。
ゆっくりと馬が前進する。
「おお、進んだ。気持ちいいですね、将軍」
馬上の安定には平衡感覚が必要だ。
船乗りの息子ゆえか、都市牛利はその点で抜きんでていた。
かなり筋がいい。
「よし。もう少しだけ」
調子づいた都市牛利が、さらに強く馬を蹴った。
馬首が下がり、馬がぐっと前傾する。
「おい、バカ。やめろ」
叫ぶ間もなく、馬は加速した。
あっという間に駆け足から疾駆に近い速度へ。
都市牛利はもう普通に座っていられず、馬の背に這いつくばる形になる。
バランス感覚だけでは馬は扱えない。
馬体と自身を繋ぎ止める“下半身の締め”が必要で、身体の出来ていない都市牛利にはまだ無い。
制御を失った馬は、勝手気ままに駆け回った。
「都市牛利、振り落とされるな。手綱を引いて方向を制御しろ。同じ場所から離れるな」
返事は無いが、声は届いたようだった。
都市牛利はしがみついたまま手綱を引く。
馬はぐるぐると同じ場所を回り始めた。
――やはり才はある。
タケルは軌道を読み、間合いを測って馬へ跳び乗った。
タケルにしかできない神業だった。
手綱を握り直して馬を落ち着かせ、そのまま止める。
「しょ、しょうぐん……」
「調子に乗りすぎだ、バカ野郎」
軽く都市牛利の頭を小突いた。
それでもかなりの激痛だったらしく、都市牛利が頭を押さえて悶絶する。
都市牛利に気付かれないように、タケルは少し笑った。




